広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.121

蔦屋書店・丑番のオススメ『なぜならそれは言葉にできるから』カロリン・エムケ著  浅井晶子訳/みすず書房

 

 

わたしたちはそれぞれに交換不可能な存在で、そんな交換不可能な者たちが社会で交じりあって生きている。それぞれがそれぞれに何かを伝えるために必死に言葉を紡ぎ出している。交換できない存在だからこそ、言葉を必要としている。

 

しかし、言葉は個別の苦しみや個別の痛みを、表現するようにはできていない。たとえば、「悲しい」といったとき、本当にわたしはその「悲しい」という言葉で定義される状態なのだろうか。その差異を埋めようと、語れば語るほどわたしの「悲しさ」から、ずれていってしまう。

 

 

極限の体験。

暴力や災害、戦争の体験者の、その体験をわたしたちは知ることはできない。それは言葉によって伝えられるしかない。しかし、ときにそれは「言葉にできない」と言われる。当事者がそのトラウマ体験を語ることができるのか。語れたとしても、心身ともに極限のストレス下にあった体験を客観的に把握しておき、首尾一貫とした体験として語ることは可能なのか。

 

 

本書は苦しみと暴力が、語ることを阻害することを描きながら、それでも語ることが必要なのだ、ということをテーマにしている。著者のカロリン・エムケは、世界各地の紛争地を取材するドイツ在住のジャーナリスト。著者の広範な取材から築いてきた、聞くこと、語り続けることについての倫理について描かれている。

 

エムケの倫理。それは、被害者が言葉にできず、沈黙を続けるのであれば、彼らが安心して語ることができない環境が、わたしたちの生きる社会にあるのではないかということだ。その上でエムケは沈黙を続ける被害者に対し、「なぜ語ることができないのか」と問いかけることは重要だとしている。それは被害者を責めることではない。彼女は以下のように書く。

 

沈黙の理由を問うことは、その沈黙を理解することであり、それが我々-すなわち被害を免れた者、後から生まれた者-と関係があるのではないかと問うことなのだ。沈黙は被害者を守るものなのか、それとも加害者または我々を守るものなのか、または被害者が生きる社会を守るものなのかと問うことなのだ。そして、「言葉にできるもの」を信じ、そうすることで「言葉にすること」を可能にするのが我々の役目なのではないかと問うことである。

 

また、次のようにも書いている。

 

破壊されるのが世界への信頼なのであれば、-また、極度の権利剥奪と暴力の体験が、自分という人間の歴史にひびを入れることを意味するのであれば-その非連続性を語ることは、信頼に入ったひびを道徳的共同体における共通の問題ととらえることの一形式であり得る。

 

「言葉にできない」ことは語り手の問題でなく、聞き手の問題であること。被害者が「それでも語る」ためには、下記が必要であるとエムケは書く。

 

「それでも語ること」は、受け取り手が語りに完璧さや首尾一貫性を求めるナイーブさを捨てることでしか、実現しない。被害者たちの語りは、間違いや謎を含んでいる。彼らの体験は、それが個人的なものであれ集団のものであれ語られることで密度を増し、現実の体験そのものよりも高い整合性を持つようになるかもしれない。または、語られることで消耗し、より断片的になるかもしれない。いずれにせよ、それは必ずしも直接的な語りではないし、ましてや完結した語りではありえない。
 

 

この本が胸を打つのは、著者が言葉の力を信じているからだ。

冒頭の繰り返しになるが、わたしたちは言葉を紡いで生きている。

「それ」は言葉にできる。「それ」を語り、聞くことができる。その形式と言葉をみつけなくてはならない。

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