広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.161

蔦屋書店・丑番のオススメ 『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』 川端裕人/筑摩書房
 
 
タイトルの不思議な社会とはどんな社会を指しているんだろう。
 
それは色の見え方が通常とは異なる人を、ことさらに区別する社会のことだ。
かつては、学校で全児童を対象とした色覚検査が行われ、異常と診断された人には、さまざまな進学や就職の制限があった。それのみならず、優生学の観点からも色覚異常が問題とされ、当事者たちやその家族が劣等感を感じるようなことがあった。
 
本書でも引用される音楽家、團伊玖磨の『パイプのけむり』(朝日新聞社、1964)に所収の『色盲』というエッセイ。図画の時間でバラの花を写生しているときに、教師から見たとおりに描けと指導され、みんなから笑われたというエピソード。そのときの心境が下記のように綴られている。「美を習うべき図画の教室で、僕は屈辱を習い、憎悪を習い、嘘を習得したのである。」
 
1980年代から先進的な眼科医が「作られた障害」として色覚異常の問題を指摘し、色の見え方の違いによる就労・進学制限についても緩和されていき、2003年には、色覚検査は学校検診の必須項目から削除され、全国ほとんどの学校で行われなくなった。就労に際してもごく一部の職種を除いて制限が取り払われていった。
 
しかし、2015年ごろより、色覚異常を専門とする眼科医から色覚検査を以前のように幅広く行い、当事者は自らの職業適正をするべきだという意見が強く提言されるようになった。また、当事者も気づかないような少しの異常こそがもっとも危険なのだという声も眼科医からあがっている。
 
そのように正常と異常は、はっきりと切り分けができるものなのか?そして、なぜその意見が患者によりそっている眼科医から出されたのか?というのが本書の問題意識だ。
 
それを検討するために、著者は色覚についての科学の最前線、「色のふしぎ」を追いかけていく。ここが本書でも最大の読みどころだ。脊椎動物の色覚変化についての研究、ヒトゲノムについての研究、視覚的体験の脳内での信号処理についての研究。科学の最前線をわかりやすく紹介する著者の手腕は見事で、とても楽しい。
 
それらの研究から、人の視覚は、多様なものであるということ、正常と異常をはっきりと区別できない連続的なものであるという結果がでている。また、色の見え方が異なることが人類の進化の観点からも重要であったのではないか、ということも示唆されている。多様性が人類を進化させてきたといえるかもしれない。
 
それでも、と。色の見え方の違いで、現実に困っている人がいるのだから、そこに対する手立てを何かするべきではないかという声はあると思う。著者もそのことの否定はしないし、ユニバーサルカラーについては積極的に取り入れていくべきだとしている。ただ、手段として、大規模な色覚検査を行い、当事者を洗い出すことには否定的だ。
 
色覚検査の復活を訴える眼科医たちは、困っている当事者たちの声を聞き、それを解決する手段として、検査の復活を主張している。しかし、そこに科学的なエビデンスが存在しないのでは、と著者は考えている。1990年代から世界の医学の主流的な考えになっている「科学的なエビデンスに基づいた医療」(EBM : Evidence Based Medicine)。なぜエビデンスが重視されるかというと、どんな専門家であれ主観的な意見にはしばしばバイアスがかかるからで、治療が統計的な検証に耐えるものであるかという視座が常に必要だという考え方だ。
 
大規模な色覚検査を行うことにより得られる利益と損失を考えたときには、損失のほうが遥かに大きいと著者は考えており、その科学に基づいたロジックには説得力がある。
本書は色の不思議を描きながら、21世紀という多様性の時代を生きるわたしたちに大きなヒントを与えてくれる。
 
また色覚検査を考えるにあたって、スクリーニング検査のメリットとデメリット、検査の感度と特異度、偽陽性と医療リソースについてなどが詳細に検討されており、コロナ禍の情報リテラシーをあげるための考え方が満載で、そういった意味でも必読の一冊である。
 
 
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