広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.366『どろぼうジャンボリ』阿部 結 著 ほるぷ出版
蔦屋書店・佐藤のオススメ広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.366『どろぼうジャンボリ』阿部 結 著 ほるぷ出版
以前は、今のように多くの人が自分の書いたものを世の中に発信することはなかったので、プロの物書きではない人によって書かれた文章を読む機会はそんなになくて、たまにそれができるようなことがあるとワクワクしました。人の書いた文章を読むことは楽しいことです。
自分の知ってる人のものであればすごく興味深くてちょっと興奮しさえしますが、知らない人が書いたものであっても、そこで「私」によって語られる、思いのこもった文章にはいつも心が引きつけられます。だから、この本の主人公ジャンボリの気持ちは、自分にもとてもよく分かるような気がしました。
ジャンボリは他人の手紙を盗むどろぼうです。但しその手紙というのは、きちんと出来上がったものではなくて未完成のもの。誰かへの思いを言葉にして伝えるために書いてはみたものの、いろんな理由でそのままゴミ箱に捨てられてしまった、書き損じの「てがみのたね」を、彼は盗みに出かけます。何のためかというと、自分がそれを読んで味わうことを目的に。
泥棒としての腕は良く、大金になりそうなものを盗むこともできるのですが、それはしない彼の生活はとてもミステリアスです。あまり訪れる人もなさそうな、木々に囲まれた高台の土地の一角に建っている銅像(…ちょっとジャンボリに似てなくもない男の人の像) の、台座から地下にのびるハシゴを降りた先にある、秘密の隠れ家でひとり暮らすジャンボリ。顔をみられないように常に頭全体を覆う大きなゴミ箱をかぶっているのですが、そこに空けられた穴から少しだけ覗く目元には、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。
夜更けに仕事を終えて隠れ家に戻ると、集めてきた「てがみのたね」を、ひとつずつゆっくり眺めては、ジャンボリは心を震わせます。そこに綴られた、でこぼこの「はだかんぼうのきもち」が、たまらなく好きなのです。その人の「はだかんぼうのきもち」が書かれながら出されなかった手紙には、それを出さなかったということそのものにも、相手のことを大切に思う気持ちが隠れているのかもしれません。伝えることがかなわなかったそうした気持ちのことも、きっとジャンボリは愛おしんでくれているのでしょう。
ジャンボリは、童話の中の登場人物であり、もし仮に彼のようなことをしようとする人が実際にいたとしたら、その人は、きっと周りから大変な変わり者として認識されるに違いありません。でも、人が生きることの喜びはどこにあるのかという本質的な問いに忠実に生きるジャンボリは、ある意味で非常にまっとうな人間であるとも言えるのではないでしょうか。彼の姿は、急激に変化していく世の中の流れにかき消されて、多くの人が見失ってしまいそうになっているものがあることを、教えてくれているように思います。
本書は、子どもの読書の絵本から読みものへと移行する段階での橋渡しとして捉えられることのある「絵童話」という形態をとる本ですが、深いメッセージ性が含まれており、大人の方にも是非読んでいただきたいと思う作品です。三つのお話の、はじめのお話でジャンボリその人について述べられたのち、あとの二つのお話で、彼の住む町に起こった危機と、その危機を人々が乗り越えてゆくいきさつが、ファンタジックに描かれています。
宮城県気仙沼市出身である作者の阿部結さんは、三年前に目にしたロシアによって破壊されたウクライナの町並みの映像に、東日本大震災で故郷が被災した光景が重なり、自分なりのやり方で、戦争が起きないためにはどうすればよいのかということを考える本を書きたいという思いから、この物語の創作に取り組まれたということです。
作品中の、ジャンボリが集めた「てがみのたね」が、ページいっぱいに並ぶ場面には、物語に合わせて、読む人自身の手紙にまつわる様々な記憶も呼び起こす力があるように思います。
そもそも「何かを書く」ということが、ここまで多様な形で世の中に浸透したのは、単に既知の出来事をあらわすためでなく、それが贈与の行為として人々のあいだに広がったことによるものだろう、ということを、ある本の中で読んだことがあります。告げ知らせる相手のない文章というものは存在しないともいいます。書くことは贈りものなのです。
いったい人は何のために、誰かに気持ちを伝えようとするのでしょうか。
手紙をめぐるジャンボリの物語は、改めてそこにある理由をふりかえり、見つめなおすきっかけを与えるものであるように思えます。