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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.301『ラウリ・クースクを探して』宮内悠介/朝日新聞出版

蔦屋書店・江藤のオススメ『ラウリ・クースクを探して』 宮内悠介/朝日新聞出版
 
 
実は、バルト三国の一番北側に位置するエストニアは世界最先端のIT先進国だということをご存知でしたでしょうか。もしご存知なければ、この本を読んでなんとなくそれを感じていただけるでしょうし、ご存知ならばなるほどと納得もしていただけるかもしれません。
 
ただ、この本の主人公ラウリ・クースクは、エストニアにおいて、ITの発展を推し進めるために大いなる役割を果たしたかというと、そうではなく、何もしていないのです。大きな歴史の波に飲まれてなにもすることができなかった、ただ誠実にまっすぐに生きてきた人だったのです。
 
この物語は、ラウリ・クースクを探すジャーナリストの視点での語りから始まる物語です。彼はラウリ・クースクの伝記を書くためにラウリ・クースクの足跡をたどります。それと交互に、ラウリたちが青春時代を過ごした過去が書かれます。
ラウリとは何者だったのでしょうか。
そして今はどうしているのでしょうか。
 
ラウリは2歳ごろから数字が大好きで、まさに数字に取り憑かれたように数をひたすら数えていました。1からずっと数えて300や400まで数えていると、そのうちに邪魔が入るので、また1から数え直すなど、呼吸のように数を数えていました。3歳になる頃には足し算や引き算の概念を完全に理解して筆算までできるようになったのです。
 
そんな時、彼の父親が当時のソビエトでは本当に珍しかった電子計算機、今で言うコンピューターの元祖のようなものですが、職場で使っていた壊れたものを持ち帰って修理してラウリに与えます。
そうすると、ラウリはそれに夢中になり、ひたすらその、データをバックアップすることすらできないコンピューターでプログラムを書き続けるのです。データは記録できませんので、途中まで書いたプログラムは紙に書き写して、またそれをイチから打ち込んで作っていくという方法まで取りながら。
 
その当時は、ソビエトは冷戦期にあり、輸出規制があり海外から高性能のコンピューターを手に入れることはできなかったのですが、低機能の8ビット機は唯一輸入ができて、それが各学校に配置されて、コンピューターを扱うための授業も始まりました。そこでラウリは天才的な能力を発揮します。
 
ラウリは、まだ周りでは誰もその存在すら知らなかった、コンピュータープログラムによるゲームを作り出し、モスクワで開催されていたコンテストに出品します。そこで彼のプログラムは3等を取るのですが、彼は1等を取ったプログラムの発想に目を奪われます。そのプログラムを書いたのはラウリと同じ10歳の少年イヴァンだったのです。
 
イヴァンもラウリの才能を認めていて、彼はラウリが通う学校に入って、二人はその技術を競い合いながらも友情を育んでいくのです。そこにコンピューターを使って絵を描くのが上手なカーテャという女の子も加わって、3人の幸せな友情がしばらくは続きます。
 
しかし、当時はソビエトの支配からバルト諸国が独立をしようという運動が盛んになっていました。ソビエト側につくもの、独立を願うもの、同じ国の中でもたもとを分かつ人たちが多くいた時代です。
そんな中、イヴァンの家は共産党員で、カーテャの祖父はもとパルチザン、ラウリは親からロシア系の学校にいってロシアで成功しろと言われている。という三者三様の立場から3人は一緒にいることも少なくなり、ある決定的な事件が起こることで3人は別々の道を歩むことになるのです。
 
ソ連は崩壊し、エストニアは独立します。大きな歴史の渦の中でちっぽけな3人の友情は散り散りになってしまいます。そしてその後3人はどのような生涯を送るのか。
 
大文字で語られる、歴史的転換、例えば「ソ連崩壊」
私たちはそれを大きな歴史的事件として認識していますし、起こった出来事も知っています。しかし、もっと目を凝らして見るとその歴史的事件の渦中で様々な小さな物語が起こっていたはずです。それら小さな声は注意深く耳を傾けないと聞こえません。だれかが残しておかないとおそらくだれの記憶からも消えてしまう出来事でしょう。
 
ちっぽけな物語ですが、非常に美しい3人の若者の青春がそこにあったのです。その小さな灯火は確かにその時そこに灯っていたのです。
 
SFやミステリも書く宮内悠介ならではの広く深い想像力とほんの少しのサプライズもお楽しみに。
 
ぜひ彼らの小さな物語に耳を傾けてみてください。
 
 
 

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