広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.112

蔦屋書店・江藤のオススメ『中央駅』キム・ヘジン/彩流社

 

 

 

僕はなんのために本を読んでいるのだろう。

 

とふと思ってしまう時がある。

今回紹介する本『中央駅』を読み終わった時にもそう思った。

 

決して面白い本ではない、役に立つかもよくわからない、ハラハラドキドキもしない、スカッとする本でもない、感動もしない、涙もでない。

読後感は正直、悪い。

 

でも、僕は絶対的に凄い、素晴らしい本だと思ったし、読めてよかったと思った。

 

「役に立つ本」は読む意味があるだろう。

いわゆる実用書と呼ばれるような本だ。

料理のレシピ、法律上の手続き、スポーツの練習方法やルール、手芸の本、占いの本、恋愛マニュアル、美容本などだ。

 

「面白い本」は読んでいて楽しい。

ドキドキハラハラするが、最後の1ページで見事などんでん返しがあって、衝撃を受けるようなミステリー、恋愛小説やその世界にどっぷり浸って涙するような感動小説、痛快な活劇のような胸をすく物語、読んでいてワクワクするような知的好奇心に溢れた本、などだろうか。

 

他にももっと様々な本があるが、あげていてはきりがないのでここまでとしましょう。

 

では、文学作品の中でも、純文学と呼ばれるような作品を読む時に、私達はいったい何をもとめているのか。

 

『中央駅』は韓国の新進気鋭の若手作家、キム・ヘジンの作品である。

主人公は、中央駅周辺に寝泊まりしているホームレスとしては若い男性だ。

彼はある日近づいてきた同じくホームレスの女に、彼の持ち物の全てであったキャリーケースを奪われてしまう。

それから、彼は憎しみをもって女を探す。

ある日、女は彼の前にあらわれる。

いつしか彼は、女のために生きるようになる。

たれた胸と腹水が溜まってぽっこりと膨らんだお腹をかかえた女を彼はかけがえのないものと感じるようになってしまう。

 

この小説をざっくりと説明するとこんな感じになる。

これは決して間違ってはいない。

しかし、これはこの小説とはまったく違うなにかなのだ。

あらすじとも言えない。

なにひとつこの小説を表してなどいない。

 

 

ここでもう一つ問いたい。

なぜ文学が生まれたのか。

 

 

なぜこの小説『中央駅』は書かれなければいけなかったのか。

 

人間は理性や損得では計れない矛盾や不条理を抱え込んだ存在だといえる。

感情や行動に合理的な説明など出来ない。

ゆえに、人間を書いた物語にはなにが書いてあるのかはっきりとした答えなどない。

 

哲学者ウィトゲンシュタインはこう言った。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

 

これはいわば、文学の死を意味するのではないか。

少なくとも、文字通りにとれば、文学の敗北をあらわしていることに間違いない。

 

しかしここで、私が何度か引用したことのある、知の巨人ウンベルト・エーコの言葉が文学の存在意義を高らかに宣言してくれる。

 

「理論化できないことは、物語らなくてはならない」

 

なんど聞いても素晴らしい言葉だ。

これこそが私達が文学を必要とする理由なのだ。

 

どうやっても表現できないもの、いい悪いもなく、カタルシスもなく、どういった感情をもってしてもあらわしきれないなにかは、あらゆる言葉を費やすべきであり、それがどんなに汚くたって、泥にまみれていたって、面白さは無くたって、物語るべきなのだ。

とにかく私達に与えられた言葉を組み合わせて、ただただ物語ることでしか、それは表すことができない。

 

そこに文学が生まれる。

 

この小説の中には、素っ裸の生身の人間しかいない。

そこには、駆け引きや忖度が入り込む余地もない。

そこにはなにもないのだが

そこには人間のすべてがある。

 

この小説を読み

心に傷を受けて

表現できないなにかを

胸の内にとどめた時

 

あなたと文学は、一体となるはずだ。

 

 

 

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