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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.257『くまさぶろう』もりひさし ユノセイイチ絵/こぐま社

蔦屋書店・佐藤のオススメ『くまさぶろう』もりひさし ユノセイイチ 絵/こぐま社
 
 
『くまさぶろう』は、四十年以上版を重ねてきた本だが、私はずっと知らずにいた。絵本ではあまり他に無いようなお話だと思う。作者はもりひさしさん。エリック・カール『はらぺこあおむし』の邦訳を担当された方だ。
まず、内容を一通り紹介しようと思う。

あるところに、くまさぶろうという、大変腕のいいスリの男がいた。くまさぶろうは、子どもが持っているスコップや、これから食べようとしたコロッケ、果ては動物園のゾウまでも、誰にも気付かれずに盗むことができた。彼は、自分の持っていたものや目の前で見ていたものが突然消えて、驚いている人たちの様子を陰で眺めては、ひとり面白がるのだった。
 
ある日、住む家を失くしおなかを空かせながら歩いていたくまさぶろうは、町のレストランで食事を終えてくつろいでいる女の人を見かけると、狙いを定めて、なんと、その人の美味しい料理を食べた満足感を盗みとってしまう。彼はとうとう、人の気持ちまで盗むことができるようになったのだ。
 
くまさぶろうは、どうしただろう。
彼は、街中の通りを急いで駆けてきた女の子が、転んでおでこを打ったのを見ると、その子の泣きたくなる気持ちを盗んだ。夕暮れの公園で、友だちからいじめられ一人うなだれている男の子の、情けない気持ちを盗んだ。盗んだくまさぶろうは痛くなったり苦しくなったりしたが、その子たちが元気になった姿を見ると、彼は幸せな気持ちになるのだった。
 
そのようにしてくまさぶろうは、今日も人知れずどこかの町を訪れては、子どもたちの辛い気持ちや悲しい気持ちを盗みながら、旅を続けているそうだ。…
 

きっと、このお話を聞き終えた子どもは、もしかしたら自分のところにも、いつか優しいくまさぶろうが来てくれるのではないだろうかと、淡く想いを馳せるだろう。それはこの絵本の、子どもたちへの素敵な贈りものであると思う。
 
けれどもまた一方で、この不思議な味わいを持つおはなしを読みながら、どこか胸を衝かれるような気持ちになるのは、主人公であるくまさぶろうが、ずっといつもひとりであるということだ。それは他ではあまり見られない、この作品の特異な個性であると思う。
 
日陰者の泥棒であるくまさぶろうは、ふらりと一人暮らしの家を出て、誰とも話さず町をうろつく。盗んだり驚かせたり喜ばせたりしては、離れたところでそっと相手の反応を確認する。他者にはたらきかけて影響を与えるが、相手に自分は映らない。その人の気持ちまでも盗めるのに、意思の疎通というものはない。
 
この物語は、一体何だろうかと思う。
たとえ泥棒だとしても、心のどこかで、人は誰かに自分のことを理解してほしいと願うものではないだろうか。初めから終わりまで、他者と関わりを持ち自分を相手に知ってもらうことを、望みさえしない主人公の心のありようとはどのようなものなのか。
くまさぶろうとは、何なのだろう。
 
ひょっとしたら、くまさぶろうは、もう死んでしまっているのかもしれない。小さく縮めた動物園のゾウが、元に戻って家が吹き飛んでしまったそのときに。あるいは魔法のようにあざやかに盗めるようになっていたときにはもうすでに。
誰かに理解されることを求めず、そして誰にもその存在を気づかれないくまさぶろうは、まるで、この世のものでない、さみしい幽霊のようにも見える。
 
だがそれは、やはりちがうだろう。そうではなく、子どもたちが持つ不安や苦しさを引き受けることを自分の喜びとして、旅を続けるくまさぶろうは、ひとりぼっちでいるうちに、いつの間にか天使のような存在になっていたのだと、考えるほうが合っているのかもしれない。
 
泥棒を主人公とした、この風変わりな絵本が描いているのは、おそらく人のすがたではないのだろう。
この本を読んで胸を打たれるのは、たぶん、天使がいるのを目にするのに似た気持ちになるからだと思う。
 
作者の方がどのような思いでこの絵本を作られたのか、知ることはできないが、くまさぶろうが持つ優しさと、ともに背負ったそのさみしさは、きっと、今もどこかで人知れず、ひとりぼっちの誰かの心をそっとあたためてくれている。この本は、そんな役目を担うために生み出され、遺されてきたのではないかと思う。
 
 
 

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