広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.21

【蔦屋書店・犬丸のオススメ 極夜行角幡唯介/文藝春秋

 

極夜(きょくや)。美しい響きだ。

一日中、太陽が地平線のはるか下に存在する闇の世界。その闇の中を、犬一頭を連れ、単独で探検する。周りには人工の灯りも音もない。空に輝く星はどのように見えるのか、月はどこから昇り沈むのか。凍った地平線は…。わたしの日常とはかけ離れた、恐ろしく妖しい光景を想像するだけで、骨まで震えるような高まりがある。

ただ実際には、そんなロマンチックなことばかり言ってはいれないようだ。

 

一冊の本を選ぶとき、導かれるようにその本にたどり着く時がある。

角幡唯介さんの『極夜行』も、そんな一冊だった。夜、なんとなく、TVのスイッチをいれた。見るともなく流れていた番組で、とうとうと、少し不機嫌そうに、その人はインタビューに答えていた。場面が変わる。闇だ。出発しようとしている。この、闇の中を行くのか…。

 

その探検はすでに書籍となっていた。

グリーンランドのシオラパルク(先住民が住む世界最北の集落)を出発し、メーハン氷河を登ると、氷床からツンドラ地帯を横切り、さらに北上していく。食料や燃料など積み込んだ2台の橇を犬一頭と共に引きながら進む、単独での行程だ。北緯78度から79度の高緯度地帯の極夜は何ヶ月も続く。そして、冬至に向かうほど太陽の光が感じられなくなり闇は深くなる。「夜」がずっと続いているような感じだ。

シオラパルクからの出発は12月6日。この地域の極夜は、1か月以上前から始まっている。

この探検で角幡さんは、真の闇の中に何ヶ月も自らを放り込む。GPSを使用せず天測用の六分儀で自分の位置を見定めながら進んでいく計画だ。

 

「探検とはシステムの外側の領域に飛びだし、未知なる混沌の中を旅する行為」だと、角幡さんは探検を定義していた。

 

まったくもって、「システムの外側」だ。すべてがわたしの日常とは、かけ離れすぎている。

太陽が昇らない日常とはどんな気分なのか。わたしにとって夜は昼間の忙しさから解放される安息の時間のイメージもあるが、それはテクノロジーに守られた安息であって真の「闇」を体感しているわけではない。「システムの内側」の、ただの「夜」だ。

そもそも生物の視覚は光を探知する器官として進化してきたのに、「闇」の中の行動なんて進化の理からも外れている。光があるからこそ、見ることができ、物体の遠近や形を脳で理解し安定するのに、闇の中では、視界を奪われ周りの状況をうまく捉えることができず不安定になる。広大な地を歩いているはずなのに、狭く暗い空間に入れられたまま、その狭い空間が移動しているようだ。

角幡さんも、視覚からの情報が得られず、あいまいな地形の起伏が把握できなくなり、上っているのか下っているのか確信できなくなっていた。引いている橇の重みや足の裏から伝わる感覚で地形を捉えようとするが、自信がなくなっていく。人の身体感覚とはあいまいで、脳はいかに視覚からの情報に頼っているのか。

これだけ人工の灯りがないのであれば、さぞかし星や月がきれいなんだろうなともシステムの内側からのんきに思ったりもするのだけれど、星は方向を定めるのに大切な役割があり、ロマンチックなんて言っていられない。月に至っては、満ち欠けがあり、その上、毎日昇る時間や方向が違うなんて、考えれば当然のことだが、なんだか月に酔いそうだ。その、唯一の灯りである星や月も悪天候では見えなくなるばかりか、悪天候が続けば進むことさえできなくなる。

単独であるがゆえに、すべてを決定するのは自分自身だ。判断を間違えれば生死にかかわる。

 

この地球上において、人跡未踏の地は、もはやないと言われている。現代の探検とは、その場所に到着することが目的ではない。角幡さんは、極夜という自然現象と、ITを使用しない非日常空間に、自らを投じる。自然と対峙し命が危険にさらされたときこそ「死」ではなく「生」を渇望し、意識下で人間の生きる根源を感じ理解していく。場所とその他の条件を含めた「時空」を探検する。それこそ、現代の探検なのかと気づかせられる。

まさに、「未知なる混沌」だ。肉体的にも精神的にも守られた「システムの内側」から「システムの外側」に身を置くことによって、常識がそぎ落とされ、原始生物として最も根本的な「生」を貪るのだろう。それは、脳内の思考や感情などではなく、わたしたちを構成する何億もの細胞のひとつひとつが「生」をまっとうしたいと打ち震えているのかもしれない。

 

極夜の季節が終わり、太陽が沈まない白夜が近づいてくる。

闇の世界は消え、必死にもがいたあの場所も、今は太陽の光が降りそそぎ銀色に輝いていることだろう。

わたしも脳内で、時空を超えて極夜を探検した。

そうだ、読書することも少なからず意識の中の探検と言えるのではないだろうか。

 

 

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大探検部OB。

『空白の五マイル』『雪男は向こうからやってきた』『アグルーカの行方」『漂流』など

 

 

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