遊郭 プリント作品  価格の安い順

遊廓とは、一定の区域に限って買売春が許されたエリアを指す。

古くは豊臣秀吉や徳川家康が、京や江戸に遊廓を開設した例もあるが、日本国土を視野に収めるならば、我が国の公娼制度が完成したのは、1900(明治33)年のことだった。
1958(昭和33)年に施行された売春防止法によって、沖縄県を除く国内の公娼制度が名目上廃止された。
大正14年にピークを迎え、552箇所を数えた遊廓は、戦後に赤線と名を変え、1,176箇所が簇生した。
都市化、工業発展、帝国主義、戦後復興で沸き立つ近代日本の底には、遊廓とそこで交情する男と女があった。

遊廓とは近現代の影であり、近現代の産物である。

私が遊廓を調査し始めたのは2011(平成23)年のことで、私は遅かった。わずか数ヶ月前に娼家が取り壊されたことを、訪ねていった遊廓跡近くに住む人から聞くことも数えれば切りがない。
じっくりと腰を落ち着けてフィールドワークに取り組める時期はとうに過ぎていることを知った。残された短い時間でできることは、視覚資料を残すことだった。
それから、400箇所以上の全国の色街跡訪ね、撮影記録を行った。

ここに収録した多くの娼家は既に失われている。

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