広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.19

【蔦屋書店・井上のオススメ 『一汁一菜でよいという提案』土井善晴/グラフィック社】

 

私は、冬の間は中国山地の中で一人暮らしをしています。食事は自炊。おかずと言えば、いつも具だくさんの味噌汁です。レパートリーを増やさなければいけないと思っていたところ、この本が、そのままでいいのです!とお墨付きをくれました。

 

著者の土井善晴先生によれば、日常の料理は一汁一菜、つまりご飯・味噌汁・漬物で充分。いえ、それこそが大切とのこと。本に掲載されたお膳の写真を見ると、色調の基本は茶。インスタ映えとは真反対の世界です。

 

冒頭で冬の間と記しました。夏場は広島蔦屋書店で働く私ですが、11月から3月までは島根県の小さな酒蔵で、お酒造りに携わっています。土井先生の和食に対する想いは、私の日本酒に対する考えと実に重なるものでした。和食と日本酒は共に、日本人のDNAと繋がったところから生まれ、暮らしの歴史の中で育まれながら今日に伝わってきました。

 

私の蔵が目指すお酒は、ご飯のように地味な存在だけど、飽きなくておかずを引き立たせる脇役のような存在です。お米の旨味が感じられて「おいしい」、と評価をいただきます。一方で、フルーティな香りで華やかな味の日本酒を飲んで、「おいしい」という言葉が出るのを聞きます。対極にある味に対して、同じ「おいしい」が語られます。同床異夢?私は、そんな場面の度にモヤモヤした気分を感じていました。

 

土井先生は本の中で明快に説明してくださいました。脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは違う、と。前者は焼肉、西洋料理、中華などの濃い味。後者の代表が和食。刺激的なおいしさは無条件に快感として伝わり、「おいしい」と感じるのです。

 

脳が喜ぶおいしさを否定している訳ではありません。ストレス解消の効果があります。ハレの日にふさわしい味です。しかし日常、ケの日は、いつもの定番が安心を生み出し、人を幸せにする力を持つのです。暮らしとは、毎日同じことの繰り返しです。だから料理も同じものでいい、と土井先生はおっしゃいます。日本酒も同じです。お酒は嗜好品と言われますが、私は日常品でありたいと思っています。好きとか嫌いで語られるのではなく、いつも食卓に当たり前のようにある存在が理想です。

 

また、情報的な「おいしさ」と普遍的な「おいしさ」も区別すべきだ、と説かれています。これも日本酒に当てはまります。酒米を〇割〇分も磨きました!とか、〇〇コンクールで金賞を受賞!という情報に接すると、人はおいしいと信じ込んでしまいます。自分の舌で感じて判断することを止め、情報が味を決めてしまうのです。《考えるよりも、感じること》が大切です。

 

そんなことを感じながら読み進めていくと、途中から、一汁一菜の話なのか日本酒の話なのか、頭の中で区別がつかなくなります。土井先生は発酵食品の素晴らしさを紹介されています。《お味噌や漬物は、人間が意図してつくる味ではない》。お酒も、です。お酒を造っていると言いますが、実は造ってなんかいないのです。人間にはできません。微生物が造っているのです。今は科学的に微生物の存在が発見されていますが、江戸時代以前は、神さまが造っていると感じていたはずです。お米も、味噌も、漬物も。八百万の神さまです。

 

本の冒頭は、日頃の食事は汁・飯・香でいいという地味な話で始まります。その理由を読み進むうちに、話は縄文時代の火の発見がもたらした価値や、日本人が神さまや自然とどう向き合ってきたのか、という日本人論にまで発展していきます。一汁一菜はシンプルに見えて、実に奥が深いのです。

 

日常の暮らしは、普通を繰り返す毎日です。特別な日に特別なごちそう食べることは、素晴らしいことです。一方で日常は、「おいしくない」料理で充分なのです。しかしその中には、愛情があり自然からの恵みをいただく感謝があります。前の世代から受け取り、次の世代に受け渡していく、いのちのリレーがあります。その中で、一汁一菜は「おいしい」を越えた「おいしくない」の高みに昇華されます。

 

この本を読まれる時は、一汁一菜という単語を日本酒に置き換えていただくと、お酒の素晴らしさも感じてもらえると思います。シンプルな暮らし、と置き換えたら、毎日がより愛おしいものに感じられることになるでしょう。

 

 

 

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