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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.274『ありこのおつかい』石井桃子 文 中川宗弥 絵/福音館書店

蔦屋書店・佐藤のオススメ『ありこのおつかい』石井桃子 文 中川宗弥 絵/福音館書店
 
 
ある日のことです。アリの子ども“ありこ”は、おかあさんに頼まれて、森へおつかいに出かけました。
くれぐれもまっすぐ行って帰るように言われていたのに、道草をくっていたありこは、カマキリの“きりお”に「おまえをくっちゃうぞ」とペロリのみ込まれてしまいます。
 
そして次には、そのカマキリのきりおを、悪口を言われたと勘違いして怒ったムクドリの“むくすけ”がペロリと平らげ、さらにむくすけは、ヤマネコの“みゅう”に食べられ、そしてみゅうは、クマの“くまきち”に食べられます。
 
その日はくまきちのお誕生日でした。くまきちのおかあさんは、お祝いのごちそうを用意して待ってくれていましたが、くまきちのいっぱいになってしまったおなかの中では、ありこと、きりおと、むくすけと、みゅうが、食べられたことを怒って悪口を叫んで大騒ぎ。
 
それをくまきちが言ったものだと思ったくまきちのおかあさんは、お仕置きにくまきちのおしりをぽんぽん叩きます。するとくまきちの口からみゅうがとびだし、次にみゅうの口からむくすけがとびだし、むくすけの口からきりおがとびだし、きりおの口からありこがとびだしました。
 
元に戻って仲直りしたありこたちは、みんなでくまきちのお誕生日のおいしいごちそうを食べました。そしてありこは、そのあとくまきちのおかあさんに送ってもらって、きちんとおつかいを済ませたのでした。

福音館書店より1968年に発刊された名作絵本『ありこのおつかい』が、童話「あかずきんちゃん」を念頭に置いた作りになっているのは明らかで、おはなしは、ありこがおばあちゃんへの届けものの入ったカゴを持ち、赤い帽子を被って森に出掛けるところから始まります。そしてあかずきんちゃんが、最後オオカミのおなかの中からそのままの姿で出てくるのと同じように、順繰りに食べられるありこたちも、のみ込まれたおなかの中で元気なまま、最後は外の世界に戻ってきます。
 
またさらに、このお話の素地になっているものについて、作者である石井桃子さんが「あれは入れ子ですよ」とお話になっていたというエピソードを本で読んだことがあります。「『ありこのおつかい』を考えた時に、その入れ子がいちばん頭にあったのよ」と。
 
箱のふたを開けるとまたその中に、一回り小さな箱が入っている。それが何層も重なる入れ子のイメージが、子どものお話には欠かせない「繰り返し」の構造の中に落とし込まれています。その広がり方の面白さ。絵本を通してそのイメージに親しむことは、たとえば、“見えない何かが内在する” といった、抽象的な思考につながるような感覚を、幼い子どもの心に印象として残すようにも思えます。
 
おりがみで入れ子の箱を作るとき、一番小さな紙を折っていくと、思った以上にちっちゃな箱が出来上がる、あの小ささはありこの小ささです。ありこのからだは、この大判の絵本の広いページの中で見落としてしまいそうになるほど小さく。そして一番大きなくまきちのおかあさんの全身は、見開きの紙面に入りきらないほど大きく。大胆とも言えるそのコントラストを、おとぎ話の世界を思わせる淡くふんわりとした色合いで描いた絵は、読むほどに心をとらえる奥行きある魅力をそなえているように思います。
 
そして、ありこ、きりお、むくすけ、みゅうと、順番にそれぞれがのみ込まれるときの、この絵本の有名な場面。
その様子をあらわすページがある一定のパターンで繰り返されるのですが、かなり斬新でちょっとびっくりするような表現です。ご存知でない方はぜひ、作品のほうでご覧になってみていただければと思います。
 

また、こうしたことに加えて『ありこのおつかい』を読みながらいつも感じるのは、このおはなしが、子どもの心にぴったりと寄り添う筋立てになっていることです。
 
たとえば、「ごめんなさいをしなさい」「あやまったら仲直りね」とは、子どもがいつも言い聞かされている事で、遊び場で作法のように行われるそのやりとりは、子どもにとって、ある意味絶対的に従うべき社会のルールのようなもの。
そしてそれは、おなかの中でありこたちが断固抗議する、「あやまったのに たべるなんて──ばかあ!」「ぼくは なにも わるくちいわないのに、たべちゃうなんて わるものお!」という論理と同じものです。
 
弱肉強食の世界にいながらそんな怒り方って…と、大人はありこたちの呑気にも思える感覚のズレ方を、微笑ましく感じたりするのですが、子どもはきっと少しちがって、ありこたちの言うことはその通りだもっともだと、同意し納得しながらその冒険をたどっていく。
石井桃子さんの絵本はそんなふうに、子どもの実感や生活に即して、子どもの心が自然にそのおはなしの中に入っていくことを考えて作られています。
 
ありこの冒険を、子どもたちは、絵本を読むことを通して経験します。
そしてともに冒険を経たありこたちが、おなかの中から無事戻って、お誕生日のごちそうである、ケーキと、はちみつと、山ぶどうのジャムと、木の実を、みんなでいただくエンディングは、子どもの心を、幸せな気持ちで満たすのだと思います。
 
さらに最後に、ありこがくまきちのおかあさんに手伝ってもらって、おかあさんから言いつかったおばあちゃんへのおつかいをきちんと果たすところまで読んで、そこでまたその子は、ああよかったと、心からすっかり満足する。
子どもはみんなおかあさんが好きだから。おかあさんとの約束がちゃんと守られて、安心するのです。
 
生涯を通じて日本の子どもの本の発展に広く尽力した作者が、心を込めて世に送り出した本。
その底に流れるものを言い表すとするならば、それは絵本が拠るべき立脚点として、他ならぬ子どもの心のあり方を見つめ、それが向かい求めるものを大切にするということではないでしょうか。
 
『ありこのおつかい』のいたるところに、何よりもまず子どもがお話を心から楽しむことを願う作者の、あたたかで揺るぎない思いが隠れている。読むたびにいつも、そう感じます。
 
 
 
 

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