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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.310『歌われなかった海賊へ』逢坂冬馬/早川書房

蔦屋書店・江藤のオススメ『歌われなかった海賊へ』 逢坂冬馬/早川書房
 
 
歴史小説を読む喜びのひとつに「知る喜び」というものがあると思っています。
単純に知らなかった歴史的事実を知ること、過去にこのような事があって、それで今があるんだ、ということが知れたり、なるほど今このような事が起きているのはあのときのあれが原因だったんだなということがわかったり。
ただ、それは単純に歴史を勉強することで知ることはできるのですが、主人公と一体になるような感覚で読む小説で知る歴史とは臨場感や記憶への残り方が違うのではないでしょうか。
あとは、勉強として習う歴史だけですべてが網羅できているとは限らないのです。大きな歴史の流れの影に隠れてしまった、小さな者たちの声が拾い切れていない可能性は非常に大きいのです。
私が本当に知りたいのはその小さな者たちの声なのです。
 
逢坂冬馬さんは、デビュー作である前作『同志少女よ、敵を撃て』早川書房 で本屋大賞を受賞するという非常に華々しいデビューを飾った話題の作家さんです。
その作品では、独ソ戦当時の女性狙撃兵の活躍を書いています。
基本的には史実にしたがって、ですが、逢坂さんの想像力を駆使してのフィクション部分で登場人物たちのドラマを書き上げ、まさにその時代の目撃者となったような感覚で、非常に引き込まれました。
そこで、歴史では大きく語られることがなかった、ソ連の女性狙撃兵の存在を知って、更にこの本を読んだことから興味が湧いて『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 三浦みどり(翻訳)/岩波現代文庫 を続けて読みました。
 
逢坂冬馬さんの小説は、大きな歴史の流れの影で、でも確かにそこにいた人たちをすくい上げるように書く、まさに知ることの意味を考えさせられるような小説です。
 
そのような大きな歴史の流れの中で、その渦に翻弄されてしまって、でも確かにそこにいた人を書いた優れた作品に、ソ連崩壊時の若者たちの物語『ラウリ・クースクを探して』宮内悠介/朝日新聞出版 もありますので、もしご興味があればこちらも。
 
話を戻しますと、今回の作品では、ソ連の女性狙撃兵よりもさらに歴史に残されていない、ナチ政権下にあったエーデルヴァイス海賊団のお話です。エーデルヴァイス海賊団という名前に聞き覚えのある方はおそらくほとんどいないのではないかと思います。そのぐらい資料も残っていない小さき歴史の声です。当時のナチ政権下においても、ドイツの人々が全員一丸となってナチスを指示していたわけではありませんし、ドイツに棲む人たちもすべてが単一の民族ではもちろんありません。大きく見るとナチ政権下のドイツですが、そこにはひとりひとりの暮らしがあり、考え方があったのです。
ナチスの青年組織団、ヒトラー・ユーゲントについては多くの資料が残っており、聞いたこともある方も多いと思います。今回この小説で語られるエーデルヴァイス海賊団というのは、ヒトラー・ユーゲントと対抗する勢力というわけではないのですが、結果的に対立することになります。というのも、エーデルヴァイス海賊団というのは、一枚板のひとつの組織ではなく、自然発生的に各地にできた若者たちの集まりだからです。そしてその海賊団の考え方というのは、彼らの自由を守るため、自由に生きる、自由に遊ぶ、というものです。反体制の組織というわけでもありません。
 
今回の物語の主人公のヴェルナーは、父親を処刑され、その土地での居場所をなくしてしまいます。しかし、彼のもとに現れた1人の少年と少女と共に、エーデルヴァイス海賊団として生きていくという居場所ができるのです。彼らは自由を得るために、ヒトラー・ユーゲントと対立しながら、時には法を犯して戦います。
そんな時、彼らの棲む市に鉄道が敷かれるのです。それは市を豊かにするものとしてみなが喜んで受け入れて、ヴェルナーもその鉄道工事によって仕事を得るのですが、終点だと聞いていた鉄道はその先にも伸びているのです。一体その先には何があるのか、当時は子どもたちだけで宿泊しながら移動する(ワンダーフォーゲル)は禁止されていたのですが、彼らはその先を見るために出かけるのです。
おそらく、感のいい方なら、その電車が行き着く先、隠されたその終点に一体何があるのか、わかると思うのですが、まさにそれ(収容所)があるのです。
それを知ってしまった彼らは一体どうするのか。
私達も本を読むことで様々なことを「知り」ますが、「知る」ということは本当に危険なことでもあります。「知って」しまったが最後「知る」前には絶対にもどれないのです。
そこで彼らが取った行動とは。
 
さらにこの小説の凄まじいところは、ただの痛快な冒険物語にはならないところです。
はっきりと言ってしまいますが、これはものすごく悲しい物語です。しかしそれこそが嘘のない、誠意ある、歴史小説の書き方のひとつなのだろうと思います。
ですが、どんなに悲しい物語になろうと、この小さな者たちの声を拾い上げて歴史の表舞台に登場させる逢坂さんの真摯な思いはこの小説を読むことで伝わってきます。その思いを私達は受け取らなければならないのだろうと感じます。
歴史は常に勝者によって語り継がれますし、紡がれていきます。しかし、その影には、被害を受けたり、迫害されたり、生活に苦しんでいた、声なき者たちの人生もあるのです。その物語に触れる事ができるのが歴史小説を読むことの意義のひとつでもあると思っています。
 
その意味では、もう一冊本をおすすめさせていただきたいです。この本と合わせて読むとさらに理解が深まるかも知れない本です『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのかーー民主主義が死ぬ日』ベンジャミン・カーター・ヘット(著)、寺西のぶ子(翻訳)/亜紀書房 です。その当時のドイツがどのような状況で、なぜヒトラーが現れたのか、なぜ人類史上最大の悲劇が起こってしまったのか、その一端に触れることができるかもしれません。
 
先程もいいましたが、今回紹介させてもらった小説はとても悲しい物語です。しかし、わたしたちが知るべき物語だと思っています。歴史を知り、歴史を学ぶ事は、同じことを何度も繰り返してしまう人類にとって絶対に忘れてはならないことだと思っています。
その意味でも私は逢坂冬馬さんの小説をこれからも読み続けていくと思います。
 
 

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