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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.270『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』プチ鹿島/双葉社

蔦屋書店・丑番のオススメ『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』プチ鹿島/双葉社
 
 
テレビ朝日の水曜スペシャルで70年代後半から80年代半ばまで放送されていた『川口浩探検隊』。俳優の川口浩を隊長に世界の未知の生物や秘境を追い求めるということをコンセプトにした番組だ。およそ40年以上も前に放送していた番組について書かれたノンフィクションが本書だ。そんな古い番組についてかかれた本がおもしろいのか。これがめちゃめちゃおもしろいのだ。しかもわたしはリアルタイムで番組を見たことがない。それでもおもしろい。
 
番組は見たことはないが、『川口浩探検隊』のことは知っていた。それは、テレビの演出を揶揄する際に持ち出される定番ネタとしての『川口浩探検隊』だ。それは、嘉門達夫が『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』で笑いにしたような危険な、洞窟に入る際に、探検隊よりも先にカメラマンが入っているという指摘によってである。秘境って言っているけど、ヤラセじゃないの?ということだ。
 
著書は時事芸人のプチ鹿島さん。鹿島さんは揶揄の対象として『川口浩探検隊』を書いてはいない。テレビのやらせを告発するわけでもない。むしろ義憤によって、本書は書かれているようにも思える。それは自分の子どものころにのめり込んで見ていた番組を、ただバカにされたままにはしておけないという気持ちだ。
 
子どものころの鹿島さんも知ってはいた。世紀の大発見として、締め括られたはずの番組の放送後にも新聞には、そのニュースは載らないことを。嘉門達夫の歌にもうなずけることがあることを。それでも自分が楽しんで見ていたことに変わりはない。テレビに騙されていただけだったのか。いやそれだけではないはずだ、というのが本書の書かれた動機に思える。
 
鹿島さんには他のジャンルでも同じような経験をしていた。それはプロレスだ。アントニオ猪木に熱狂する小学生の鹿島さん。プロレスをインチキ、八百長と冷笑的に見る人も多い。それでもプロレスを見続けた鹿島さん。名著『教養としてのプロレス』(双葉社)は、鹿島さんが、プロレスを見続けることによって築かれた物事をみる視点について書かれている。それは白か黒かの二元論でなく、グレーゾーンを大切にするということだ。
 
なんでも、良いか、悪いか、ウソかホントかといった二元論で片付けてしまったほうがラクだろう。そうではなく、善悪、虚実混じり合うものをそのまま捉えること。即断したり、判断停止するのでなく、判断をいったん保留して、そのことを考え続けること。真に知的な態度だと思う。それはプロレスという「底が丸見えの底なし沼」(©️ 井上義啓)を見てきたことによって築かれた哲学だ。
 
川口浩探検隊もヤラセか、ヤラセじゃないか、ヤラセだったら無価値なのか、という二元論をとりはらってみると、どのように見えてくるのか。鹿島さんは、かつての隊員たち、テレビ関係者、嘉門達夫、川口浩探検隊に憧れて探検家になった高野秀行などの取材を重ねていく。隊員たちの語りが興味深い。双頭のヘビを捏造する一方で、カメラの後ろでは、毒ヘビを手づかみで払いのけるという本当に危険な行為が行われている。そこにあるのは視聴者に納得してもらうために、本気でおもしろいものを作ろうと苦闘していたテレビマンたちの姿だ。
 
そして、ヤラセとは何か、演出とは何かを問うために始まった川口探検隊をめぐる取材は思わぬ方向へと転がっていく。8年に渡る鹿島さんの取材の行き着く果てを、味わってほしい。優れたノンフィクションは、ひとつのテーマを扱いながらも何層もの読み方ができることを改めて気づかせられた。
 
鹿島さんはテレビとの「半信半疑」で付き合ったほうがいいんじゃないかと書いている。さらにはこんなふうにも。
「この見方はテレビ番組だけでなく日常生活でも有効だと思う。疑うことなく全部信じたらそれは“オカルト”(最終地点はカルト)に通じてしまうし、信じることを全くしなくなったらそれは“冷笑”や“ニヒリズムに通じてしまう。それはどちらも勿体ない。」
 
 
 
 

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