KENDAMA 最新のけん玉カルチャーを体感せよ
けん玉はいかにして
世界のKENDAMAになったのか
広島発祥のけん玉は海を渡って世界で大流行している
そしてその流れはもちろん日本に帰ってきた
東京原宿ではストリートカルチャーとけん玉が融合して
新たなけん玉カルチャーが誕生している
最新のけん玉カルチャーを体感せよ
けん玉とはどこで生まれたのか
けん玉に似たようなもので、最も有名なのはフランスのビルボケと呼ばれる玩具です。ビルボケとは、けん玉でいうとお皿が付いていない剣があり、そこから紐が付いていまして穴の空いた玉を刺すという玩具です。しかし、日本にあるけん玉の形とは大いに違っています。また、このビルボケが日本に渡ってきたという資料が全く無いため、ビルボケがけん玉の祖であるという証拠がありません。棒と玉を紐で繋いで棒の先に玉を刺して遊ぶ玩具は世界中で見受けられ、もちろん日本にもあり、江戸の昔から遊ばれていました。
現在のけん玉は日本で初めて作られた
ビルボケと同じような玩具は世界中で見受けられますが、日本では大正時代にまったく新しい形状のものがあらわれます。それが、現在のけん玉の祖である「日月ボール」です。
S型けんだま:新間氏所蔵
現在のけん玉の祖は広島県廿日市市で初めて作られた
大正時代に作られた、現在のけん玉の形に近い「日月ボール」は、考案者が広島県呉市の江草濱次(えぐさはまつぐ)さんで、それを生産したのが広島県廿日市市の本郷木工所なのです。これが大正10年頃の話で、けん玉発祥の地が広島であるという由来です。
日月ボールからけん玉へ
「日月ボール」が大ブームを巻き起こし、各地でたくさんの類似のけん玉が作られました。民芸品として作られるものも多かったのですが、けん玉の技に注目し、高度な技をやりやすくするために愛好家が集まったクラブでけん玉の改良が始まりました。最初の競技用けん玉といわれるS型けんだまが作られたのが昭和51年頃です。
けん玉から世界のKENDAMAへ
日本では愛好家などもおり、高度な技も生まれ、改良を重ね広く遊ばれていたけん玉ですが、現在は世界中で遊ばれています。海外でKENDAMAがクールでカッコイイ遊びとして広まったきっかけは、フリースタイルスキーの第一人者であるジェイピーが2007年頃に自らのスキー映像を収めたDVDのボーナストラックとして、けん玉を楽しむ様子が収められており、それを見たスキーヤーの間でまずけん玉が流行したと言われています。
2013年11月、原宿で開催されたけん玉JAM(GLOKEN、WISM主催)
KENDAMAとストリートカルチャーの出会い
アメリカのスキーショップで働くコリン・サンダーという人物がけん玉を手に入れ、けん玉の新しい技を習得するたびにYouTubeに投稿し世界中に発信し続けたのです。その技のクールさカッコよさが世界中で話題になり、けん玉ブームが海外で巻き起こります。その後、コリン・サンダーはKENDAMA USAというけん玉ブランドを立ち上げ、アメリカでのけん玉ブームを牽引していく事になります。けん玉で新しい技を開発し、それを組み合わせオリジナルのコンボを作るという遊び方がスケートボードやBMXのカルチャーと親和性が高く、ストリートカルチャーの中でフリースタイルけん玉という新しいプレイスタイルが生み出されます。
KENDAMAカルチャーの逆輸入
海外で流行っているけん玉の映像はYouTubeなどで日本にも入ってきました。それを見た日本のスケートボーダーやBMXライダーの間でもけん玉がカッコイイものとして流行り始めました。そして、日本発、広島発のけん玉文化は、長い年月をかけて世界を旅して、また日本に帰ってきたのです。今では、広島県廿日市市でけん玉ワールドカップが開催され、20の国と地域から366名の選手が出場する世界大会も開催されており、今後ますますけん玉熱は高まっていくことが予想されます。
資料提供:グローバルけん玉ネットワーク
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フェア協力
一般社団法人グローバルけん玉ネットワーク
DECADE
Kendama shop & salon 夢 マリーナホップ本店
Kendama Shop yume
https://www.iwata-mokko.jp/shop/kendama-shop-yume/
- フェア 7月18日(火)ー 9月12日(火)
- 場所 2号館1Fフェア開催中