【裏方のコラム】ジョナサン・トーゴヴニク『あれから ─ ルワンダ ジェノサイドから生まれて』
ページを開く前から、思い出したことがあった。
2010年12月京都造形芸術大学(当時名称)のGalerie Aube ギャルリ・オーブでジョナサン・トーゴヴニクの前作『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を紹介する写真展が開催されていた。
この日は友人と自分を合わせて3名で会場に向かった。そのうち1人は女性。この展示を見たあと、その人は「先に帰る」と私たちと別れることになった。
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』は1994年にルワンダで起こった悲劇「ジェノサイド」で生まれた子供とその親30組を、2006年から約3年間を掛けて取材した写真が納められている。
※1994年ルワンダで起きたジェノサイドにおいて、100日間でおよそ80万人もの人々が虐殺され、さらに大勢の女性たちが武器としての性暴力の犠牲となりました。その結果およそ2万人の子どもたちが生まれたという事実は、長らく闇に葬られていました。
<赤々舎ホームページより>
前作『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』
――1994年の悲劇
その悲劇から生まれた親と、片親を知らない子供たちを同時に撮影した写真。そして各個人に起こった出来事が言葉として克明に記録された一冊。
この本を見返して思ったことがある。この出来事が1994年であるということだ。私たち(私という個人でもいい)が思い返す戦争や悲惨な人の行いを「昔の出来事」として捉えていないかということだ。いまが2020年。ジェノサイドはわずか26年前の出来事だ。出来事はいつでも起こる。まず、10年後となる本作を読み返す前に前作を見て、重たく胸に留めたことはその事実だった。そして、「先に帰る」と、この出来事をどこか遠くの出来事ではなく、あくまでも現実的な出来事として、またその事件の当事者の気持ちとともに見ていたのがその友人であったことを思い出したのだ。
『あれから』は前作を撮影した10年後、再びルワンダを訪れた作者が、当時とほぼ同じ構図と場所で、その親と子供を30組の中から16組を捉えた写真集だ。あの頃の子供たちは成人となっている。
『あれから ─ ルワンダ ジェノサイドから生まれて』
そこでは親だけではなく子供たちからの言葉も読むことができる。その事実について話す彼ら。彼らを正面から捉える作者。どちらにとっても自問自答の連続であったと思う。前作発表当時は自身の父の存在について、暗に気付いている者、まだ何も気付いていない者がいた。『あれから』では母からの告白を受け、それぞれの感情やその頃の対応が赤裸々に語られる。打ち明ける側と、打ち明けられる側とこれほど感情が揺れ動くことはないだろう。
――起こった事実を伝える
出来事を伝えること。一冊の本に納められた写真と写った人たちの声を読むことができる一冊。それを懇切丁寧に写真を撮り、取材に取り組んだジョナサン・トーゴヴニク氏と出来事の当事者として写真に写り言葉を掲載することを選んだ親子たち、その人たちがいたことによって、出来事が事実として私たちの手元に届けられている。この本を見た人々がここで感じたことから、また別の人へと伝わって、誰もが間違えないようにと心から願う。16組の親子、それぞれのエピソードが語られるたびにそう願わずにはいられないのだ。
大人になった子とともに。
2020年10月10日の赤々舎主催による本書のオンライントークイベントが開催された。出演者は企画、編集、翻訳者である竹内 万里子さん、社会学者の岸 政彦さん。全てを見ることはできなかったが、仕事の外出中30分程度の貴重な時間だった。
印象的だったのは竹内さんによる本作への丁寧な思いと質問に対して事実を伝える言葉の確かさ。そして、岸さんのお話は社会学者として人に聴く側(ジョナサン・トーゴヴニクと同じ役目)としての見解を聞けたことだった。長い時間を掛けて人に聞くという行為に求められる丁寧さ、声を出す人たちの変化によって、また引き際も大切となる。関係性とは生易しいものではない。
目の中にカメラを構えるジョナサン・トーゴヴニクが見える。
本書は、和英併記にすること、世界的な流通や展示などの展開を目標として、2019年12月~2020年2月10日の期間にクラウドファンディングを実施し制作されている。私自身もその知らせを聞いて、あの日の展示のことを思い出し、支援を決めた一人だ。
コロナ禍によって少し予定を過ぎて届いた写真集。そこには関わった人たちと作者からの感謝の手紙が添えられていた。装いは実に淡々としたもので、それは親子の写真と言葉に対峙することを本を手に取った私自身に委ねられているような感想を持った。ページを捲るペース、写真をじっと見る時間、とても強い気持ちも必要となる本で、ページを閉じることも許されているような、静謐な空気が漂う一冊となっていた。
手に取ってから随分と時間がかかった。前作は強烈に事実を伝えてくれた。そして今作は今も生きるその人たちを見ながら、私たちがこれからをどう考えるか、どうするかを問われているように思う。