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【イベントレポート】秋山夕日「戦争と教育 ー戦争について考えることを次世代にいかに伝えるかー」

 
広島 蔦屋書店 文学コンシェルジュ 江藤宏樹
 
 
8月8日に広島 蔦屋書店で、秋山夕日さんによる講演会「戦争と教育~戦争について考えることを次世代にいかに伝えるか~」が開催されました。
 
今回の講演会では、教育者である秋山さんが生徒さんに教える時にもっとも考えなくてはならない問題が多い、日本史・世界史のアジア太平洋戦争の部分に関わるお話を中心に語っていただきました。実際に秋山さんがどのような問題について考えそれをどのように暫定的に解決し、生徒さんに伝えてきたかということについてお話いただいております。
 
秋山夕日さんは東京大学文学部を卒業され、広島で約18年に渡って、小学生から浪人生まで全学年にほぼ全教科を教えてこられました。
今回の講演は3部構成となっています。第一部では「戦争体験」についてのお話。第二部では「正しさと戦争」についてのお話。第三部では「力と戦争」についてのお話です。
 
 
秋山さんは常日頃から生徒さんに講義をしていらっしゃいますし、また図書館や書店などでも講演をされておられるベテランです。数学の専門的な話も途中にはあったのですが、ときおりユーモアも交えながら、丁寧でわかりやすくお話をしてくださいました。
 
公演会場では座席の数を減らしてソーシャルディスタンスをしっかり取った上での開催となりましたが、「戦争と教育」という重いテーマにも関わらず、多くのお客様にご参加頂けました。
参加頂いたお客様の中には、お子様を含めた家族連れの方や、高校生の方もいらっしゃいました。集まられた方の年代としては30代~40代ぐらいの方が多かったように思います。
皆さんとても熱心にうなずいたりメモを取ったりしながら聴いてくださいました。
 
 
それでは、以下、イベントの進行に沿って内容を紹介していきます。
 
 
1. 戦争体験について考える
 
戦争体験のない教師が戦争体験のない生徒に戦争について教える、というテーマでのお話。
まず秋山さんが挙げられたのが、高橋哲哉さん『記憶のエチカー戦争・哲学・アウシュヴィッツー』という本です。この本の中で語られたことで非常に印象に残ったのは、当事者ですら戦争を語ることがいかに難しいかということです。戦争について、原爆について、当事者にインタビューをすると、途端に相手が口ごもってしまう、まるで失語症のように言葉が出てこない。それぐらいあの記憶を語ることは難しいのだということ。
 
 
次に挙げられたのは『原民喜全詩集』です。ここでは、病気で亡くなられた奥様についての詩も合わせて語られました。奥様についての詩はとても美しく、まさに詩人の力が発揮されるようなものなのだが、原爆の悲劇を目の前にした原民喜は、ほぼありのまましか語れなかった。詩人の力を持ってしても、原爆は表現できないのだ、ということ。
 
また、中国の人たちは日本の戦争についてどう語っているのかを知るための本として、宮内陽子さん『日中戦争への旅―加害の歴史・被害の歴史―』を挙げられています。
戦争を語る上では一方からだけの視点では駄目で、必ず相手の国からの視点も知るべきである。生徒さんにも外国の人はどう見たのか、相手はどう見たのか、を話すようにしているということです。
そこから関連して、真珠湾攻撃の際のアメリカ軍の話もされたのですが、全く知らない話と視点で、これも興味深いお話でした。
次に、戦争体験の現代性というお話の中では、水木しげるさんの戦記漫画やこうの史代さんの『この世界の片隅に』などの漫画を読むことで、その当時の人びとの感覚を知る大切さをお話くださいました。民衆は戦争状態に慣れきってしまっているという怖さ、などのお話も。また、このお話の中で、戦争を知らない今の若い世代に果たして戦争責任というものはあるのかという『戦後世代の戦争責任』という本も挙げられています。
その話の中で、私が特に印象に残ったのは、確かに直接戦争をしていない世代ではあるのだが、もし今現在、かつての戦争中になされた明らかにおかしい判断や間違った考え方、今ならきちんと判断できるはずの戦争中のおかしいこと、これがもし今も残っているのならば、これが正されていないのであれば、それは今を生きるわたしたちの責任である。というお話でした。
 
このお話の後には、参加者の方からのご要望があった、戦争体験に関する子どもによる自由研究についてのアドバイスもありました。
自由研究に関する秋山さんの考え方がとても参考になる内容でした。
簡単におさらいをしておくと、戦争について教科書で習うような内容というのは、ある一定の深さまでなので、そこに書いてある事以上のことを調べてみると、それが自由研究になる。例えば、教科書に書いてあるような出来事について相手の国ではどのように語られたかなど調べてみるといい、といったお話でした。
またそこで調べるために使って欲しいのが、図書館と書店である。という秋山さん流の図書館と書店の利用術のお話も面白かったです。
 
 
2. 正しさと戦争について考える
 
正しさと戦争の話の中では、まず政教分離について、なぜこれが必要なのかというお話から始まりました。
そこで参考になる本は塩野七生さんの『十字軍物語』『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』などです。
過去の戦争を振り返ってみても、揉める発端というのは宗教が絡んでいることがほとんどです。なぜなら、宗教と宗教がぶつかってお互いに正しさを主張し始めると、必ずその正しさの主張は平行線をたどるのです。絶対に交わらない。
そこで、政治の世界に宗教の考えを持ち込まないようにしよう、と主張したのがフリードリッヒ二世なのです。
宗教上の正しさを持ち出すと必ず殺し合いになる。だから一旦それは棚上げしよう、というのが政教分離なのです。
 
 
では、なぜ正しさの主張は平行線をたどるのか、というお話のなかで、秋山さんの専門である数学のお話が出てきます。
 
ここからは、秋山さんによるかなり興味深い数学のお話が始まったのですが、私にそれを説明することは難しいので、概要だけを説明します。
数学の世界では、公理という証明無しで正しいと仮定した命題というのがあり、それを元に組み立てていくらしいのです。その過程で公理群や公理系というようなものを使っていくみたいです。
数学ではどの公理を使うかというところで、さまざまな流派があるそうで、その同じ流派を使っている人は、いわゆる価値観が同じ仲間であると言えるそうです。
ここで、不完全性定理という言葉が出てくるのですが、その公理系の中だけでは、その公理が本当に正しいという証明はできないそうです。つまり、同じ価値観を持った人たちが、その価値観の中だけで正しさを証明することはできない、ということが証明されているということなんです。つまり、正しさというのは言葉で証明することが難しい、言葉で説得するのに向かないということが、数学的には証明されているらしいです。
ここにある意味言葉の限界が見えてきます。
 
また、このお話の続きでは、原爆を開発するのに非常に大きな役割を果たした天才数学者フォン・ノイマンについてのお話もあり、こちらも非常に興味深いお話でした。
ノイマンは、不完全性定理を非常に深く理解している人間であり、そして、彼は政治の話のなかで正しさを主張し合うような場面に遭遇すると、すぐに席を立って、その話には入らなかったそうです。正しさの主張が無意味であるとわかっていたということです。
そのノイマンが原爆を開発するに至った理由の一つとして、彼はある意味徹底したリアリストであり、自分の好きな自由を守るためというのがありました。ドイツや日本などの帝国主義よりも、アメリカ的自由主義を好んだので、それを守りたい。そのためには、力こそが正義だという考え方に進んでしまったのです。
 
 
 
3. 力と戦争について考える

力こそが正義である。という言葉が出てきたところで、次のテーマに進みたいと思います。
力(暴力・殺傷力・軍事力)は戦争(殺人)に行き着くしかないのか。
これを考える上で役に立つ本として『銀河英雄伝説』『寄生獣』『クローズ』などのSF小説や漫画を挙げてくださいました。
例えば『銀河英雄伝説』の中には、非常に優秀な人物なのだが、戦争で人を殺したくないという登場人物が出たりします。『寄生獣』では、殺戮マシーンとしての肉体を持った人物がその殺傷能力を高めるために体をコントロールする訓練としてピアノを引く場面があります。『クローズ』では、ずっと喧嘩をして力を競い合っていたのですが、最終巻の最後の最後に、喧嘩に強いだけじゃ駄目なんじゃないか、というセリフが出てきます。
 
 
戦争で人を殺すということについて、もう一冊『戦争における「人殺し」の心理学』という本があります。この本によると、最前線にいて今まさに敵が銃を撃ってきているのに、敵に狙いをつけて撃つ事ができず、銃を空に向けてしまい相手を撃てないという人が80%ぐらいはいるそうです。それぐらい人を殺すということは戦争状態においても不自然なことであり、非人間的な訓練をしなくては人は殺せない。
その訓練の過程として『寄生獣』ではピアノの練習をするのですが、それであれば人を殺さずにピアノで人を感動させる方に突き抜けたほうがいいのではないかと秋山さんは語ります。ピアノの技術で競い合えばいいのではないか、喧嘩をする必要があるのか、と。
 
 
ここで、新たな本『剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想―』を紹介します。
この本で紹介されるのはあまりにも強くなりすぎた達人の話です。
彼はあまりにも強く有名なので後から後から道場破りがやってくるのです。最初はいちいち戦っていたのですが、そのうちに面倒になってきます。
そこで、剣を持つのをやめて、掃除をしている竹箒を使って、庭をはく要領で敵をさばいて藁のむしろに簀巻きにして無力化してしまうという方法をとるようになったと。
つまり、力と力で戦ってどちらかが死ぬまでやるのではなく、培った力を違う方向に使って相手を無力化するという方向にシフトしたのです。
 
力を突き詰めることで、新しい方法や新しいやり方が生まれる。
つまり、新しいストーリーが誕生するということで、その想像力や、発想力というのは、言葉によるものではないか。と秋山さんはおっしゃいました。
前に、言葉の限界という考えが出てきましたが、ここへ来て言葉の力、新しいストーリーを生み出す力というものが殺し合いの戦争を終らせるのではないかという可能性が見えてきました。
 
秋山さんは「力こそが正義である」という言葉が出た時にこうおっしゃいました。
「私は力こそが正義であるという結論には絶対に反対だ。それを認めてしまうのであれば教育というものが何の意味も持たなくなってしまう。力こそが正義であるという結論は教育の敗北宣言だ」と
秋山さんは全編を通して、何のために今戦争を伝えるのか、ということについて考えておられました。
戦争体験を伝えることの難しさ。
戦争を伝えることで、今の子どもたちの役に立つようにしなければならない。
あの当時のおかしかったことが今も直っていなければ、それはわたしたちの責任だ。
そしてそもそも正しさの主張を話し合うということは困難を伴うということ。
だからといって力が正義では決してない。
力を突き詰めることで、違った使い方を発見できるのではないか。
想像力と言葉がそのための重要な要素になる。
 
 

 
 
このレポートは、秋山さんのお話を聞いた私の感想です。
もちろん様々な受け止め方があると思いますし、私の思ったこととは、また違ったことを思った方もいらっしゃったと思います。
ただ、聞いてくださった皆様が戦争について、今までとはまた違った方向で考えるきっかけや手がかりにもなったのではないかと思います。
 
今回のイベントに参加できなかったみなさまにこのレポートで少しでも伝えることができていればとても嬉しいです。
 
広島 蔦屋書店では、これからも戦争について考えるためのフェアやイベント企画などをおこなっていきます。
ぜひまた次の機会でのご参加をお待ちしております。
 
 

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