広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.137

蔦屋書店・犬丸のオススメ『二笑亭綺譚』式場隆三郎, 柳宗悦, 谷口吉郎, 五十嵐太郎 著 木村荘八 挿絵/中西出版
 
 
二笑亭。時代は昭和に入ったばかりのころ、東京市内の深川区の商店街に、その建物はあったようです。それは、外観からしてとても変わっていたのですが、内装はもっと不思議。その不思議な建物が、ある一個人の「住まい」だというのです。
その建物、二笑亭を紹介した唯一の資料ともいえるのが本書です。
 
まず、本書から少し引用します。
 
表からみた感じは、寺院のような、神社のような、また倉のような、何ともいえぬ異様なものである。間口は三間半で、普通なら表二階にあたるべき場所に、三稜形の大きなガラスの嵌殺(はめごろ)しの異形窓がある。…(中略)…左端には屋根から大きな厚い鉄の雨樋がさげられ、いまは取除かれたが、その地面に接するところに直径一間あまりの鉄版の半円形がすえつけてあった。…(中略)…。
裏口は、表が巨大な木材の組合せで形成されているのに反して、石と鉄でかためられている。裏木戸は物々しい厚石でかこった中に、鉄棒が縦横に入っている。鉄筋を必要以上につかったために、開けても足がひっかかって、入りにくい。
 
木村荘八による味わい深い挿絵を見ながら読み進めるのですが、常識を超えたその謎の建物の構造には、想像力がうまく追い付かず、うなってしまいます。
まず、「三稜形の大きなガラスの嵌殺(はめごろ)しの異形窓」とは、なんともミステリアスではないですか。挿絵を見ると建物正面二階部分にあたる場所に、不思議な形の五角形を三つ組み合わせた窓があります。組み合わせるとすれば、本来なら三角形や六角形のほうが整然と隙間なく組み合います。そこを敢えての五角形。それではいびつな五角形でなければ、うまく組み合いません。なぜ、この不思議な形がよかったのか、それとも五角形にこだわっていびつになってしまったのか。しかも、はめ殺しです。開けることはできない。「住まい」としての窓の機能のひとつが削がれています。その窓のことだけでも延々と考えてしまい、読み進めながらもまたこのページに戻っては、挿絵を眺めてしまいます。
 
内装はといえば、さらに常識なんて軽く超えていきます。和洋を合体させた風呂や、のぼれない梯子、黒砂糖と除虫菊の粉末を混合したものを塗りこめた壁などなど、どうにも不思議さだけが増すばかり。
なぜ、こんな建物になってしまったのか。
最初は、関東大震災後のバラック住宅を本建築に改造することから始まったようです。主人の頭の中には理想の建築があったのでしょう。それは、事前に行った世界一周の旅が、多大な影響を与えたのかもしれません。高価な建築材料を自ら買い集めましたが、これといった設計図はなく、口述で大工に指示していったようです。その建築が進行するにつれて、彼の生活は自己中心的なものとなり、家人の生活を顧みなくなったようです。そして、とうとう家族は、この、暮らすには不便な家から出ていき別居することになってしまいます。その後も、主人はひとりでこの奇妙な家に住み続け、自炊をしたりしながら、意のままに建築することを楽しんだようです。その改造工事は十年にも及びます。
その改造工事は、とある出来事によって終わりを余儀なくされます。主人が立ち退き、その後、取り壊されるわずかのあいだに著者の式場隆三郎が訪れ、その後『二笑亭綺譚』は書かれました。
 
建築家でもない、その個人的な建築は、今では白黒の写真をわずかに残すだけで、実際には、見ることができません。ですが、今、美術館の巡回展で開催されている「式場隆三郎 脳室反射鏡」展で式場隆三郎に関する貴重な展示物とともに、二笑亭の一部が模型として再現されているというのです。二笑亭を立体で見ることができる、またとない機会です。早速、行ってきました。(ここで、式場隆三郎展のことを詳しくお伝えしたいのですが、今回は泣く泣く割愛します。)内装の一部が再現された模型は、奇妙としか表現できないものでした。床と梁が並行ではなく、それを見ているだけで平行感覚が失われクラクラし、酔いそうです。奥の壁は黒板のようになっていて、なにやら計算したようす。その計算式もなにを計算したのか、謎だらけ。手前には、木の節穴にガラスをはめ込んだ柱の一部も再現されていました。この節穴にはめ込まれたガラス、なぜだか、のぞきたくなるのです。ビー玉を光にかざして、のぞくときのような、なんとも言えないワクワク感があります。
 
確かにこの家は、「生活する」という点から考えれば、そこから逸脱した、ただの自己趣味な建築で、「住まい」ではないかもしれません。ただ、誰にだって「住まい」に自己中心的な夢をみるでしょう。間取り、内装、家具など…。それを建築の常識さえも通り越して自由に造れるとしたら。
この奇妙な「住まい」は、家族さえもこばみました。ですが、黒板に書かれた計算式をみていると、なにかを必死になって思考し「これだ!」とひらめいたときの高揚感すら感じます。柱の節穴にはめ込んだガラスには外からの光が反射して、とてもきれいだと、主人も微笑んだのでしょうか。この建築に関わった大工は、どうだったのでしょう。主人の無謀な要求に、困り果てながらもどこか楽しんでいたのではないでしょうか。そう思うと、奇妙な建物がどこか微笑ましくいじらしくもあり、愛着をもって二笑亭を受け入れることができるのです。
 
もちろん、そう感じる背景には、本書の資料的な要素以上に、式場龍三郎の魅力的な文章があります。彼は、精神科医でしたので、医師の視点からこの奇妙な建物を造形した主人の精神状態に関心を寄せています。ですが、芸術や文学に精通していた式場隆三郎は、医師の視点だけではなく、むしろそれ以上にこの建築知識のない一個人の自由な造形を受け入れ、おもしろみや美しさまで感じています。
そして、本書を手に取った人は、きっと最初のなんとも不思議な電話の話から、ぐっと引き寄せられ、いつの間にか二笑亭のとりことなるのです。
 
ようこそ、二笑亭へ。
 
 
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