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【インタビュー】苑田聡彦の太鼓判「伝説のスカウト 苑田スカウト統括部長がカープの未来へ繋ぐ価値」

 
黒田、江藤、金本、永川など、広島東洋カープの主力選手を数多くスカウトし、「伝説のスカウト」と呼ばれた苑田スカウト統括部長。過去、現在、未来のカープについて、長年カープを見てきたスカウトの目線で語ってもらった

 
 
スカウト目線でプロ入り「前」の選手を見るポイント
 
走り方やカッコ良いユニフォームの着こなし方、帽子のかぶり方から見ますね。ユニフォームというのは野球をする動きに対して機能的にできているので、その着こなしが良いということは野球をする体ができているということなんですよ。その後はキャッチボールを見て、ノックを見て、僕の場合はそこから始まります。ずっとそうしてきました。
黒田(博樹)、金本(知憲)などもそうですね。僕の目にはプロ入り前から輝いて見えていましたよ。これは偶然なのですが、みんな体も強かったんですね。みんな練習が好きで、黒田にしても、金本、江藤、栗原(健太)もみんなそう。結果的に大型のバッターばかり育ちましたね(笑)走り方やユニフォームの着こなし方はやっぱり天性のものがあります、本能と言ってもいいかもしれない。僕は大抵100人ぐらいずつ見たとしても、あの子かっこ良いな、違うな、光っているなという選手はわかるんですよ。プロ入り後に活躍してもしてなくても、入る時の彼らは僕にはみんなそう見えているんですよ。
 
 
 
 
スピードガンを持ったのはカープが最初でした。だから、ピッチャーは球速を参考にしていましたね。昔はみな大して速くなかったんですよ。スピードは135キロ出たら速い方で、140キロ出ているピッチャーがいたら、もう北海道でもすぐ飛んで行くほどでした。前田(健太)でもPL時代140キロ出ていなかったんですよ。でも走り方は光っていましたね。
 
オーラという意味では、原辰徳(前巨人監督)の親父(貢氏)は僕が高校の時の監督で、だから辰徳は2、3歳の時から見ているんだけど、辰徳が高校生の時には、彼には後光がさしている、映画の大スターみたいな感じがすると思っていました。
黒田を見た時もそうだったんですよ。忘れもしないです、専修大学の寮からグラウンドまでの坂道を歩いているのを見ただけで、「あれ誰だ?」と他の選手に聞いたぐらいですからね。当時は無名でしたね、大阪の上宮高校の時は4番手や5番手。あの当時、関西担当のスカウトが「知らない」と言っていて、ゲームでもほとんど投げていなかったと思うんですよ。それでも「モノが良いから獲ってくれ」と僕は言ったんです。

黒田は最終的にドラフト2位の逆指名で獲りました。あれは僕の評価です。たぶん、球団に聞いても資料はなかったと思いますよ。高校の時には投げていないし、大学も2部でしたから。黒田の時はよく学校に通いましたよ。練習試合だけではなくて、ピッチング練習だけでも見に行ったもんです。
永川もそう。県立三次高校という無名の学校でしたが、亜細亜大学の内田監督に紹介してもらって、じゃあ僕が預かるから、と言って獲ったら、トントン拍子で伸びていったんですね。何が縁か、誰が見て紹介してくれるかわからないものですよ。
 
ゲームの時に見に行ったピッチャーがノックアウトされたり。2点、3点取られた時に、べンチに帰る姿も、実はよく見ています。ベンチに座って下を向いているのか、くそっ次やり返すぞという態度をしているか、を見ているんです。シュンとした人は大体無理ですね。プロ野球選手には向いていない(笑)
やられたらやり返す、という気持ちになっている選手は大成しています。今の人はあんまり言わないけどね。三振取られたら次打ち返すという意味。ケンカじゃないですよ(笑)

 
 
 
スカウト目線でプロ入り「後」に伸びる選手のポイント
 
プロ入り後の選手は練習が好き、野球が好きじゃなかったらダメですね。みんなよく練習はしますよ。僕も現役時代はよく走っていました。僕の高校時代は1年生の時から自転車通学だったのですが、学校に行く前に、近くを走ってバットスイングしてから行っていたものです。みんな当然努力しているが、頑丈に産んでもらったことを親に感謝しなきゃいけないですよ。
 
僕が担当した選手は全員すごい練習量でした。それで体が強くなるんですね。僕が現役の時はみんな相当練習していましたよ。キャンプは宮﨑の日南に行ったら城戸荘に泊まってね。朝4時、5時には海岸を走っていたんですよ。それでその後、シャワーも浴びず、飯食ってグラウンドで練習。昔はみんなそんな感じでしたよ。ただ、僕はそれ以上の練習は、人前ではしなかったですよ。キャンプでも4、5人の部屋だったけど、部屋の外にバットを置いといて、街灯の下で1人でバットを振っていましたね。僕もやっていたけど、多分みんなしていたんでしょうね。ドアを閉められないように、ドアにストッパーをつけながらね(笑)
 
 
 
スカウトになってから見た中で、一番練習をしていたのは高橋慶彦ですよ。大体、日南キャンプは10時からですけど、8時には天福球場でティーをやって、みんなが来た頃にまた一緒にやって。終わったらゲージが2台しかないから、自分のグラブとスパイクとバットを置いて、誰も入らないよう人に頼んで場所取りをしていました。そこでマシンを打っていたんですよ。両打ちで右と左で打たなくてはいけなかったから、人の倍は練習しないといけなかったですからね。高橋慶彦はモノが違った。走り方も違った。スーッといかない、カッカッカッと足腰が強くないとできない走り方をしていました。
あの当時は若い選手としては、高橋以外にも、山崎(隆造)、長嶋(清幸)、長内(孝)がいました。当時の主力はみんな練習をかなりやっていましたよ。そうじゃないと自分がダメになったら違う選手が出てきますからね。危機感があったんでしょうね、よく練習していましたよ。アメリカに行った鈴木(誠也)はレギュラー取ってすぐのころから、ゲームが終わって調子や内容が悪いと、横のバッティング練習場でマシンを打っていました。毎日夜中の2時、3時まで打っていましたね。
 
僕は努力という言葉は嫌いなんですよ。プロはやって当たり前の世界でしょう。高橋にしても鈴木にしても、金本にしても皆野球が好きで練習やっていただけですよね。新井(監督)も駒沢大学の頃は言っちゃ悪いけど、投げ方も悪かった。監督就任の際に本人にも言ったんですけどね。駒沢大学の太田(誠)監督が「新井は、技術的には3流4流かもしれないけど、体力が超一流。これは面白い」と言っていた。あの時、ちょうど駒沢の先輩の大下剛がコーチになってちょうど合致したんじゃないかな。新井はとにかく体が強いんです。
 
キャンプの時ですが、新井が休みの前の日に飲んで朝に帰ってきたらしいんだけど、松原(誠)コーチが起きてきて「今からバット振るか」と言ったら「はいっ」と言って、その後ずっとバットを振っていたらしいですよ。僕が担当だった金本は、「飯食おうか」と誘ったら「体が出来ていないから、アルコール控えているんです」と断っていましたね。こっちは飯食いたいのに(笑)
 
今ではキャンプでも西川(龍馬)は若いやつによく教えていますよ。今はみんな仲が良いんですね。僕らの時は何も教えてくれなかった。見て盗めの時代でしたから。教えても結局、自分でやらんとダメ。自分で打てる、投げられる、捕れる、というのは身体で覚えんとダメなんです。そうじゃなけりゃ頭の中でわかっていてもとっさの判断が出来ないですよね。
 
 
 
苑田スカウトが太鼓判を押す選手とカープのドラフト戦略
 
太鼓判押す選手はみんなじゃないかな(笑) 
どうしてもと言ったら、その中でも去年のドラフト1位、斉藤(優汰)。たまたまテレビで3試合くらい見たんですけど、大事に使ってもらって、今年の秋のキャンプでフェニックス・リーグに行って投げさせて、それで十分体力もついたなと思ったら、来春の1軍のキャンプに同行させるんじゃないかな。僕はそう思っています。まぁドラフト1位ですからね。やって当たり前ですよ(笑)
 
うちは良い選手を取るわけじゃない。球団から言われていたことだけど、うちが欲しい「ポジション」があるからそこを重点的に狙う。他の球団だと2位、3位でもうちには必要と思ったら最初から1位で獲りに行く。それで単独指名が多くなるんですよ。
だから良い選手でもうちのポジションにすでに良い選手がいたら中々取れないことが多くなります。例えば今だったら菊池(涼介)。セカンドに良い選手がいても獲らない。獲っても出られないから。出られないと選手は死んでしまう。うちは活かしていくチームですから。小園もようやく出てきたからね。うちに入って出られなかったら意味がないじゃない。足が速い、守備がうまいような選手はうちには何人いるか(笑)

 
 
 
 
 
未来のスカウトへの技術伝承
 
僕は(当時カープスカウトの)木庭(教)さんからは、一言も教えてもらえなかったですよ。(笑)でも、それが逆に良かったなぁと思っているところはありますね。僕は本当は、引退したら3軍のコーチをやって守備を教えたかったんですよ。そうしたら関東・東北にスカウトがいないから、スカウトをやれと言われたんですね。
中央線沿いの後楽園や神宮に近いところでマンションを決めて、すぐ東京に引っ越しをしました。4月頃ですかね。何にも知らない時に、木庭さんから、電話じゃなくて手紙で「弘前へ行け」と言われましてね(笑)弘前ってどこだっけ。リンゴの国やな、という程度の認識しかなかったんですけどね(笑)朝上野を出て夕方青森行って、あの時は本当に泣きましたよ。駅から双眼鏡で旅館を探して電話で予約をして行きました。そこのお母さんが良い人でね、いっぱいごはん、おかず作ってくれてね。東北の人優しいなと。それに弘前公園が綺麗だったんですよ。リンゴの花とか見たりしてね。それがスカウトの最初でした。
 
 
 
 
木庭さんは何も教えてくれないんですよね。一緒に神宮で見ても、ほとんど話もしないです。ただ、「他のチームのスカウトの話は聞くな」とは言われていました。
僕らの時は、年寄がベンチに座っていて「この選手は良いな」と言ったら大体良くないんですよ。自分が気に入った人は他の人に言わないでしょ(笑)仲良いスカウトもいましたけど、一緒に食事行っても野球の話は絶対しなかったですよ。今の人はね、会話を聞いていたら、他のチームと一緒に飯食って色々話をしているようですけどね。
 
若いスカウトに対しては、30か条くらいの虎の巻のようなものを書いて渡してあります。「挨拶の仕方」「服装」「走り方」など。これ読んで勉強してから行け、とね。これは、自分でもうまいこと書いているなと思っています(笑)原本はまだ持っているんですよ。これのおかげで自分の現在があると思っています。若い人がその気になってやっているかは知らないけどね(笑)
僕はあまり技術的なことは若いスカウトに対して言っていないんですよ。

 
 
 
スカウトの醍醐味
 
江藤(智)に関してはそれこそ一本釣りでした。
どこの球団も「バッティングが良い」という評価だったんですけどね、投げられなかったんですよ。それで僕が監督に、ブルペンでゆっくり投げさせてくださいと言ったら、綺麗に投げるんですね。それで校長先生に会いに行きました。2、3年前にその高校ではドラフトになって指名しなかったということがあったようで、校長先生は信用していなかったんですね。だから自分で一筆書くことにしました。「ドラフト会議で関東高校の江藤智を指名します」とね。
江藤には、肘の痛みがあったのですが、一週間をしない間に痛くなくなったんですよ。他のチームはドラフト候補から外していたので、その結果、楽々江藤が獲れたんです。
 
金本は金本で、東北福祉大のグラウンドで、「良いリストしている」と思っていたんです。まだ3年生だったのですが、これは良いバッター、アベレージヒッターになるなと思いました。栗原(健太)も町田(公二郎)もそうでした。
 
 
 
 
 
スカウトの醍醐味?いや、醍醐味なんてないですよ(笑)
僕が獲った選手に対して、やってくれよ。伸びてくれよ。という期待もあるけど、不安の方が大きいですよ。僕は会議では絶対レギュラー獲れると断言して推していますからね。とは言っても楽しくもありますよ。自分はやっぱり野球が好きなんだなって思いますね。だから、今でも少年野球なんてやっていたら、立ち止まって見ちゃいますよね。
あぁこの子カッコいいな。違うな。光ってるな。って。
 
 
 
【プロフィール】
広島東洋カープ スカウト統括部長
苑田聡彦そのだとしひこ
 
 
1945年生まれ。福岡県出身。64年外野手として広島東洋カープに入団し、75年の初優勝にも貢献。77年現役引退後はスカウトに転身し、江藤智、金本知憲、黒田博樹、永川勝浩ら数々の名選手を発掘し入団させてきた。現スカウト統括部長。
 

photo_中野一行
構成_広島T-SITE 館長  出口哲郎
 

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