【第299回】間室道子の本棚 『富士山』平野啓一郎/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『富士山』
平野啓一郎/新潮社
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タレントのアンミカさんによると、ごく普通の生活をしているだけで人間は一日に3000回の選択をしているそうだ。”そのいちいちに”はないだろうが、誰でもふと、「あのとき別な方を選んでいたら」と思いを馳せることってある。本書『富士山』には、「ありえたかもしれない人生」をテーマに五話が収録されている。
「選んだほうを失敗だったと思っている、現在になにか不満を抱えている人が、”あっちだったら”となるんでしょ?」とみなさまお考えでしょうが、二作目の「息吹」にはそれを超えた人間思考の複雑さが出てきてうなった。
主人公の息吹は四十代半ば。梅雨入り前の日曜日、彼は小学六年生の一人息子を塾の模試会場まで迎えに行く。でも時間を間違えて一時間早く着いてしまった。この日は猛暑で、彼はかき氷を食べて時間をつぶそうとする。だがお店は満員。
あきらめて入ったのはマクドナルドだ。アイスコーヒーを飲む息吹の隣の席には自分と同年代ぐらいの女性が二人いて、耳に入ってきた彼女らの話題をなんとなくスマホ検索してみた。そしてあることを実行した。
そのおかげで彼は助かったのである。
「かき氷屋に入れなかった」、そんなことが運命の重大な分岐点になった。でも「いやあ、あぶないところだった」で納めることができず、息吹はとらわれ続ける。そして、「あの時スムーズに席に案内され、氷にありついた俺がいる。彼を助けたい」と思うのである。それだけでなく、こちらの息吹とあちらの息吹が時々入れ替わるような感覚に陥る。
彼には「かき氷を食べた自分」がいる、という確信がある。なぜならふと、抹茶の味がよみがえるからだ。あの日マクドナルドに入り飲んだアイスコーヒーよりも現実味がある。
でも、息吹よ、と私は思う。なぜかき氷が出発点?その前にあなたには「時間を間違えて息子の模擬試験の会場に着いた」というできごとがあったじゃないか。さらに「猛暑」だって重要要素。もし、「時間どおりに着いたうえに梅雨入り前で湿気寒い日」だったなら、「かき氷」はそもそもないだろう!
でも息吹は「もうひとりの自分」のことを妻に話しちゃうのだ。彼女は最初こそ心配するが、そのうち激怒。そりゃそうだ。
妻は3・11で無念を体験しているのだが、あれが3・10 とか 3・12だった世界があるわけ?日にちのずればかりではない。分だって秒だっていくらでも刻める。そのすべてにパラレルワールドめいたものがあり、同じ人が生きたり死んだりしてるの?いいかげんにして!となるのだ。お話の結末は衝撃的だ。
まず思ったのは、人工知能にこれはない、ということ。AIはどんどん人間の感情を習得していくと言われているが、「不運に見舞われた時、あったかもしれない幸せを想像する」これはAIにも理解可能。でも「逃げ切れたのに、わざわざ絶望のほうに身を置いてみておかしくなる」。これは人工知能にはわからないだろう。
人間だけに起きる、マイナスのないものねだり。でもそのじたばたやあがきがいじらしいし、見方を変えれば、この「息吹」という作品のラストは「ある男の夢と希望の物語」とも取れるのだ。
短いけれど複雑な味わいの五編で、余韻がどれもすばらしい。
「選んだほうを失敗だったと思っている、現在になにか不満を抱えている人が、”あっちだったら”となるんでしょ?」とみなさまお考えでしょうが、二作目の「息吹」にはそれを超えた人間思考の複雑さが出てきてうなった。
主人公の息吹は四十代半ば。梅雨入り前の日曜日、彼は小学六年生の一人息子を塾の模試会場まで迎えに行く。でも時間を間違えて一時間早く着いてしまった。この日は猛暑で、彼はかき氷を食べて時間をつぶそうとする。だがお店は満員。
あきらめて入ったのはマクドナルドだ。アイスコーヒーを飲む息吹の隣の席には自分と同年代ぐらいの女性が二人いて、耳に入ってきた彼女らの話題をなんとなくスマホ検索してみた。そしてあることを実行した。
そのおかげで彼は助かったのである。
「かき氷屋に入れなかった」、そんなことが運命の重大な分岐点になった。でも「いやあ、あぶないところだった」で納めることができず、息吹はとらわれ続ける。そして、「あの時スムーズに席に案内され、氷にありついた俺がいる。彼を助けたい」と思うのである。それだけでなく、こちらの息吹とあちらの息吹が時々入れ替わるような感覚に陥る。
彼には「かき氷を食べた自分」がいる、という確信がある。なぜならふと、抹茶の味がよみがえるからだ。あの日マクドナルドに入り飲んだアイスコーヒーよりも現実味がある。
でも、息吹よ、と私は思う。なぜかき氷が出発点?その前にあなたには「時間を間違えて息子の模擬試験の会場に着いた」というできごとがあったじゃないか。さらに「猛暑」だって重要要素。もし、「時間どおりに着いたうえに梅雨入り前で湿気寒い日」だったなら、「かき氷」はそもそもないだろう!
でも息吹は「もうひとりの自分」のことを妻に話しちゃうのだ。彼女は最初こそ心配するが、そのうち激怒。そりゃそうだ。
妻は3・11で無念を体験しているのだが、あれが3・10 とか 3・12だった世界があるわけ?日にちのずればかりではない。分だって秒だっていくらでも刻める。そのすべてにパラレルワールドめいたものがあり、同じ人が生きたり死んだりしてるの?いいかげんにして!となるのだ。お話の結末は衝撃的だ。
まず思ったのは、人工知能にこれはない、ということ。AIはどんどん人間の感情を習得していくと言われているが、「不運に見舞われた時、あったかもしれない幸せを想像する」これはAIにも理解可能。でも「逃げ切れたのに、わざわざ絶望のほうに身を置いてみておかしくなる」。これは人工知能にはわからないだろう。
人間だけに起きる、マイナスのないものねだり。でもそのじたばたやあがきがいじらしいし、見方を変えれば、この「息吹」という作品のラストは「ある男の夢と希望の物語」とも取れるのだ。
短いけれど複雑な味わいの五編で、余韻がどれもすばらしい。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。