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【インタビュー】吉長邑彩の太鼓判「お茶と御縁に導かれて 田頭茶舗の歩みとこれから」 

 
田頭茶舗の始まりとは
 
創業から言うともう95年になりますね。元々は呉市でお茶問屋「田頭商店」をやっていたんです。私には兄がおりますので、もちろん兄が店を継ぐものだと思っていました。私が継ぐ気はまったくなかったんですよ。だから普通に結婚して家を出ていました。
でも、兄はお茶屋さんだけでは物足りなかったのでしょうか。ホテル業に手を出したのですが、それはかなり厳しい結果になりました。
私自身も30代の頃は大変な時期でした。離婚、難病、実家の借金と、すべて経験しました。それから40代の半ば、父親から相談があったんです。その頃、父親はほそぼそと一人でお茶屋をやっていたんですが、「もう高齢なのでお金も借りられない、名ばかりの社長になってくれ」と言われなりました。その頃には再婚をして、やっと安定した生活を送っていたんです。
その後、父が急に入院しまして、父がいないお茶屋はどうなってるのだろうと思い会社へ行ってみると、なんと大借金を抱えていたんです。すでに社長は私の名前になっていたので、廃業するか家業を継ぐかすごく悩みました。ただ、「俺の代で廃業したくない」という父の言葉と、「歴史はお金では買えない」という夫の言葉によって継ぐことを決意しました。
 
その頃は呉市もお茶業界も右肩下がりというか、よくない時期だったんですよ。30坪くらいの小さなお茶屋だったんですが、大借金はあるし、お茶は売れないし…八方塞がりでした。
当時、広島県って沖縄に次いでお茶を飲まない県ワースト2位だったんですよ。これではお茶は売れないと感じ、呉とか広島とかではなく、県外や海外に目を向けないとつぶれると思いました。せっかくお茶屋を継いだからには世界一を目標にしてやる!と決意を固めていました。
田頭茶店のお茶は深蒸し茶。それは、関東から兄が持ってきたもので、味が濃く旨みが強い。うちの特徴にもなっていました。
関西と関東ではお茶の味も違うんですよ。関西では基本的には浅蒸し、関東では深蒸しで濃い味が好まれます。私もこの深蒸し茶が好きでしたし、美味しさには自信がありました。それが飲めなくなるのは嫌だと思って。それも店を継ぐことへの動機となりました。

 
 
 
 
近年はみなさんお茶を急須で飲むことが少なくなり、簡単に飲めるペットボトルのお茶を購入されていますよね。
私がお茶屋を継ぐことになって、まずは手軽に本格的なおいしい日本茶を楽しめるよう、ティーパックのお茶を創ることにしました。絹目製のピラミッド型で、茶葉がホッピングして急須で入れた時と同じような味と香りを感じられるものです。
ペットボトルと急須の中間の手間で美味しいお茶がいつでもどこでも手軽に飲めるお茶、それらを県外のスーパーに卸してもらえたんです。そのスーパーで2年間マネキンをやって県外のお客様に試飲してもらいました。それを自分でやっていたんですよ。米子の時には早朝から3時間ぐらいかけて車で行って、そこでマネキンをやって試飲してもらって、また3時間かけて真夜中に帰宅して…、という生活を2年ぐらい続けました。大変でしたけど、そこでお客様の声を沢山聞くことができました。島根の人は、来客がある際には抹茶を点てたり、普段からもお茶をよく飲まれています。いい勉強でした。
そして今度は場所です。カフェといえばスターバックスとかドトールとか。気軽にコーヒーが飲める場所はありましたが、日本茶を一服するというような場所はありませんでした。もっと身近にお茶を楽しんでもらえる場所があったらいいのに…そこから日本茶カフェ“田頭茶舗”は始まったといってもいいですね。
 
 
 
 
吉長社長とお茶との出会い
 
私とお茶との出会いですが、もともと生家がお茶屋さんだったので、自然と子どものころから日本茶や茶道に触れられる環境でした。茶道は母親の勧めで高校生のころから習っていました。そのときはお茶屋さんを継ぐなんて全く思っていませんでしたけど、習い事の中でも茶道はずっと続いていて、もう30~40年ぐらいやっていますかね。でもその後お茶屋を継ぐ事になったので、茶道をやっていて本当に良かったなと思いました。
なぜ続いたか考えてみると、高校生のときに通っていたお稽古場が大邸宅だったんです。そこで手入れをされた庭を見る、鹿威しの音を聞く、先生が来られてお抹茶を点てる、そんな別世界にいるような雰囲気が好きだったんでしょうね。
 
茶道がどうとか千利休がどうとか、その当時はあまり解ってはいませんでした。ただ、お湯が沸く音、柄杓でお茶を汲む、茶筅の竹の香り、抹茶を点てる時に漂う茶の香り、自然な鮮やかな緑色、それらがすべて大好きでした。
 
その時、私が習っていたのは表千家だったんです。その大邸宅の雰囲気を味わせたかったという母の勧めもありましたし、もちろん母も通っていました。大学卒業後、広島へ戻ってきてから、今度は祖母が裏千家でしたので、別の流派も学んでみたら?ということで、裏千家へ通うことにしました。
両方習う人はあまりいないですよ。お作法も違ってとても戸惑うんですよね。ですが、両方を学んだという経験はすごく良かったと思っています。
 
詫び寂びと茶道の基礎を確立した千利休についても、あまり知らなかったのですが、今では知れば知るほど面白い人物なんです。もともと大阪の堺の商人なので、中国から入ってきた高い茶器(名器)などは買えないんです。そういったものは大名であるとかそういう位の高いお金持ちしか持っていなかったんですね。なので、千利休は日本独自の茶道具を創ったわけです。瓦職人の楽長次郎という人に創らせた楽茶碗は、それを茶席で使い、有名にして、価値が上がって値段が高くなった頃に売り出すという商売人としての才覚もありました。
また見立てに関しても優れたセンスを持っていました。魚をいれるびくや竹を切ってを花入にしたり、井戸の釣瓶を水差しにしたりと、身近な生活の道具を茶道具に見立て客人を喜ばせていました。
今も楽茶碗は代々作られています。初代の楽長次郎が作ったものは今では1億を超える値段がついています。茶道では、茶道具として古いものを取り入れることが出来ます。古い方が価値があるとみなされます。誰が使っていたか、誰が作ったのか?背景がとても重要です。
 
 
 
 
近年では茶道具も手頃な価格になってきています。手に取りやすい値段であれば、若い人も茶道を始めやすくなりますね。古き良き茶道具や着物などを若い世代に、そして世界に広めていきたいというのが今の想いです。
また茶道具を日常に使うことをお勧めしています。水差しや茶碗に花を活けたり、菓子器や灰器に料理をよそったり…私も日常生活の中であれやこれやと使っています。
古いものって落ち着きますよね。広島T-SITEのお店にも、昔からの桐たんすを置いています。私はどこのお店にも、必ず古いものを置くようにしているんです。そういったものが一つあるだけで、店の雰囲気も変わってくるんですよ。
 
 
 
吉長社長の太鼓判
 
私の太鼓判ですよね。ちょっと宣伝になってしまうのですが、これから商品化し、販売していきたいと思っているものがありまして。それが、茶の実オイルです。今売っているお団子も御縁があって創ることになったのですが、オイルもまた御縁で。ある日、世羅に住む若い御夫婦が相談に来ました。
「昔は世羅に茶畑がたくさんあったのですが、今ではほとんどお茶は生産されていません。美味しい茶葉を生産するには丁寧に手入れをする必要があります。ですが、放置されていると、お茶の木は大きくなり、花を咲かせて実ができます。さらに成熟して落ちた実の中の種を絞って作るオイルは、希少性が高く、豊富な栄養素を含んでいます。吉長さんとだったらこれを製品化して多くの人に茶の実のオイルについて知ってもらえるのではないかと思い、やって来ました。」というのです。実は、連絡をもらう何年も前に、ある講演会で一度お会いしていました。その時は、ほとんど会話もする機会もなかったですし、彼らもまだオイル作りを始めていませんでした。そんなほんの小さな出会いでしたが、今では嬉しいご縁となりました。

 
 
茶の実オイルのきっかけとなった 西夫妻と吉長社長の写真
 
 
私も自分がいいと感じたものしか売ることはできませんので、実際に使ってみました。まずは飲んでみたんです。油だけどすごくさっぱりしている。ただ、飲むのもいいけど、肌につけるともっといいのではないかという、美容に精通する娘のアドバイスがありまして、その通りにしてみたらすごく良かった。ビタミンEをオリーブオイルの5倍も含有しているので、本当に肌や傷、火傷などに良いと感じました。
 
 
 
 
世羅の茶畑の保存にもなりますし、御夫婦の助けにもなりたいという気持ちで、搾油機を導入した、茶の実オイル工場を世羅に作りました。世羅の土は「神が創った赤土」と言われるような良質なものなんです。さらに植えられているお茶の木も日本全国でおよそ3%しか栽培されていない在来種だから生命力が強い。また世羅のという特別な土地環境によって、自然の力を引き出す栽培方法が可能になり、オーガニックなものが出来るんです。
他にも、無駄にしたくないという想いから、茶の実の殻も製品化しようと思っています。種の殻はオイルを含んでいますのでよく燃えるんですよ。だから焚き火の中にいれると火を保ってくれますし、ほのかな茶の香りもしてパチパチと非常に癒される音がします。
それから実の殻は、お花のような可愛らしい形をしているので観葉植物を守るマルチング材として準備を進めています。とにかく全部素敵なんです。
 
 
 
これからの田頭茶舗は
 
最近はインスタグラムやユーチューブの撮影を行い、茶道具の使い方などを紹介したりしています。動画なら世界へ広がるんじゃないかと思って。
実は茶道具のお店もやっていたので、古い茶道具がたくさんあるんです。動画を使って世界に発信し、海外からでも気に入ったものを購入して頂けるようにしたいんです。茶道具は昔の物のほうが素敵なモノだったりしますからね。繰り返しになりますが、茶道具を日常で使う方法(インテリアや食器、花器など)の提案もしていきます。
美味しいお茶の淹れ方、お団子など和菓子の魅力、茶道具の楽しみ方、茶道の奥深さや面白みなどを、どんどん世界に向けて発信していきたいですね。
 
 
 
今までもそうですが、これからも新しいことをどんどんやっていきたいですね。それから、自分が使いたい!欲しい!というものを伝える、というのは大事にしたいです。味わった感動を伝えたいです。
ゆい庵も昔から大好きなお団子屋さん(もみじ庵という名前)だったから、無くなってしまったら悲しいと思い、お話を頂いた時に、引き継ぐことにしました。オイルも自分が使ってみて、良さを実感できたので、みんなにも勧めて使ってみてもらいました。
 
 
 
「結茶」のマークに込めた思い
 
 
 
 
私が創った商品には「結茶(ゆいちゃ)」というマークを付けているのですが、これはお茶の葉、一芯二葉のイメージもありますが、風呂敷の結び目でもあります。結ぶということを大事にしていきたいという想いを込めたマークなんです。人と人とを結ぶ、御縁を大事にしていきたいんですね。
人生そんなに長くないじゃないですか?短い人生の中で出会う人ってそんなに多くないです。その出会いって本当に貴重だと思うんです。出会い全てが必然で、それは絶対に大事にしたいし、大切にしたい。茶の実オイルもお団子も御縁があって一緒にやっているのですが、それがまた自分の枠を広げることにもなっているんですよ。
これからもきっと素敵な出会いはあると思うのですが、「出会いは宝」、全て大切にしていきたいと思っています。
 
 
 
 
私にとって、全てはお茶が縁を作ってくれているようにも感じます。「温故知新」という言葉がありますが、歴史から感じられるもの、実際に私が良いと感じるものなどを織り交ぜながら、世界に目を向けて、新しいことへどんどん挑戦していきたいです。それによってまた新しい御縁がたくさん生まれると嬉しいです。

今日はお話を聞いてくださって本当にありがとうございました。
 
 
 
【プロフィール】
吉長邑彩(よしながゆい)
広島県呉市生まれ。
三津田高校、フェリス女学院大学卒業。裏千家准教授。
株式会社田頭茶店(茶問屋、お団子製造卸)、イメージファーム株式(カフェ運営会社)、ザフィジックファーム株式会社(化粧品製造、卸会社)の代表取締役。お茶を通じて、茶道の魅力や日本のモノの良さを広める活動を行っている。近年は、YouTube やSNSを通じて世界に向け発信。日日是好日!一瞬一瞬を大切に精一杯生きることにしている。
 

構成_広島 蔦屋書店 文学コンシェルジュ 江藤宏樹
 

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