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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.354『墳墓記』髙村 薫/新潮社

蔦屋書店・神崎のオススメ『墳墓記』 髙村 薫/新潮社
 
 
人は死に際に自分の人生を走馬灯のように見るという。
男は自死を図り、まさに死に瀕していた。
男にあるのは四肢を持った肉体ではなく、何かの塊と化して中空に浮かんでいるような感覚。頭の中には時間と空間が絡まり、混沌とした映像が浮かんでくる。これは夢だろうか。まるで海馬にしまい込んでいた、あるいは無理やり閉じ込めていた記憶が堰を切って溢れ出したかのようだ。
男は能楽師の家に生まれ、祖父や父の舞う姿を見て育ってきた。男の夢を導くのは古典の情景であり、万葉の時代から定家や業平、源氏物語の歌詠みたちの響く声だ。それは祖父や父から学び、想像し、慣れ親しんだ懐かしい景色であろうか。
だが男は能楽師にはならなかった。面をつけ装束のまま縊死した祖父への思いや、殺したいほど嫌悪した父への反発からだったかもしれない。
男は四十年、法廷の速記人として平凡に勤めた。もう名前も思い出せない女性たちとの会話や映画、音楽が男の夢を彩る。やがて結婚、娘の誕生。その娘ももういない。
男の夢はすでに墳墓=墓の住人となった人々の回想と思いの発露だ。夢の中で男は父の能楽師としての非人間的な美しさを畏怖し、否定することでその美しさから逃げようとしていたことに気づく。死を前にして男は、父に対して抱いていた重い感情を解きほどく。
夢は彼岸と此岸をつなぐ橋のようなものなのだろう。男の最期は穏やかだ。

男はひとつ深呼吸をする。長い間見ていなかった、くっきりとした気持ちのよい大眺望が眼の前いっぱいに開けてゆく。もう言葉は要らない。ふきはらふもみぢのうえの霧はれて峯たしかなる嵐山哉。

作家髙村 薫は古典と現代をシンクロさせる圧倒的な知識と、時に冷徹とも思えるまっすぐな視線で、一人の死にゆく男の夢を描き出した。
一読では感じることしかできない。じっくり再読して男が抱えているものが少し理解できる。三読、四読すれば物語のもっと深いところへ入って行けるだろうか。じっくりと向き合いたい一冊だ。
 
 
 

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