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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.216『我が友、スミス』石田夏穂/集英社

蔦屋書店・江藤のオススメ 『我が友、スミス』石田夏穂/集英社
 
 
鋭く、それでいてずっしりとした重さを持った衝撃を胸に受けてしまった。
 
芥川賞候補となってから手にとって読み始めたので、私の中にある種のバイアスがかかった状態で読んでいたのもあるのだが、序盤の感想は
「なんだろう、文学なのかとかどうでもいいけど、めっちゃ面白い小説だな」
であった。
 
非常に不思議なのだが、ただ筋トレをする描写が続く場面もあるというか、ほぼ筋トレをする描写で占められているのがこの小説の特徴なのだが、なぜか非常に面白い。
筋トレをする様子の描写が文学であり得るのか、そんなことを考えながら読み進めていたのだが、その面白さが先に立っていつの間にか物語に飲み込まれていた。
 
そして読み終わって感じたのは
「なるほど、これは文学だ」
という感慨。
そして胸に残るのは鋭く重い一撃だった。
 
多くの人が感じている今の世の中の生き辛さ。
もちろん私も大いに感じて日々を過ごすそのひとりだ。
そこから逃げ込む先としてのひとりで打ち込める趣味。
それは私にとっては読書だったのかもしれないし、U野にとっては筋トレだったのだ。
読書も筋トレも完全にひとりで好きなだけ打ち込める趣味という共通点はある。
 
しかし、世界と完全に断絶して自らとだけ向き合うという意味では筋トレこそが最高のひとり遊びなのかもしれない。
すべてのあらゆるしがらみから開放されて、誰とも関わらず、それに没頭するのは本当に楽しい。さらに筋トレ特有の麻薬的中毒性というのは、やればやっただけ自らの体の変化として、目に見えて実感できる成果が得られる、努力がそのまま返ってくる、というところだろうか。
 
ただ、それはひとりで完結しているうちは、だが。
 
私は好きだった趣味としての読書をある意味仕事にしてしまった。
書店員という仕事は本を読むということも仕事のひとつになってしまう。
そして、多くのスタッフと働く書店という職場は誰とも関わらずひとりで読書をしていたときとは何もかもが違っていて、もはやあのころ楽しくて仕方なかった読書という趣味は私の世界からは奪われてしまったに等しい。
好きなことで生きていく、とはユーチューバーの言葉だったろうか。
私は個人的には好きなことは趣味でとどめておいたほうが絶対にいいと思っている。
 
物語の主人公であるU野は、完全にひとりの楽しみとして筋トレに取り組んでいたのだが、とある人に見いだされたことから、それはクラシックなボディビル大会への挑戦のため、に変わってしまう。
筋トレの目的が競争に勝つため、というものに変わった時、ごくごく個人的なものだった彼女の筋トレという世界に新たな社会が誕生することになる。
その社会の中に身を置くことは、否応なく他人と比較されるということだ。他人と競争して勝たなければならないのだから。
 
今までひとりでやってきたので関わらなくても良かった他人。他人が集まれば必ずできる社会。その中で自分をどこに置くのか、社会のルールに従いながらどう生きるのか。
そこで改めて突きつけられるジェンダーの問題。
ただ楽しいからやっていただけなのに、競争に勝つための手段としての筋トレをするようになる。そして、勝つために自らを飾り、審査員に好印象を持たれるために表情を作り、肌をメンテナンスし、髪を伸ばす。
 
私を見出してくれたあの人の期待にこたえたい。そう思うことがすでにひとりでの楽しみだったあの頃と比べるとモチベーションが違っている。そして確かに新たな目標に向けて取り組むのは楽しい。
 
けれど、彼女が本当にしたかったのはそれなのか。
私が本当にしたかった読書を、私はすでに手放してしまっている。
なにかを突き詰めていくという過程において、人は社会から逃れることはできないのか。
 
いや、道はひとつではないはずなのだ。
もっと多様な道があるに違いないし、あって欲しい。
そしてそれを自由に選べる世の中なら最高じゃないか。
 
U野は物語の中で、とある決断をする。
私には出来ないかもしれないが、それを羨ましいと思った。
人によっては、なんで?ってなるかもしれないけど
私はすごくよかったと思った。
ホッとした
希望でしかない。
 
人はひとりでは生きられない。
だけど社会に取り込まれたくないのなら
取り込まれない生き方も選択出来るはず。
 
究めたその先に行き着く道は決して1本ではないはずだから
もっと自分を見つめて、自分に従って
 
いまよりも少しだけでも自由に生きたいと思った。
 
 
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