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【RE:HIROSHIMA インタビュー】神田宗俊 nextmaruniとの出会いからHIROSHIMAアームチェアが世界に羽ばたき、KOYORIが生まれるまで

 
マルニ木工が手掛ける、HIROSHIMAアームチェア。アップルパークでの採用、G7広島サミットでの使用、など、世界で注目される名作椅子となっている。この奇跡の椅子が世界に羽ばたいた背景には、ある男の存在があった。マルニグローバルブランディング代表取締役、神田宗俊が語る、HIROSHIMAアームチェアとその先の未来とは。
 
 
 
nextmaruni に出合う
 
私が代表取締役を務める、マルニグローバルブランディング(以下MGB)についてお話をする前に、そこに至る経緯をお話させてもらってもよろしいでしょうか。
私は、2009年にマルニ木工に入社しました。その前の仕事で何をしていたかというと、住友商事のグループ会社で海外のブランド家具を輸入する仕事をしていました。ただ、商社で本当に私がやりたかった仕事というのは、日本の優れた匠の技術を使った家具メーカーをブランドとして輸出する、ということでした。しかし、その時点で海外でブランド化している、要するに知名度があるような日本の家具ブランドはありませんでした。私はそんな中、1社だけでも欧米の著名なブランドと戦えるような国産ブランドを作りたいという思いはずっと持っていました。
なぜ日本の優れた技術を使った家具が世界のブランドになっていないのか、私が思う日本の家具メーカーの抱えている大きな問題点は3つあると思っていました。
まず、デザイン力に課題がありました。そして、コストが高いという問題。さらにはブランド戦略のノウハウを持つ家具メーカーが当時いなかったということです。
 
 
そんな思いを抱いていた時に、nextmaruniに出合ったのです。これはマルニ木工が12名の国内や海外のデザイナーと手を組んで、匠の技術とモノ作りの伝統に、優れたデザインを掛け合わせる、というマルニの新しい挑戦だったのです。
ここで私は、3つの課題のうちの一つ、デザイン、というものをマルニ木工が超えてきたのを感じました。しかし、このnextmaruniは売れなかった。その時に、現在の社長である山中から「どうすれば海外で売れるのか」という相談を受けることになって、私とマルニ木工との関係がはじまります。
 
 
 
深澤直人に絞り込む
 
2008年でしたかね。山中に呼ばれて新しいコレクションを発表することになったと伝えられました。これまでnextmaruniでは12名のデザイナーとコラボしていたのですが、それを1人に絞ってもっとデザイナーと密なやり取りをして、マルニ木工の持っているモノ作りという強みを生かせるようなプロダクトを作りたいという話でした。そこで名前が挙がったのが深澤直人さんでした。
私自身もそれなら深澤直人さんしかいないと思っていましたので、どんな椅子ができたのだろうと見に行ったんですそこで見た新作の椅子に感じたのは、これはすごいものを日本は手に入れた。これは世界の名作椅子として通用するものだ。という確信にも似た思いでした。
 
 
これで、私の考えていた3つの課題の1つ、デザインは超えることができました。そしてコストもこれからの工夫次第で何とかなるだろう。あとはブランディングへの課題が残ったままでした。適切なスキルを持った人間がこの椅子をヨーロッパへ持っていかないと、せっかくのこの椅子をブランド化することはできないと思ったのです。
その時にはすでに山中から私にその役を担ってほしいという打診は来ていたんです。ですが、私が属していた会社とマルニ木工では、給与面などの条件も全く違っていました。しかし、私はこの椅子を持って、海外で戦える日本のブランドを作り上げるという夢に向かって動き出そうと決めたのです。

 
 
 
HIROSHIMA アームチェア
 
 
その時にできた椅子が、奇跡の椅子と言われている「HIROSHIMAアームチェア」です。0からのスタートだったのですが、ミラノサローネでの反応も素晴らしく、山中と私との不眠不休とも言っていい営業活動によって具体的な売り上げもでき、商売として成立するところまで持っていくことができました。現在では30カ国、85箇所の取引先を持つまでに育っています。
maruniの海外での評価がすごいらしい、あのアップルパークにも納入されたそうだ、ブランドとして世界で認められている。という世間の評判もあり、しっかりとした海外でのポジションを獲得するまでに至ったのです。
 
Milano Salone 2024  Photography: Nacása & Partners Inc.
 
 
 
マルニグローバルブランディング(MGB)を立ち上げる
 
しかし、その時フロントラインで働いていた私は、もしかするとマルニ木工の海外戦略もここが天井かも知れないと思い始めていました。
問題は2つ。
まずは私自身マルニ木工の社員として働いていたので、評価制度などあらゆる就業規定が製造業ベースのものだったのです。マルニ木工の一部門としての海外事業部は当時も商社レベルの仕事をしていました。そうなると様々な条件面でも商社レベルのものを用意しないと人の採用ができなくなっている。さらに、広島でビジネスで通用するイングリッシュスピーカーを採用することが難しかったのです。
そこで、私はこの問題を本社役員に相談したところ別会社を設立するという案が提示されました。前の会長である山中好文からも私が中心となって必要な人事制度からなにから作ってはどうかというオファーもあり、引き受けることになったのです。ただ、その時に、私には管理職と経営者の違い、社長をやるということがどういうことか、本当の意味で解っていなかったということをのちに痛感することになるのですが。
 
 
 
アップル、HIROSHIMAに出合う
 
HIROSHIMAアームチェアがアップルパークに採用された話についても触れておきましょう。きっかけはArkitekturaという取引先の開拓でした。
海外でのブランド戦略として決めていたことですが、各都市で3本の指に入るディーラーと取引をする、というのがありました。その中でArkitekturaの開拓は、米国で2番目でした。そのArkitekturaへアップルが名指しで「HIROSHIMAを取り扱っているのか」という問い合わせが来たという情報があったのです。それも、10脚や20脚の納品ではない話だということでした。
そのうちだんだん話が見えてきて、どうも新しく建設している新しいキャンパス(当時アップルパークはキャンパスと呼ばれていた)向けに検討しているのではないかという感じがわかってきました。
 
 
そのうちにArkitekturaから「アップルからHIROSHIMAのオーダーが来るはずだ、おそらくトライアルだと思う」との連絡が入りました。その時で約200脚です。なんとそれは、キャンパスのモックアップを作り、あらゆる家具の検討をするためのものだという話でした。それから約2年を経て正式採用になり、具体的な数は言えませんが数千脚の納入となったのです。
まさに、HIROSHIMAアームチェアが大きく世界に羽ばたいた瞬間だったのです。

 
 
 
残していかなければならないこと
工芸の工業化について
 
マルニ木工が世界に進出しても、どういうブランド戦略をしていっても、社員全員が心に残しておくこととして「工芸の工業化」という考え方があります。
丁寧なモノ作り、手作りのように見える製品を、工業の力で大量生産できる体制を作り、人々が求めやすい価格にて美しい家具を提供する。これが「工芸の工業化」です。
実際、手作りの家具はとても高くなります。それを求める限定的なお客様にだけではなく、多くのお客様に手に取りやすいモノを作る、そしてそれを工業化する。という理念は今後も受け継がれていかなければならないものだと思っています。
逆にこれから変えていくべきところがあるとすると、時代の変化にそってこれからも変わっていくという姿勢は必要だと思います。経済環境であるとか、技術革新であるとか、時代の変化を受け止めて変わってく必要があるとき、それに対応できるかどうか。それら時代の変化に対応してアップデートして、自分たちが変わっていくことを恐れずに進んできた企業こそが現在も続いている老舗企業だと言えると私は考えています。
 
 
 
そして KOYORI へ
 
Photography: ALBERTO PARISE
 
私がいま、エクゼクティブディレクターとして取り組んでいるKOYORIというプロジェクトについてもお話をさせてください。
私が商社マン時代に思っていた、日本発の世界と戦えるブランドを1社作りたいという目標は、マルニ木工をブランドとして羽ばたかせるということで達成はできました。さらに、私が先頭に立って、そういう環境や道筋を作ることで、日本の他の家具メーカーも、それを参考にして世界に打って出ることができるのではないか、と思っていたのです。しかし、実際に海外進出したのは日本全国で4、5千あると言われる国内メーカーの中でも数社だけでした。
私は、マルニのプロパー社員ではなかったことから、日本の家具メーカーについてもフラットな視点で見ることができました。その視点から日本のモノ作りをボトムアップすることを考えていたのです。
そのことを模索する中で生まれてきたアイデアがアライアンスブランドでした。
1社ごとに海外に挑戦したいブランドを支援するというのは、MGBのキャパでは足りません。そこに限界があるのはわかっていました。
そこで、MGBがコアとなって、何社かのメーカーを呼び集めて、それぞれのメーカーの工場特性、得意分野、例えば曲木の技術だったり、成形合板の技術だったりを使って、海外の有名デザイナーと家具を作る。そのためのノウハウやロジスティックをMGBが提供する。というビジネスを考えつきました。
まさにこのドリームチームができれば日本のモノ作りを世界にもっと発信することができるはずです。ただ、まとめあげるのは本当に困難を伴いました。お互いの技術は企業秘密なところも多いですし、今まで協業するということもなかったメーカー同士ですから、本当にそこは苦労しましたね。
 
 
Photography: ALBERTO PARISE
 
 
「RE:HIROSHIMA」について
 
私にとって広島という土地は、世界を飛び回っている今だからこそ余計に感じるのですが、居るだけで心が安らぐ場所ですね。広島空港に降り立つだけで、そして赤いユニフォームを見るだけで、落ち着きを感じます。
東京で仕事をして、世界を回って、自分が疲れていたり、それによって性格がきつくなっていたり、弱気になっていたりすることもあるのですが、それをニュートラルな状態に戻してくれる場所が広島です。
これも世界を知ってますます思ったことなのですが、広島というのは世界平和について真剣に語ることができる場所でもあるということです。国内でもそうですが、広島以外ではここまで真剣に平和教育に力を入れているところはあまりありません。そういった意味でも日本にとっても世界にとっても大事な場所であると思っています。
 
 
 
 
これからの広島で働くとは
 
私自身、人材の採用面などから広島を出てしまった人間なのですが、現在は以前とは状況が変わっています。テレワークやリモート技術の発展によって、昔に比べると地方で働くデメリットは少なくなっています。実際に私の会社のメンバーが、家族の転勤で地方に行かなくてはならなくなったのですが、雇用契約を解消しようとは全く思いませんでした。私が考えたのは、どうすれば地方にいながら今までと同じように働くことができるかのその一点でした。
これからはもっと、地方の暮らしをしながらの働き方という選択肢が増えていくと思っています。自分の可能性を伸ばす、自分の適性がある会社を見つけ、そこで働くための可能性は無数に増えていくはずです。ただ、そのためには、学校で学んだことで終わらせず、常に自己研鑽をして自らをアップデートしていく必要があるのは間違いありません。
 
 
 
おすすめの本について
 
 
先ほども話をしたように、自己研鑽をしてアップデートして、自分の武器を磨き続けるためには、本を読むということは欠かせないと考えています。
まずは、ビジネスの中でセルフブランディングやキャリア形成を考えるために役に立つ本としては、森岡毅さんの『苦しかった時の話をしようか ビジネスマンの父が我が子の為に書き溜めた「働くことの本質」』(ダイヤモンド社)です。会社にはいろいろな人がいます。その中でも上り詰めたいと思う人には強烈に背中を押す本です。若い人にぜひ読んで欲しいと思っています。
あとは、とにかく皆さんに本を読んで欲しいと思っているので、もう一冊あげさせてください。斎藤孝さんの『読書する人だけがたどり着ける場所』(SB新書)です。本を読むことで、人はどうなれるのか。どんなふうに、暮らしやすくなったり、仕事をしやすくなったりするのか。本を読むことがいかに大事なことなのかがわかると思います。

私自身、これからも広島は故郷であるという気持ちは変わりませんし、これからも仕事を通して広島のREに関わっていくことになると思っています。
これからのマルニ木工、そしてマルニグローバルブランディングの仕事に期待をしてもらえると大変ありがたく思います。
 
 
 
 
 
【プロフィール】
神田宗俊(こうだむねとし)
株式会社マルニグローバルブランディング 代表取締役
KOYORI エグゼクティブ・ディレクター
2005年、住商インテリアインターナショナルに入社。欧州や北米からの高級家具の輸入を担当し、国際取引やブランディングの実務経験を積む。
2009年よりマルニ木工に入社し、海外事業課を設立。以降、MARUNI COLLECTIONの海外展開を牽引し、販売チャネルの構築からブランディング、マーケティングまで幅広く手掛ける。世界最大級の国際家具見本市・ミラノサローネへの出展を継続的に行い、欧州・北米・アジアに多数の代理店を開拓。国際展開は30カ国・82拠点にまで拡大した。
2018年、マルニ木工から海外事業部門を分社化し、株式会社マルニグローバルブランディングを設立。さらに2022年には、海外展開の知見をもとに、日本のものづくりの力を結集したグローバルアライアンスブランド「KOYORI」を立ち上げ、エグゼクティブ・ディレクターとしてブランドを統括。日本の美意識を宿した高品質で洗練されたライフスタイル製品を世界へ発信している。
現在も、日本のものづくりをグローバルに伝えることをライフワークとしている。
 
 

撮影_中野一行
構成_広島 蔦屋書店 文学コンシェルジュ 江藤宏樹
撮影場所_hiroshima maruni (広島T-SITE 2号館2F)
 

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