広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.141

蔦屋書店・犬丸のオススメ『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』幡野広志 著/ポプラ社
 
 
病気は、不条理だ。人も時も関係なく、だれにでも起こりうる不条理なことのひとつだ。
ある日、やってくる不条理を受け入れ共に生きる。頭では理解できても、心を整理するのはとても難しい。
 
写真家で猟師でもあった著者の幡野広志さんは、2017年、身体の異変を感じた。背中から腰にかけての原因不明の痛みだ。約8か月間、痛みに苦しみ告知を受けた病名は、がん。診察室でひとり、医師の話を聞きながら幡野さんが考えたのは、この病気を妻と息子にどう伝えるかだった。
健康な時は、ほとんどの人がこの先自分が病気になることを予定には組み込まないだろう。明日も明後日も何年か先も、今の健康なままの自分でいることを前提に未来の予定を立てる。
そこへ、病気が突然のようにやってくる。予定にはないことなので、たいてい「なんでこんな時に」というタイミングになってしまう。
幡野さんが、がんと診断されたのは34歳、息子はもうすぐ1歳半になるところだった。がんは、今では2人に1人が罹ると言われている。現代において、人が罹る病気の数はいくつあるのだろう。ありとあらゆる病気があるのにも関わらず、このとても身近な病気であるはずのがんという響きが、他の病気と比べても、とても重く感じられる。それは、人によって症状の違うがんが一括りにされ、一直線に死に結び付くイメージが大きいこともあるかもしれない。また、TVなどで見かける健康に関する番組で、「○○でがんのリスクが高まります」と聞けば、ただの大きなデータ上のリスクの話であるはずなのに、いつの間にか、○○をしたらがんになると信じてしまう人も少なくない。がんは、きちんと理解できていないと言わざるを得ない、身近で悩ましい病気だ。
 
幡野さんは、がんの告知を受けた時に抱えていた仕事を、治療のためキャンセルした。そこから、知人に病気のことが広まり対応に追われる。その対応が辛くなり、1本のブログを書く。「がんになりました」で始まるそのブログには「僕は自分の人生が幸せだと自信を持って言える」との言葉がある。そう、「幸せだった」ではない。「幸せだ」なのだ。病気になろうが、たとえ余命宣告を受けようが、今、この時、幡野さんの人生が終わっているわけではない。
がん告知を受けてから、幡野さんは周りからずっと「かわいそう」と言われていたそうだ。
幡野さんは「かわいそう」な人なのだろうか。そもそも、何をもって「かわいそう」が決まるのだろうか。自分の人生が「幸せだ」と言えて、自分の人生を生きている幡野さんは、むしろ清々しくてかっこいい。
 
ブログでの公表は反響が大きく、いろいろな書き込みがあったようだ。
応援、同情、励まし、憐み、批判や非難。そればかりか、幡野さんが想定していなかった、感謝のメッセージが寄せらせる。それは、がん患者やがん経験者、その家族やご遺族からで、幡野さんが更新するたびに、メッセージは増えていったようだ。そのうち、感謝の言葉に、ある共通点を見つける。みんな、自分の話を聞いてほしいのだと。そんな人たちとのやりとりの中で、幡野さんは退院後の目標を見つける。「彼らを訪ねてまわろう。」彼らの話を聞き、できれば写真も撮らせてもらおう。それは、写真家としての再スタートでもあると。
そして、幡野さんは旅に出る。「誰にも言えない」を抱えた、たくさんの人のもとへ。
 
幡野さんの文章を読んでいると、彼に相談したくなる人の気持ちがわかる。なぜなら彼は、とても正直にその時々の気持ちを語っている。少し、失敗してしまった息子さんとの出来事や、他者には隠しておきたいような人間関係についてまで。そして、その都度、自分の人生を「生きる」ために考え選んでいる。そんな幡野さんだからこそ、お会いしたいと素直に思うのだ。言葉を交わしてみたいと。
思っていれば何とかなるもので、少し前、幡野さんにお会いすることができた。いろいろ伝えたいことはあった。なのに、緊張と興奮で舞い上がってしまった。前もって文章にまとめておけばよかったと、反省した。全然うまく伝えられなかったのに、幡野さんから返ってきた言葉は強かった。「いいのだ、これで」と、自分を肯定できる言葉だった。
そして、幡野さんから差し出しだされた手を、ギュッと握った。フワフワで温かい優しい手だった。
 
「生きる」とは、どういうことだろうか。身体の機能として生物学上の「生きる」「生かされている」ではなく、人間として「生きる」。とても一言で結論にたどりつくことではないし、多様な考えがあるほうがいいだろう。ただ、その中のひとつとして自分に問いたい。
わたしは、多くの選択肢のなかで、本当に自分のやりたいことを選べているのだろうか。「生きづらい」と感じるとき、世間の常識や道徳観または人間関係に縛られてしまい、選ぶことをあきらめてはいないだろうか。選んだ先に、失敗があってもいいのだ。そこから、また選びなおせばいいのだから。
同じように「生きづらいな」と感じているなら、幡野広志さんの文章に触れてください。
幡野さんの「生きる」ための選び方があなたを肯定し、心を整理してくれるでしょう。

 
 
 
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