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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.329『かなたのif』村上雅郁/フレーベル館

蔦屋書店・佐藤のオススメ『かなたのif』村上雅郁 /フレーベル館
 
 
『かなたのif』の作者村上雅郁さんは、1991年生まれの鎌倉在住の方。2019年のデビューから5年目を迎えられた、Y.A小説のジャンルでいま最も存在感を示される作家さんのお一人です。
前作『きみの話を聞かせてくれよ』(フレーベル館)は、昨年4月の発売以来多くの読者を獲得してきましたが、さらに今年初め、全国各地の中学受験入試において少なくとも20校にのぼる数の国語の問題文で使用されたということで、群を抜いて多く出題された作品として大きな注目を浴びました。
入試で取り上げられる条件のようなものについては、すみませんほとんど知識もないのですが、そのような大事な場で何度も選ばれるということは、『きみの話を聞かせてくれよ』が非常に優れた作品であることを示す証拠だと思うので、ファンの一人としてとても嬉しいです。そしてまた、そうして話題になることでより多くの人がこの本を手にされたということを思うと、世の中がその分だけ明るくあたたかな方向に向いたように感じられて元気が出てきます。
 
今回ご紹介する『かなたのif』は、『きみの話を聞かせてくれよ』に続く、村上雅郁さんの第5作目の作品です。
「香奈多(かなた)」と「瑚子(ここ)」という名前の二人の中学一年生の女の子を主人公とする本作は、まさにこれから夏休みを迎えようとする、一学期終業式おわりの教室の場面からスタートします。空気をふるわす蝉しぐれと、窓の向こう真っ青な空を横切る飛行機雲。『かなたのif』は、どこか夢のようなひと夏の出来事を語りながら、まぶしいほど純粋な主人公たちの心のありようが描き出された青春小説です。
 
今回『かなたのif』がどのような作品なのかをお伝えするうえで、外すことができないと思われる大きな特色があります。それはこの本が、読んでいるうちに、いつのまにか思ってもみない方向に足を踏み入れていることに気付かされるような、読者の心を引きつける不思議な仕掛けが施された作品であるということです。
村上雅郁さんは『かなたのif』について発売前に「ファンタジーのような、SFのような…」と言い表されていました。デビュー作『あの子の秘密』(フレーベル館)では主人公と黒猫が会話する様子が描かれるなど、ファンタジー色のある作品はこれまでもありましたが、今回の新作はそうした味わいをより色濃く感じる物語になっているようです。まずシンプルに読みものとしてとても面白く、本を読むことの楽しさをこれからもっと知ってもらいたいと思う方にも強くおすすめしたい一冊です。
それから加えてお伝えしたいのが、この本の構成とそれが生み出す魅力について。本書は全編を通じて、二人の主人公をそれぞれ語り手とする〈「香奈多」パート〉と〈「瑚子」パート〉の章に別れており、それが代わる代わる交互に描かれながら物語が進んでいく形になっています。
 
小説の視点には何種類かあって、ざっくり分類すると“単独視点”と“複数視点”の二つに分けられるそうです。視点が一つなのか、それとも複数なのかという違いです。
単独視点である一人称視点は、主人公が自分の見たことや思ったことを、読み手に向けて喋っているような書かれ方。読者にとって主人公との強い一体感が持てるという長所がある一方で、主人公が知らないことや、主人公がその場にいない出来事については描かれないという一種の制約が物語に生じます。
それに対して複数視点は、視点がひとつに固定されず切り替わる形式です。例えば推理小説など、事件や出来事その背景といったことをしっかり描くことが重視される作品においてよく用いられます。
そうしたなか『かなたのif』は、香奈多と瑚子の二つの視点で書かれながら、それぞれが「ぼく」「わたし」という一人称を用いる形式がとられており、言うなれば〈一人称×2〉視点とでも呼びたい作りになっています。主人公たちの心情がそれぞれしっかりと追われているうえ、さらにはより多角的に描かれた物語が味わえる、単独視点と複数視点のハイブリッドのような作品だとも言えるでしょう。
 
この形式はデビュー作『あの子の秘密』でもとられており、きっと作者の方が得意とされるものではないかと拝察いたします。と申しますのは、村上雅郁さんがお書きになるこの一人称の語りというのが、とても軽やかで素晴らしく魅力的だからです。読んでいると主人公たちの気持ちがまるですぐ隣にあるように生き生きと感じられて、私はいつもその子のことが本当に大好きになります。無口で内省的な瑚子のパートと、おしゃべりな香奈多のパート。特に香奈多は、学校では先生の話を落ち着いて聞くこともできず、いつも一人で自分の気の向くままにふるまう問題児のように周りから見なされている存在なのですが、作者はそうした香奈多の行動や様子を目に見えるように描きながら、しかし彼女が本当はどんなに素敵な子であるのかということを、自然でユーモア溢れる内面描写によってあざやかに私たちに伝えてくれるのです。
 
まるで彼女たちの独り言のような一人称視点。一人称視点で書かれた小説は、その語り手が見たり知ったりする範囲のことしか表現できないということを先ほど申し上げましたが、そうした一種の制約がこの物語の中ではかえって見事に活かされているということも、少し申し添えておきたいと思います。
 
ひとり心に孤独や悲しみを抱えてきた香奈多と瑚子が、一人称で語るこの小説を読むことは、主人公をすぐそばに感じ、その子が大好きになる過程でもあるように思います。それはある読者にとっては、本の中で主人公という友人を見つける体験でもあり得るでしょう。
若い人に手渡すということを考え抜かれた本作からは、届けたいメッセージ、力になりたいという作者の方の思いが、滲み出ているように感じます。
相手から与えてもらった気持ちが、自分の生きるかけがえのない原動力になる。まっすぐな心を描くこの物語のなかで、愛は巡り循環しています。その人を変えるような強い気持ちというのは、留まることなく、いつもどこかに繋がっていくものなのかもしれません。
 
 
 

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