【第53回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス/文藝春秋
笑いながら戦慄せよ 『化学の授業をはじめます。』
紙の本で536ページ。たいしたボリュームだ。人によっては、500ページ超えと聞いて逃げ出す人もいるかもしれない。だが恐れることはない。その536ページは45章からなり、ということは1章の長さは平均で12ページほどだ。たとえば毎日2章、24ページずつ読めば、1月経たずに読み終えられる計算になる。けれど私は、この本に関しては、もう一つの理由で、恐れることはない、と言う。この本はとんでもなくおかしい。この本はとんでもなく読みやすい。この本はとんでもなく面白い。だからあなたはきっと、1日24ページではやめられないだろう。そういう理由で。
主人公エリザベスは化学の道を志し、研究に没頭したい。けれども完全なる男社会である科学の世界で、その道は険しい。今でさえ科学の分野における女性の進出はまだまだなのに、物語の舞台は今からさかのぼること60年、1960年代である。エリザベスは女性化学者として、未婚の女性として、シングルマザーとして、数々の困難に直面する。
この物語を貫くのはからっとしたユーモアだ。人におもねるということを知らない、無愛想で正直で辛辣なエリザベスのキャラクターはただそこにいるだけでおかしみを醸し出す。人語を愛する天才犬シックス=サーティや、エリザベスにふりまわされるTVプロデューサーのウォルター・パインら、愛すべきキャラクターが動き回り、男社会の上に位置する権力者たちをやがてぎゃふんと言わせる展開は痛快だ。だから、コメディを読んでいるつもりで、あなたはこの本を読んでしまうことができる。その読み方はまったくまちがってはいない。
だが、コメディとは、時に、現実があまりにも悲惨だからこそ演じられるものだ。エリザベスは優秀な科学者でありながら、女性であるがゆえに周囲から軽んじられている。性被害に遭いながら、加害者ではなく被害者である彼女が職場から追放される。彼女の身に起こることは、フィクションだ。しかしまちがいなくそこには、現実で女性たちが置かれている状況が反映されている。これをそのままに書けば、ホラーになってしまうだろう。だからこそこの本はコメディとして書かれた。コメディとして書かれねばならなかった。
どうかこの本を楽しく読んでほしい。そして――時々でいいので――コメディとして描かれる現実の恐ろしさに戦慄してほしいと思う。