広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.361『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』つやちゃん/アルテスパブリッシング
蔦屋書店・犬丸のオススメ『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』つやちゃん/アルテスパブリッシング
今回、紹介するのは、「あっちー」一冊。
紹介文もバイブス高めにいこうと思う。
紹介文もバイブス高めにいこうと思う。
個人的なことだが、最近、日本語ラップを耳にする機会が急増した。完璧にくらっちゃっている。熱く胸を突き刺すリリックとテクニックを使いこなし、個性的なフロウでビートに乗せエネルギーを生み出し、ぶっぱなってくる。えっ?ちょっと待って?日本語ラップっていつの間にこんなにカッコよくなっていたのですか?聴いていなかった自分が悔しい。
かたやM-1グランプリなどの賞レースにかける漫才。人生をかけて、勝ちに行くしゃべり。笑いこそすべて。この実体のない笑いを作り出すテクニックは発明され続ける。もう、笑うのを待ってしまっている。早く笑わせてくれ。刺激的でうねるような笑いを。
かたやM-1グランプリなどの賞レースにかける漫才。人生をかけて、勝ちに行くしゃべり。笑いこそすべて。この実体のない笑いを作り出すテクニックは発明され続ける。もう、笑うのを待ってしまっている。早く笑わせてくれ。刺激的でうねるような笑いを。
ラップと漫才から、「人の心を動かすしゃべりはいかに可能か?」という問いを分析・考察するのが、本書である。
なぜラップと漫才なのか?
著者であるつやちゃんによると、そもそもしゃべりは、近年、大きく変化しているという。会話のフレーズは短縮化し、よりスピーディになり、お互いキャラクター付けしあう。妙に玄人じみ高度化することにより、特定の型が築かれつつある。いわば、しゃべりはゲーム化したと。そのうえ、そのしゃべりはインターネット空間に充満し過激化する。メッセージを届けたい人が過剰に溢れることにより、少数の受け取り手は余裕を失う。言葉を発信する場は膨張し続けているのに、逆に言葉は埋もれ届かなくなっているという。確かにそうだ。通り抜けていくあまりにも多い言葉は耳に入らず心は動かされない。
そんな現代においてラップと漫才は、しゃべりそのものを技術的に突き詰め、いまや時代を象徴するエンタメ/芸術として君臨しているというのだ。それは、多くの人の心をつかみ、動かしていることに他ならない。
ではラップと漫才の何が人の心を動かしているのか?
それは、スピード、バイブス、パンチライン、この3つの指標で説明できるとつやちゃんは言う。
著者であるつやちゃんによると、そもそもしゃべりは、近年、大きく変化しているという。会話のフレーズは短縮化し、よりスピーディになり、お互いキャラクター付けしあう。妙に玄人じみ高度化することにより、特定の型が築かれつつある。いわば、しゃべりはゲーム化したと。そのうえ、そのしゃべりはインターネット空間に充満し過激化する。メッセージを届けたい人が過剰に溢れることにより、少数の受け取り手は余裕を失う。言葉を発信する場は膨張し続けているのに、逆に言葉は埋もれ届かなくなっているという。確かにそうだ。通り抜けていくあまりにも多い言葉は耳に入らず心は動かされない。
そんな現代においてラップと漫才は、しゃべりそのものを技術的に突き詰め、いまや時代を象徴するエンタメ/芸術として君臨しているというのだ。それは、多くの人の心をつかみ、動かしていることに他ならない。
ではラップと漫才の何が人の心を動かしているのか?
それは、スピード、バイブス、パンチライン、この3つの指標で説明できるとつやちゃんは言う。
なるほど。
ラップと漫才、武器は1本のマイク。
ただ1本のマイクを通して発せられる言葉の洪水。言葉が波立ち、渦になり、飲み込まれながら、沸き起こる感動や笑いとともに一体となり大きなうねりを生みだす。究極のしゃべりがここにあるとするなら、その秘密を知りたくなるのは当然で…。読み始めると、M-1漫才とラップへの分析には多くのネタやリリックの引用とともに、つやちゃんの深い知識と愛が満ちていて、スピード、バイブス、パンチライン、どの章の考察もめちゃくちゃ興味深くておもしろい。
スピードでは高速化がひとつのキーワードとなるのは予想がつくだろう。だが、ただ高速化したまま同じスピードで進むならそれはやはり平坦だ。いつブレーキを踏むのか、間をとるのか、または沈黙か。聞き手の予想への裏切り。練習や研究を繰り返し向上するテクニックに裏打ちされた音声。けれども、そのテクニックのみに心が動かされるのではない。そこから伝わる、漫才師やラッパーの人間性や人生に心が動くのだと気付かされる。
これは初めのところで、まだまだおもしろい話が出てくる。第二部のラップとファッションについての考察も、ぜひ読んでほしい。
最初から最後のあとがきまで、読みながら熱くなってしまう一冊なのだ。
ラップと漫才、武器は1本のマイク。
ただ1本のマイクを通して発せられる言葉の洪水。言葉が波立ち、渦になり、飲み込まれながら、沸き起こる感動や笑いとともに一体となり大きなうねりを生みだす。究極のしゃべりがここにあるとするなら、その秘密を知りたくなるのは当然で…。読み始めると、M-1漫才とラップへの分析には多くのネタやリリックの引用とともに、つやちゃんの深い知識と愛が満ちていて、スピード、バイブス、パンチライン、どの章の考察もめちゃくちゃ興味深くておもしろい。
スピードでは高速化がひとつのキーワードとなるのは予想がつくだろう。だが、ただ高速化したまま同じスピードで進むならそれはやはり平坦だ。いつブレーキを踏むのか、間をとるのか、または沈黙か。聞き手の予想への裏切り。練習や研究を繰り返し向上するテクニックに裏打ちされた音声。けれども、そのテクニックのみに心が動かされるのではない。そこから伝わる、漫才師やラッパーの人間性や人生に心が動くのだと気付かされる。
これは初めのところで、まだまだおもしろい話が出てくる。第二部のラップとファッションについての考察も、ぜひ読んでほしい。
最初から最後のあとがきまで、読みながら熱くなってしまう一冊なのだ。
端的に言えば、しゃべりとは音だ。考えてみれば、生身の体が出す音の中で最も複雑で、それを言葉として伝えることは、やはり不思議でなんだか奇怪でもある。誰に何をどのように音声として伝えるかということは、日々なにげに行っているのだが、実はかなり難しい問題で、失敗した経験も少なくはないだろう。それでも、せっかくなら誰かの心をハッピーにできるしゃべりで溢れてほしいと願わずにはいられない。