広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.147

蔦屋書店・ 犬丸のオススメ 『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』瀬野反人/KADOKAWA
 
 
勇者となって冒険する。そんな、RPGゲーム。あなたは好きですか?
わたしは、結構というかかなり好きでした。オンラインになる前でしたが、休みの日は、ひとりで黙々と敵を倒し、村に行っては武器や防具を揃え、村人たちと会話をしながら進むストーリー展開に感動すらしました。勇者が敵を倒しながら経験値を高め強くなっていくのも楽しかった。今日はレベル上げをする日なんてのも自分の中にあって村の外でモンスターたちを倒しまくり、経験値とお金を集めていました。
 
ですが、このコミックを読んだら、ちょっともう「勇者となって」なんて恐ろしくてできなくなった自分がいたのです。
 
主人公のハカバ君は、アクシデントで現地へ帰れなくなった教授の代わりに現地調査に向かいます。ハカバ君が師事する教授は学者で探検家。専門は、現地の言語とコミュニケーション研究。
その現地とは、魔界。
そう、RPGゲームでいうところの、村の外のフィールド。パーティを組んではウロウロし出会ったモンスターを片っ端から倒しては、レベルを上げていくあの場所へ、ハカバ君は教授の代わりに初めて向かったのです。
 
魔界に到着し、最初に出会うモンスターがワーウルフ。ワーウルフは二足歩行の狼系モンスター。ハカバ君も結構身長が高そうですが、ワーウルフはそれより少し大きそうなので、
2メートルくらいでしょうか。胸筋はたくましく迫力がありますが、全身モフモフです。獰猛で人を襲うという一般的なイメージとは違い、かわいらしい。
ハカバ君は、教授の獣人語の講義を受けていたらしく、ネイティブなワーウルフ語が少し聞き取れるようす。聞き取れるのですが、発音がとても難しいとハカバ君は言います。狼の口元を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのですが、ワーウルフの口吻は長く骨格が人とはまるで違います。となると、もちろん言語(音)の発声も人と異なるのです。そのうえワーウルフたちは、大体の言葉を、息を吸うときに撥音するのだそうです。ですので、ほぼ吐くときに撥音する人には難しく、どうしてもたどたどしくなる。
 
それと、もうひとつワーウルフは言語を持っています。それは、匂い。どちらかといえば、嗅覚がワーウルフの第一言語なのでしょう。
朝、村での光景にハカバ君は疑問を感じます。たくさんのワーウルフが歩いているのに、会話がなく、話しかけても会話を途中でやめてしまうワーウルフもいる。頼み事をされても説明が足らず不親切に感じてしまう。ワーウルフは話をすることがあまり好きでは無いのだろうか、と。
ですが、ハカバ君は教えられます。ワーウルフたちは、匂いから、音による言語よりはるかに多くの情報を交換しあっているのでした。人からみるととても静かな光景に見えますが、実はその場は、とても賑やかなコミュニケーションが行われている場だったのです。
 
コミックには魔物や動物が擬人化されたものがたくさんあります。大概が人と同じように音による言語を自由にしゃべり、人と同じ文化のなかで生きていたりします。
ですが、このコミックのモンスターにはそれぞれに言語があり文化があります。その言語も様々で、口からの音の発声であっても、声帯や骨格の違いから全く違う言語であったり、共通の単語でもモンスターによっては撥音できない音があったりします。そればかりか、音以外の言語を持つもの、例えば身体の動作、さらには匂いや色が言語であったりと多様性に満ちています。
なんて興味深い世界でしょうか。
そして、ハカバ君は多様性に満ちた言語を少しずつ理解しながら、彼らの文化も理解していきます。概念すら覆されるようなことも起こります。
そんな時、思い出す教授の言葉がとても好きです。
「人と違うものには人と違うルールがある」「調査中、人間の価値観に囚われてはいけない」
とてもシンプルですが、とても難しい言葉です。
 
このコミックでは、コミュニケーションを取るということを、とても考えさせられます。多種多様なモンスターはそれぞれ異なる言語や文化を持ちながら、互いに重なり合う生息地の中で暮らしているのです。彼らは異種のモンスターに出会うと言語のすり合わせを行います。コミュニケーションがとりやすい共通言語を、身体を使い探すのです。それはやはり、とても疲れることのようで、途中で休憩なのでしょう、寝てしまったりします。それでも、互いを理解しようとしつつ、さらには互いの言語や文化をすべて理解していない、無理解を理解し、彼らなりの社会を構成しています。
 
振り返って、人同士のコミュニケーションはどうでしょうか。これが実に悩ましいと考えるのは、わたしだけではないでしょう。
共通言語を持っているのに、いえ、持っているからこそ疲れるときがあります。いくら言葉で説明しようとしてもうまくいかなかったり、身体の動き、表情などでなにか思いもよらないことが相手に伝わってしまったりすることもあるでしょう。そしてそれは、たいてい意にそぐわないことだったりします。
では、コミュニケーションを取らないほうが良いのでしょうか。
いえ、今回のコロナ禍のなかで、わたしたちは感じたはずです。人が分断される恐ろしさを。孤独を感じた人も少なくはないでしょう。「これが新しい常識ですよ」と言われても「はいそうですか」なんて、簡単には心は整理できません。変えさせられるのは、時としてとても暴力的でもあります。苦しいです。
それでも、過去と現在の差を塗りつぶすように、少しずつ、少しずつ、いろんな考えや工夫を試しながら、なんとかここまでたどり着きました。
コロナ禍以前には当たり前すぎて感じることができなかった人同士のつながりの大切さに改めて気付きます。
こういう時だからこそ、緩やかで柔らかいコミュニケーションこそ必要なのだと。
 
それはハカバ君のように、異種のモンスターを理解したいという心こそ大事ではないでしょうか。それには言語だけではなく、モンスターの背景にある習慣や環境、文化まで含まれるでしょう。すべては理解できなくても、その心こそが他者に寄り添うことができる緩やかで柔らかいコミュニケーションとなるのかもしれません。
 
 
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