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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.362『あしながおじさん』ジーン・ウェプスター 作 谷川俊太郎 訳 安野光雅 絵/朝日出版社

蔦屋書店・佐藤のオススメ広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.362『あしながおじさん』ジーン・ウェプスター 作 谷川俊太郎 訳 安野光雅 絵/朝日出版社
 
 
アメリカの作家、ジーン・ウェブスターの小説『あしながおじさん』をご存知でしょうか。
実際に本を読んだことはなくても、おおよその内容なら何となく分かるよという方は、きっとたくさんおられると思います。孤児院育ちの女の子が、とつぜん知らない裕福な男性から経済的に援助してもらえることになって幸せになるお話だよね?と。
ですが、子ども向け名作の一つとして挙げられることの多いこのハッピーエンドのお話が、実はラブストーリーでもあるということまでご承知の方は、案外少ないのではないかと思います。そしてまた、そのハッピーエンドにいたるまでの過程というのが、かなりスリリングで手に汗握るような物語であるということは、さらに知られていないことかもしれません。
 
『あしながおじさん』は、児童文学のカテゴリーでよく扱われる作品ですが、私の抱く「児童文学」のイメージとは、少し異なる印象があります。一人の少女の純粋な目を通して語られる場面の向こう側には、他の登場人物の事情や思惑が絡み合っている様子が読み取れるところ、そしてそれらが、物語を動かす大きな要因になっているところ、そうした点はどちらかというと、大人向けの小説に近いような気がします。
つまり今回私がお伝えしたいこととは、『あしながおじさん』は、子どもが読む本だから、とか、だいたいの内容は知ってるから、といった理由で未読の大人の方の手には届きにくい本かもしれませんが、しかしそうした先入観によって読むことを見送ってしまうには、もったいないような面白さを持つ本であるということです。
 
18歳の主人公ジュディは、ある日、孤児院の理事の一人である大金持ちの紳士から、月に一度手紙を書くことを条件に、彼女が大学に進学するための学費と生活費を援助する申し出があったと院長から告げられます。
とつぜん舞い込んだ信じられないような幸運によって、大学での寄宿舎生活を始めることになったジュディ。そのあとに続くこの小説の大部分は、ジュディが自分で「あしながおじさん」と名付けたその紳士に宛てた、たくさんの手紙によって成り立っています。
 
ジュディの手紙は、孤児院での生活を抜け出し、自由な世界を満喫する彼女の様子を生き生きと伝えます。明るく、賢く、前向きで、茶目っ気いっぱいのジュディは文才があり、彼女の書く文章はまるで彼女という人間そのものを写しとっているかのようです。
時には反発することもありますが、ジュディは、恩人であり人生の大先輩と慕うあしながおじさんの大きな愛情を感じながら、充実した大学生生活を送ります。読者は手紙を通してその書き手であるジュディの物事に対する眺め方や感じ方に触れ、彼女の気持ちに想いを重ねつつお話を楽しむでしょう。
 
ところで、もし大人の方がこの本を読むのであれば、そのように生き生きと描かれるジュディの心情を辿りながら読み進める一方で、この手紙を受け取る側の、あしながおじさん当人が一体どんな気持ちでこれを読むのかということにも、自然と意識が向かうのではないかと思います。
そしてこの「誰の立場で読むか」ということに着目すると、それがこの本のひとつの重要なポイントになっていることに気が付きます。
 
作品中の手紙に記された内容は、もしかしたらあるきっかけで、ジュディの目から見たものとは少々異なる様相を呈してくるかもしれません。そうなると読者の心境は一転し、ハラハラするような緊張感を伴うものへと様変りしていくでしょう。つまり言ってみれば『あしながおじさん』は、複数の視点からストーリー展開を楽しめる、二度読み必至の本でもあるのです。
 
長年に渡って様々な日本語訳版が出版されてきた『あしながおじさん』ですが、今回は谷川俊太郎さんの訳本をご紹介します。谷川さんの翻訳ものといえば『PEANUTS』やレオ・レオニの絵本などがよく知られますが、『あしながおじさん』のような、比較的長編の物語の訳を手掛けられた例というのは案外少ないようです。
 
翻訳される方による各版それぞれの特色があるなかで、本書も独自の色を持っています。
谷川さんの描く元気なジュディは、あしながおじさんのような目上の相手に対しても、ほとんど物怖じすることがありません。繊細ですが率直で、若いのにどこか肝の据わった女性のように描かれているのが印象的だと思います。
 
ところで、谷川さんはこの本のまえがきの中で、〈…昔の話ですが、毎日のように手紙をくれる女性がいました。身近に起こる日々のあれこれを、面白おかしく報告するような手紙で…〉という、ご自身のエピソードを披露されていて、おそらくその手紙をくれた女性というのは、谷川さんの三番目の結婚相手であった、作家の佐野洋子さんのことであると思われます。
そしてここから先は、本当に勝手な私の当て推量に過ぎないことなのですが、本書のジュディの手紙を読んでいると、ときどき、もしかしたら谷川さんから見た佐野さんとはこんな方だったのかもしれないと、思えてくることがあるのです。
しっかりしたご気性で知られ、数々の名作エッセイを遺しておられる佐野洋子さん。谷川さんはジュディに、当時すでに亡くなっておられた佐野さんの面影をどこか少し重ねつつ、思い出を懐かしむようなお気持ちで、翻訳なさったのではないでしょうか。
ほかでは拝見することの少ない、このような物語の訳のお仕事を手掛けようとお考えになった胸の内には、もしかしたらそうしたお気持ちもあったのではないだろうかと、私には思えてなりません。
 
 
 

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