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【インタビュー】山中 洋の太鼓判「変化と飛躍を続けるグローバルブランドとしてのマルニ木工の譲れない価値」 

 
マルニ木工は広島の老舗家具メーカーであるが、もともとマルニ木工が得意としていた家具は、クラシカルな応接セットだった。しかし、以前のイメージと現在のイメージは大きく変わっている。今やマルニ木工はモダンな家具を中心としてグローバルブランドとして成長を続けているのだ。そのマルニ木工の変化と飛躍、今も大事にし続ける価値について、代表取締役社長である山中 洋氏にお話を伺った。

 
 
マルニのターニングポイント nextmaruniとは
 
私がマルニに入社して営業をやっていた頃は、バブルが弾けた後の景気低迷期だったんですよ。その頃のマルニは猫脚のチェアに金華山のファブリックを張ったようなクラシックなラインがメインとなっていたのですが、すでにその当時それらの家具はあまり売れなくなっていました。時代にそぐわなくなっていたところもありますし、家具業界全体が非常に厳しいときで、わたしたちもメーカーとして新しい何かを作り出さないといけないなと感じていました。そのためには、社内で全てやっていたのでは駄目だ、外部の知見を入れなくては、そしてデザインから大きく変えるべきだと思ったのです。
 
 
 
 
そして2005年から始まったのが、nextmaruniプロジェクトです。これはデザイナーの黒川雅之さんの提案で、世界で活躍している12名のデザイナーや建築家たちと椅子を作り、それを海外に売り出そうという、マルニにとって全く経験のない初めてのプロジェクトでした。
そこでできた椅子はミラノサローネ国際家具見本市が行われている時期に、本会場ではなく、ミラノの町中で展示をしたんです。その時は12名のデザイナーの知名度や人気で、たくさんの人が来てくれて、エル・デコやカーサ・ブルータスなどの雑誌も取材に来ました。その結果非常に大きな広がりを得て、流れが変わったのを感じました。今までマルニの家具をおいていなかった町のインテリアショップなどからも多くのオーダーが来たのです。
しかし、売れなかった。ショップには並ぶのですが、一般のお客様に売れない。なぜなら椅子しかないんですね。合わせるテーブルがない。デザイナーズチェアが好きな、本当の椅子好きでなければ買う人がいなかったんです。
 
さらにこのプロジェクトを始めるに当たって、今までのマルニの価値観を一度否定して完全に新しいものづくりをしようということで、すべてデザイナーの言う通りにどんな無茶な要求にも従って作っていたので工場の現場も疲弊していました。もちろんそれだけ無理をして作っているので値段も高い。
しかし、3年間は続けると決めていましたので、きっちりと3年間続けてこのプロジェクトは終了しました。このプロジェクトはビジネス的にはうまくいかなかったかもしれませんが、マルニにとっての大きなターニングポイントになる出会いがありました。まず、私達に足りなかったものに気づきました。それはPRです。とにかくなにか新しいことをしても、それを大きくPRしなくては誰も気づいてはくれない。さらには日本の技術力は世界と比べても全くひけをとらないということ、さらにわかったのは、マルニの価値を否定するのではなく、その得意とするところの技術を活かしたものづくりをしないと意味がないということです。
 
新しい出会いもありました。nextmaruniプロジェクトに興味を持ってコンタクトしてくれたのが、現在マルニグローバルブランディングの代表取締役社長を務める神田宗俊氏です。かれはnextmaruni とその後のHIROSHIMA発表に非常に興味を持ってくれて、何度も展示会に足を運んでくれました。そして彼は元いた商社での経験を活かして、マルニの海外事業部立ち上げのために入社をしてくれたんです。
 
 
milano salone 2011
 

さらに今やマルニを代表する一脚となったHIROSHIMAアームチェアのデザイナー深澤直人さんLightwoodシリーズを手掛けるジャスパー・モリソンさんと出会ったのもそのプロジェクトだったのです。
 
nextmaruniプロジェクトは私達にとって気づきと大きな出会いという財産を与えてくれたのです。
 
 
 
マルニのグローバル展開がはじまる
 
nextmaruniプロジェクトのときはミラノサローネの本会場ではなくミラノの町中で展示をしたので、やはり本会場を目指そうということになりました。最初はJAPANブランドという枠で共同展示をしていたのですが、それではうまくいかないということで、自社で単独で出展を始めたのです。ただ、ミラノサローネは非常に大きな展示会です。会期中に全ブースを回ることなど絶対に無理なので、バイヤーたちは、最も価値があると認められているブースが集まる1番人気のホールを必ず見て、その後2番人気のホールをざっとみて、3番目、4番目のホールにはほとんど見に来られないのです。参加当初は3番4番ホールで当時海外事業部に籍を置いていた神田と私でとにかく椅子に座ってもらうために呼び込みをしていたのを思い出しますね。
 
その時、神田と決めていたことがあるんです。ブランディングをしっかりと確立するために、引き合いがあったからといってすぐに出荷するのはやめよう。国際的な家具の名門ブランドが集まるヨーロッパ、アメリカをパートナーにできるように開拓をしよう、と。
そのため、展示会で会ったバイヤーたちの名刺を並べて夜に検討会をして、そのショップの中で可能性の高いところを選び、神田自身が世界を飛び回って全て現地を訪れて、どんな店構えなのか、雰囲気はどうなのか、他にどんなブランドを扱っているのか、1件1件実際に行って確認したのです。
 
 
 
 
それらの地道な活動や、多くの人の繋がりなどが広がって、アップル本社へのHIROSHIMAアームチェアの数千脚納入に繋がりました。
その実績は非常に大きく評価され、ミラノサローネでの展示ブースも3番目から2番目へ、そして1番人気のホールに変わっていきました。今では、イタリアの一流メーカーと共に1番人気のホールで展示を維持しています。
 

milano salone 2019
 
 
 
ミナ ペルホネン、皆川 明氏との出会い
 
ミナ ペルホネンのファブリックを張ったマルニのチェアというのも、現在のマルニブランドを支える大きな一翼を担っているのですが、実は皆川 明さんとの出会いは、深澤直人さんジャスパー・モリソンさんたちデザイナーとの出会いとはまた違った、面白いいきさつがありましてね。
 
 
 
 
HIROSHIMAアームチェアはマルニを代表する椅子となって、かなり売れるようになっていたんです。ただ、デザイナーの深澤直人さんの要求は非常に高い。木目なども基準に達しないものは製品として売ることができないのです。しかも、作ってみないとわからない木目もあったりするんですね。だから、削り出してみて使えないということもあるので、多くの端材や使えないパーツが積み上がってきていたんです。それをどうにかできないものかと、当時付き合いのあった伊勢丹のバイヤーさんに相談したところ、ミナ ペルホネンのデザイナーである皆川 明さんを紹介してもらいました。
実はアパレル業界でも洋服を作った後のハギレなどが多く出て、それをどうするかという問題が同じようにあったんです。そこで、皆川さんと一緒に、木の節であったり、個性的な木目であったりするものをその木独特の魅力としてポジティブに受け止め、ミナ ペルホネンのファブリックのハギレをパッチワークにしてその椅子の座面として張る。というものを作って伊勢丹新宿店で売ることにしたんです。
もちろん一脚一脚違う表情の1点ものばかりなので、見てもらわないと売れないため、会場にズラッと椅子を並べて売ることにしたんですね。イベントが始まる前は、本当にこれは売れるのかなという不安もありました。
しかし、蓋を開けてみると朝早くからお客様が並んで、決して安いとは言えないそれらの椅子をポンポンと買っていかれる。その光景には非常に衝撃を受けました。これもマルニの価値観を変える大きなインパクトでしたね。
この大成功から、今では定期的にミナ ペルホネンのパッチワーク生地を張った一点ものの椅子の販売を行っていますし、皆川 明さんとのワークショップや講演会もここ広島T-SITE内にあるmaruni hiroshimaにて続けています。
 
 
伊勢丹新宿店

 
 
G7サミットで各国首脳が座ったHIROSHIMAアームチェア
 
サミットが広島で行われるということが決まってから、やはりこれは広島産の家具を使うべきだろうと、外務省であったり、知事であったり様々なところへ売り込みをしました。最終的には入札で決まったのですが、マルニの家具が採用されることになったんです。
巨大な円卓は広島産の良質なヒノキを使うこと、など、かなり厳しい要件があって、しかも納期がかなり短かった中、仕様の変更などもあり間に合うのかヒヤヒヤものだったのですが、その中で設計から製作までなんとか仕上げることができました。ただ、椅子については、今までのサミットではほとんどがキャスター付きのビジネスチェアばかりだったので、マルニとしてもあの円卓にHIROSHIMAアームチェアが合わせられているというのは、テレビの映像を見て初めて知ったんです。大変な驚きでした。
やはり、あの写真はインパクトがありましたね。あらゆるところから問い合わせも来ましたよ。
 
 
 
 
 
これからのマルニ 譲れない価値
 
家具に使われる木は、樹齢80年から100年のものです。それほどの年月をかけて育った木をちょっとした流行りの家具に使って、数年で廃れて捨ててしまう。または、作りの悪い家具にして壊れてしまう。そのようなものを作ることは木に対して失礼だと思っています。
私達が深澤直人さんとも話をしているのは、マルニがこれから作っていく家具は世界の定番となるものでなければいけないということです。今の流行や、時代の空気などに影響を受けない普遍的で良質なデザインであり、長く愛着を持って大事に使ってもらえる品質であること。見た目や佇まいや触り心地、五感で感じる心地よさがあること。これを常に意識しています。
もちろんそこを追求すると多少値段は高くなってしまいますが、それを上回る価値がそこには生まれるはずです。長く使えば使うほど愛着が出てくる家具、家族の一員としていつも生活のそばにある家具、そして、親から子へ受け継ぐ事ができるような家具を作らなくてはいけない。そのためには売りっぱなしでは駄目で、売った後のメンテナンスや修理ができなくてはそのような使い方はしてもらえない。作ると直す、両輪があって初めて実現できる価値だと思っています。それがあることでお客様とも長いお付き合いができる。デザイン、品質にこだわり、長く愛着をもって使ってもらえるものを作り、傷んでも壊れても修理する技術もある。それがマルニが大事にしている、譲れない価値だと思っています。
 
 
 
【プロフィール】
株式会社マルニ木工
代表取締役社長 山中 洋(やまなか ひろし)
 
 
1971年生まれ。1994年明治大学商学部を卒業後に渡米。1998年米国オールドドミニオン大学経営大学院を卒業後に帰国し、1999年株式会社マルニ(現 株式会社マルニ木工)に入社。入社後まもなく英国の提携工場にて家具製造の基礎を学ぶ。帰国後は営業職を経て社内の様々な機能改革に従事し、「MARUNI COLLECTION」、「MARUNI60」等、外部デザイナーとの企画を積極的に推進。ブランド戦略や商品企画、セールスプロモーションの構築に携わり現在に至る。2021年株式会社マルニ木工代表取締役社長に就任。
2015年家具の修理を専門とするグループ会社の株式会社マルニファニシング代表取締役社長に就任。
 
 
株式会社マルニ木工について
1928年創業の木工家具メーカー。
創業以来「工芸の工業化」をモットーに、職人の手作業と緻密な機械加工を融合し、工芸的な美しさ、安定した高い品質、適正な価格を実現し、90年以上木工家具をつくり続けてきました。2008年にはプロダクトデザイナーの深澤直人氏とともに、工場の特性を活かした世界の定番となる家具を目指し、HIROSHIMAをはじめとするMARUNI COLLECTIONを発表。2011年にはジャスパー・モリソン氏が、2022年にはセシリエ・マンツ氏が加わり、年々その世界観を広げています。デザイナーと技術者が真摯に向き合い、100年経っても世界の定番として愛される、精緻で優れたデザインの木工家具をつくり続けることで、何気ない日常を美しく心豊かにします。

 
 

photo_中野一行
構成_広島 蔦屋書店 文学コンシェルジュ 江藤宏樹
 

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