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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.363『文身』岩井圭也/祥伝社

蔦屋書店・江藤のオススメ広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.363『文身』岩井圭也/祥伝社
 
 
「私」とはだれなのか
 
文学のジャンルにある「私小説」というのをご存知でしょうか。
過去には葛西善蔵や志賀直哉などが書いていました。
現代では皆さん一番知っておられる私小説の書き手としては、もう亡くなってしまいましたが、西村賢太、現在も書かれているのは小谷野敦などです。
「私」とつくからには、主人公は「私」なのです。作家本人が「私」を主人公にして書く小説がいわゆる「私小説」というものです。
 
しかし、この「私小説」というのは、不思議な小説で、では、完全なるノンフィクションでドキュメンタリーなのか、というと決してそうではありません。「私」はもちろん作家本人がモデルとなっているのですが、完全にすべてが本当のことなのかというとそうではない場合が多いのです。
例えば、西村賢太の小説では、主人公は「北町貫多」という、西村 賢太をもじった名前を持った主人公が登場します。さらに他にも北町貫多の友人や恋人なども出てきますが、おそらく本名ではないですし、完全に本人を描写しているわけでもないでしょう。そこには小説としての面白さを優先した多少のフィクションや脚色が入っているものなのです。
では、「私小説」に出てくる「私」とはだれなのか、「私小説」を書いているのは「私」なのか、虚構と現実の境目は何処にあるのか。「私」とは誰なのか。
 
岩井圭也の『文身』はまさにその「私小説」を中心に据えた物語だ。
物語の冒頭は、私小説家である須賀庸一の葬儀のシーンから始まる。
須賀庸一は最後の文士と言われた。いわゆる無頼派の私小説家として名を上げていた。
彼の作品の中での、主人公「菅洋市」は酒と女が好きで、暴力沙汰も数しれない。実際に須賀庸一はまさにそれと同じような生活をしていたのだ。須賀の妻は、自殺をしている。そして須賀の死の前の最後の小説では、菅は自殺に見せかけて妻を殺したという告白がされている。しかし、現実では妻の直筆の遺書も残されていたことから、警察は自殺ということで処理をしている。
もちろん家庭を顧みず、妻にも自殺され、という生活をしていた須賀は一人娘の明日美とは絶縁状態なのだが、父親である須賀の遺書に、喪主を明日美に頼むという旨が書かれていたのでしかたなく喪主を務めている。ということでの葬儀のシーンなのだ。
 
その明日美に封筒が届けられる。そこには、須賀庸一の幼い頃からの人生が綴られていた。その内容というのが、この小説のメインとなるのだが、それは読者の予想を裏切るとんでもない告白がふくまれているのである。
 
そこで、最初の問いかけに戻りたい。
私小説を書いている私とは誰なのか
私がしたことが書いてあるのが私小説なのか
私がすることが
 
この小説を読むことで、現実と虚構の境目は不確かになる。
あなたが虚構に取り込まれて現実に戻ってこられなくなっても
私は知りませんけど
 
 

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