広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.155

蔦屋書店・江藤のオススメ 『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』 タラ・ウェストーバー/早川書房
 
 
凄いものを読んでしまった。
 
正直、この本について簡単に感想を述べることができそうにない。
ある女性の人生を振り返って書いた家族の物語ではあるのだが、あまりにも現実感がなさ過ぎて、自分の中に共通のカードを見つけることができない。
私が持っている手持ちのカードに彼女の持っているカードと共通するものが全く見あたらないのだ。
 
この物語が、現代とは時間的に遙か彼方の昔の話であれば、私はそれなりに納得出来たのかもしれないが、現代の物語なのである。
だが、あまりに壮絶なこの物語は、ある種の神話性すら帯びている。
私にはこの物語が、自分のいる今ここと地続きだとは思えない。
神話の中のおとぎ話のようにすら感じられてしまうのだ。
 
簡単にこの本の概要を示しておかないと、私がなんの話をしているのかまったく見当がつかない恐れがあるので、ちょっと説明をさせてください。
 
彼女は、アイダホ州の田舎で生まれた。
父親は子供たちを学校に通わせることを拒否した。それどころか出生証明書すら子供たちは持っていない。父親は政府に対して異常な嫌悪を持っていた。
父親はスクラップ置き場を所有しており、そこで子供たちも働かせた。そこでは、命に関わるような怪我も事故もしょっちゅう起こる。そんなのは日常茶飯事だった。しかし、父親はすぐ隣に死があったとしても子供たちを働かせることをやめなかった。
父親も母親も、病院というものを信用していなかった、それどころか病院にいくと毒を体に入れられてしまうと信じていた。母親は民間療法を信じていて、薬草やホメオパシー薬などで子供たちを治療した。死に直面するような怪我をしても家で治療する。
主人公である彼女の名前はタラ。彼女は兄に虐待もされていた。しかしその事実は両親には受け入れてもらえなかった。
タラには読書が好きな兄タイラーがいた。
兄はタラに大学に行くことを勧める。
家を出て大学にいくんだ。と。
 
全く学校に通ったことがなかった少女は、ケンブリッジ大学で哲学の修士号をとり、ハーバード大学で学び、またケンブリッジ大学に戻り博士号を取得。
現在は、ハーバード大学公共政策大学院の上級研究員となっている。
 
あらすじとまでは言えないが、この本の中で起こったことを書くとこのようになる。
一見、奇跡のシンデレラストーリー、教育によって人はこんなに素晴らしく変われるのだ。というような、感動の物語に見えるが、読んだ印象はそんなに簡単なものではなかった。
 
はたしてタラは本当に最良の道を得たのだろうか?
 
おそらくは、間違いなく教育によって得たものは素晴らしいし、かけがえのないものであり正しい道だったと思うのだけれど。
 
一方、病的に気分にムラがあり狂信的な父親は、命も危ぶまれるような、顔の下半分を失う大火傷を負うのだが、母親の手製の薬だけで生き延びてしまう。それによって奇跡の薬と評判を呼び、彼らは大金持ちとなったりする。
しかし、家族中に問題が多すぎる状況はまったく変わらない。
 
話はそれるが、この物語に出てくる事故による怪我がそれはもう壮絶で、読んでいてつらくなるぐらいなのだ。現代の近代医療に慣れている私たちにはこの物語が現実のこととは思えなくなる。彼らは病院に行くことなくこれらの怪我から生還する。人間というのはこんなにも死なないものなのかと驚く。
 
兄の虐待は、妻に矛先が向かっていく。家族を何とか変えたいと思うタラだが、母親にも拒絶されてしまう。姉はタラに助けを求めてきて、一度は共闘するのだが、家族にとりこまれタラに呪いの言葉をぶつけてくる。
 
そう、まさにこの家族の絶対的な権力者である父親の呪いから、タラは逃げ出すことが出来ない。大学で過ごす間はいいのだが、長い休みで実家に戻る度に、彼女はあの時の少女に戻ってしまうのだ。どうしても逃げられない。
 
だからといって、タラの家族が絶対的な悪なのかというと、私はそれも断言する自信はない。善と悪のたった二つに人を分けることなど出来るわけがないのだ。
救いようのないほどひどい父親なのだが、深い愛情も時折感じさせるのだ。
彼らが間違っているのか、それはどうなんだろうか、信念にそって、神の導き通りに生き、彼らは今や大金持ちだ。
 
信じるものは救われるというが、彼らが信じている限り、信じることをやめない限り、救われ続けている。そんな彼らと、教育によって現在を得たタラと、どちらがより幸せなのだろうか。
 
ハーバードに行ってさえ、タラは自分が勉強すること、教育に対して、疑問を持ち続ける。家族のもとに戻るのが正しいのではないのか、自分がしていることは間違っているのではないのか。
 
そんなはずはないのだ。私が持つ常識というもので判断すると、圧倒的にタラが正しいのだ。それを否定することは絶対に間違っている。でもなぜか手放しでそれを信じ込むことが出来ない自分がここに残っている。
 
この本を読んでも読んでも、なぜだろうか、私にその答えは見つからない。
しかし、タラが大学の教授たちに認められる場面で、私は涙が出た。
その気持ちだけは確かなもののような気がする。
 
非常にボリュームのある物語だが、どの場面も気を抜くことなく読まざるを得ない。
どのページも今まで私が読んだことがないような驚きに満ちている。
感情は大きく揺さぶられ、なにが正しいのかわからなくなってくる。
そして、読み終わった後、あなたは彼女の選択を賞賛するのか
わからなくなって、迷うのか
 
その答えを考えることにこそ
この物語を読んだ意味があるのかもしれない。
 
 
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