【第112回】間室道子の本棚 『そこにはいない男たちについて』井上荒野/角川春樹事務所
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
* * * * * * * *
『そこにはいない男たちについて』
井上荒野/角川春樹事務所
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
* * * * * * * *
登場するのは、夫がきらいになった女と、愛した夫に死なれた女だ。
まりは三十八歳。家事をこなしながら、自宅を仕事場にしている不動産鑑定士の夫・光一の秘書的な一切を引き受けている。結婚十一年目の今、彼女は夫が大きらいだ。親友をはじめ、初対面の人たちにも光一との仲を「悪いです」と言ってのける。
顔を合わせれば口論とか、逆に無視とかのいわゆる家庭内離婚状態ではない。セックスレスながら寝室は一緒だし、朝はまりの淹れたコーヒーを飲みながら予定を報告し合う。光一は夕食の席にもつく。お盆には夫婦で彼の実家に行く。そのたび目や耳にする夫の習慣、行動、発言がまりの気にさわるのだが、最大のいらだちは、こんなに仕事上もプライベートも「いる」夫が、「いない」と感じられることだ。
もう一人の主人公は、料理教室を主宰し、本も出している実日子だ。歳の離れた夫の俊生は一年と少し前、急逝した。料理の生徒たちをはじめ、近しい人たちは知っている。でも実日子ほどの仕事をしてる人ならもっと広く伝えていいこの死を、彼女は公表していない。
実日子にあるのは、いないはずの俊生がずっと「いる」という感覚だ。閉店したままの夫の古本屋のケトルに残っていた水を見て、これを入れたのは、と考え、捨てるのをしばしためらう。鏡の前で、料理本の授賞パーティ用に新調したドレスを着て、彼はこの服を見ることはないんだ、と小さく驚く。何年か前のブラックドレスを引っ張り出し、これならいつも隣に彼が、と思う。
まりが実日子の料理教室に通い出したことから、ふたりはたがいの奇妙な心情について知ることになる。そして言うのだ。「どっちがかわいそうなのかな。先生と私」「どっちかしらね」
読むほどに思うのは、男女の心はなんて不思議な動きをするんだろう、ということだ。夫婦や結婚のバロメーターは、愛情の量だけではない。
先日テレビで見た、今大人気の女性ミュージシャンの発言を思い出した。
彼女のキッチンにあるお玉は大阪の百均ショップで買ったもので、上京するとき持ってきていまだに使っている。もうベコベコになっているし、新しいものはいつだって、いくらだって買える。でもこの「小さな負荷」を彼女は放したくないという。
おそらく手に取るたび、「またこれか」と思う。そして「お玉への不満はウソで、嫌よ嫌よも好きのうち、本当は愛してるんです」では決してない。心からいらっとし、うんざりし、でも彼女が今夜、明日、来年、未来に「料理するわたし」を想像した時、手にしているのはこのお玉なのだと思う。二十代半ばのトップスターと百均の台所用具をつなぐのは、愛ではなく重ねられた日常なのだ。
閑話休題、自分の人生の延長線上に誰を置きたいか、という気持ちが、まりと実日子、そしてそこにはいない男たちを変えていく。ラストでついにまりに訪れる、夫が「いる」。そこに至るまでがていねいに描かれ、読んでいて揺さぶられた。
男と女のただならなさを描いたら日本一の作家の真骨頂。
まりは三十八歳。家事をこなしながら、自宅を仕事場にしている不動産鑑定士の夫・光一の秘書的な一切を引き受けている。結婚十一年目の今、彼女は夫が大きらいだ。親友をはじめ、初対面の人たちにも光一との仲を「悪いです」と言ってのける。
顔を合わせれば口論とか、逆に無視とかのいわゆる家庭内離婚状態ではない。セックスレスながら寝室は一緒だし、朝はまりの淹れたコーヒーを飲みながら予定を報告し合う。光一は夕食の席にもつく。お盆には夫婦で彼の実家に行く。そのたび目や耳にする夫の習慣、行動、発言がまりの気にさわるのだが、最大のいらだちは、こんなに仕事上もプライベートも「いる」夫が、「いない」と感じられることだ。
もう一人の主人公は、料理教室を主宰し、本も出している実日子だ。歳の離れた夫の俊生は一年と少し前、急逝した。料理の生徒たちをはじめ、近しい人たちは知っている。でも実日子ほどの仕事をしてる人ならもっと広く伝えていいこの死を、彼女は公表していない。
実日子にあるのは、いないはずの俊生がずっと「いる」という感覚だ。閉店したままの夫の古本屋のケトルに残っていた水を見て、これを入れたのは、と考え、捨てるのをしばしためらう。鏡の前で、料理本の授賞パーティ用に新調したドレスを着て、彼はこの服を見ることはないんだ、と小さく驚く。何年か前のブラックドレスを引っ張り出し、これならいつも隣に彼が、と思う。
まりが実日子の料理教室に通い出したことから、ふたりはたがいの奇妙な心情について知ることになる。そして言うのだ。「どっちがかわいそうなのかな。先生と私」「どっちかしらね」
読むほどに思うのは、男女の心はなんて不思議な動きをするんだろう、ということだ。夫婦や結婚のバロメーターは、愛情の量だけではない。
先日テレビで見た、今大人気の女性ミュージシャンの発言を思い出した。
彼女のキッチンにあるお玉は大阪の百均ショップで買ったもので、上京するとき持ってきていまだに使っている。もうベコベコになっているし、新しいものはいつだって、いくらだって買える。でもこの「小さな負荷」を彼女は放したくないという。
おそらく手に取るたび、「またこれか」と思う。そして「お玉への不満はウソで、嫌よ嫌よも好きのうち、本当は愛してるんです」では決してない。心からいらっとし、うんざりし、でも彼女が今夜、明日、来年、未来に「料理するわたし」を想像した時、手にしているのはこのお玉なのだと思う。二十代半ばのトップスターと百均の台所用具をつなぐのは、愛ではなく重ねられた日常なのだ。
閑話休題、自分の人生の延長線上に誰を置きたいか、という気持ちが、まりと実日子、そしてそこにはいない男たちを変えていく。ラストでついにまりに訪れる、夫が「いる」。そこに至るまでがていねいに描かれ、読んでいて揺さぶられた。
男と女のただならなさを描いたら日本一の作家の真骨頂。