広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.106

蔦屋書店・犬丸のオススメ『ダイエット幻想 やせること、愛されること』磯野真穂 著/ちくまプリマー新書
 

 

先日、ひろしま美術館へ、「岸田劉生展 写実から、写意へ」を観に行った。岸田劉生の代表作といえば、「麗子像」だと言ってもいいだろう。だが、それ以上に強く心に残った作品があった。「裸婦習作」。女性の首から太ももまでを描いた油絵だ。丸みを帯びたおなか、細く筋肉質そうな両腕。農夫だろうか。崩れかかった身体のラインはとても力強く、その身体に女性の今まで歩んできた人生が刻まれているようで、とても美しく感じた。長時間、観ていても、その個性的な身体は、飽きることはなかった。

 

振り返るとどうだろうか。いつの間にか、「やせる」ことを多く人が目指す。もちろん病気などのために、食事を制限しなければならない人も多いことだろう。だが、ダイエットという名のもとに、情報はあふれている。細く均整のとれた身体が憧れの対象となる。

心の多様性は認められつつあるのに、なぜ、身体を一様に「やせる」ことへと向かわせてしまうのか。「やせたね」は、「健康的だね」より、むしろ「きれいになったね」とか「かわいくなったね」と同じ誉め言葉として扱われている。

 

著者の磯野真穂さんは文化人類学者で、摂食障害の調査や、拒食と過食の研究をしている。2016年からは、「一億総やせたい社会を見つめる文化人類学ワークショップ・からだのシューレ」を開始。「からだのシューレ」とは、身体と食べ物を、社会のつながりから考えるワークショップだ。「やせたい」気持ちにがんじがらめにされてしまい、食べること自体が辛くなってしまった人達の心を、ワークショップを通じて解きほぐそうとしてくれている。

 

本書は、決してやせたい気持ちを否定しているわけではない。

「やせたい」という気持ちは、心のうちから自然に出てくるのではなく、「やせたい」と思わされている側面がある。体重を追うことに疲れた人が、「やせたい」気持ちとうまく付き合う方法を考えるために書かれている。

 

第六章「数字の魔力で世界が消える」では、食事を数字に変換することが恐ろしくなる。

ダイエットは自己管理することでもある。だがそれによって、食べ物が栄養素となり数値に変換される。「おいしい」よりも、カロリー計算と、必要栄養素ばかリが頭の中を駆け巡る。ダイエットしていない時よりも、食べ物のことを考え、食べることに不安すら感じる。栄養素として食べ物を考え口に入れるときは味などしない。食べることが辛い。

「おいしい」が消えるのだ。

この数字の魔力に取り込まれていないかは、「おいしい」を失っていないかで確認できるのだという。磯野さんは大学の講義で「最近おいしいな、と思ったエピソードは何ですか」と、大学生に尋ねる。

「おいしいな、と思ったエピソード」は、誰もが、食べた物だけを思い出すわけではないだろう。それが、高級かどうかが大事でもない。そこに流れる時間こそが大事なのだ。おいしさとは、食べ物とともに現れる、自分だけの物語もともに味わうことだと。

食べることは、時間が来れば行う単なる栄養補給ではないし、身体は、ガソリンを入れただけ走る車のようなものでない。

 

どの章も「やせる」ことについて考えさせられる。とはいえ、ダイエットとは無関係だという人もいるだろう。だが、本書はそれだけではない。承認欲求やジェンダー、その他、様々なことを内面化させてしまう社会的構造についても考えることができる名著だ。

 

そして、終章の「世界を抜けてラインを描け!」では「生きる」ことについて語られる。ここは、ぜひ、本書を読んでもらいたい。ラインを描くとはどういうことなのか。「自分らしさ」とは、どういうことなのか。承認欲求なんて誰でも持っている。ただ、他者と自分を比べ、誰からも愛されたい気持ちで苦しくなっているのなら、磯野真穂さんをおすすめしたい。そうでない人へも、もしかしたら他人への安易なアドバイスのつもりの言葉が、その人を苦しめる言葉になっているかもしれないとしたら、どうだろう。この終章は、同じく磯野真穂さんと哲学者・宮野真生子さんによって書かれた往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社)(広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.98)の9便「世界を抜けてラインを描け!」とリンクしている。他者を理解し寄り添うとは、どういう事なのか。

二冊を合わせて読んだ後、静かに振り向いてください。きっとあなたが歩いてきた人生のラインが見えることでしょう。そして、目の前には、あなたがこれから先、歩いていく無限ともいえる分岐点が、見えてくるはず。そこには、唯一無二のあなただけの個性的な身体が在るのだ

 

 

 

 

【Vol.105 蔦屋書店・丑番のオススメ 『聖なるズー』】

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