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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.370『ロンドン・アイの謎』シヴォーン・ダウド 著 越前敏弥 訳 東京創元社

蔦屋書店・佐藤のオススメ広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.370『ロンドン・アイの謎』シヴォーン・ダウド 著 越前敏弥 訳 東京創元社
 
 
ロンドン・アイとは、1999年にテムズ川沿いに建造され、イギリスの観光名所として親しまれている大きな観覧車の名称です。カンチレバー式と呼ばれる、片側で支えられた巨大な自転車の車輪が大空に浮かんでいるような特徴的な形状は、写真で見ても引き込まれるような独特の美しさを持っています。

本作は、そのロンドン・アイを舞台とする少年の失踪事件と、事件の解明に向けて奮闘する主人公たちの活躍を描くミステリー小説です。
物語は、12歳の少年テッドが住むロンドン市内の家に、叔母とその息子のサリムがやって来ることから始まります。主人公テッドと姉のカットは、5年ぶりに会う従兄のサリムといっしょに、ロンドン・アイに乗るための長い行列に並んでいました。

するとそこに一人の男性が現れ、急用ができたので、間もなく搭乗できる自分のチケットを譲ってやろうと言います。少し迷いながらも結局ロンドン・アイに乗ったことのないサリム一人がそのチケットを使うことにして、他の二十人の乗客といっしょに乗り込んでいったのですが、一周して降りてきたカプセル中に、彼の姿はありませんでした。乗ったはずのサリムは、なぜ忽然と消えてしまったのか? 大人たちが途方にくれるなか、テッドとカットは自分たちの力で謎の真相をつきとめていきます。
 
著者であるシヴォーン・ダウドは、国際ペンクラブで作家たちの人権擁護活動に長年携わった人物です。自身の作家デビューは46歳、その翌年に乳癌で亡くなりました。亡くなった後に刊行されたものを含む彼女のYA作品は、非常に優れたものとして高く評価され、カーネギー賞など大きな賞を受賞しています。

『ロンドン・アイの謎』は、彼女の著作で唯一ながら本格的なミステリー作品とされるものです。複雑なパズルを解くような込み入ったトリックは使われていませんが、決して簡単なものではありません。謎を解く鍵はさりげなく物語の中に配置されていますが、一読して仕掛けを見破ることは極めて難しいでしょう。読み返してはじめて気付くヒントの数々、さまざまな要素が繋がっていく厚みを感じる面白さに、思わず何度も唸らされます。
さらに本書の魅力は、そうした謎解き小説としての面白さだけにとどまりません。語り手でもある主人公テッドの頭の働きかたは、周りの人と少し違っています。人の気持ちやその場の雰囲気を読むことは苦手ですが、むずかしいことを考え続けることを好む彼は、現在ではおそらく自閉スペクトラム症と診断される特徴をそなえた頭脳の持ち主です。

私たちは、このテッドの目を通してお話をたどっていくことになります。他の人とは違った頭脳から生まれる、テッドの観察力や常識にとらわれない思考が、見事真相の解明に繋がっていくのを見届けることになるのですが、きっとそこまでいかずとも読めば間もなく、この風変わりでチャーミングな彼の魅力に引き込まれてしまうでしょう。
“相手の様子から感情を読み取る”ことが難しいテッド。人の様子を見て自分なりにそれを解釈するときのテッドの心のつぶやきは、たいてい若干ズレています。相手の神経を逆撫でしてしまうこともしばしばですが、その描かれ方は全体的にユーモラスで、特に姉のカットとのやりとりはコメディのよう。繊細な問題でありながらあたたかみが感じられるので、安心して笑うことができるのですが、いっぽうでそれはテッドのような子たちの容易に克服し難い“限界”を、読み手に具体的に伝える意味も持っています。読者は、彼のような少年にとって、他の人の当たり前がどんなに分かりづらいものであるのかという困難さにも、自然に触れていくのです。

失踪事件が起こる日の前の晩、同じ部屋で寝ることになったサリムに、テッドが「それまで誰にも言ったことのなかった自分の気持ち」を打ち明ける場面があります。学校でなかなかうまくいっていないテッドが、うわべだけでも自分を変えて、人から嫌われないようにしたいと思うのはなぜか、彼が話した次のような言葉には、いろいろなことを考えさせられました。
「人とちがうなんていやだ。自分の頭のなかで生きるのなんか好きじゃない。ときどき、空っぽの大きな空間にひとりぼっちでいるような気になるんだ。そこはぼくのほかに何もない」
ところでテッドはこのとき、ほぼ初対面の相手であるサリムに、自然に会話しながら自分の胸の内を言葉にして伝えます。おそらくそれまで経験したことのないそうしたことが彼に起こった、この印象的な一場面は、またサリムという少年の人間性の素晴らしさが描かれたものでもあります。
大きな感動を与えてくれる物語には、素晴らしい登場人物がいて、その言葉や行いにいくつも大切なことを教わるものですが、本書のサリムはまさにそのような存在であると思います。

謎解きに差し障りがあるのでここではあまりご紹介できないのですが、物語の中に登場するサリムの言動のひとつひとつが、今も心に残ります。それらは一人の少年の飾らない言葉でありながら、彼の持つ包容力や聡明さが滲み出たものです。
また、本書を何度か読み返し、それぞれの場面がもつ繋がりに思いを巡らすうちに、きっとサリムにとっても、この時のテッドとの出会いは、心を動かす大きな影響をもたらすものであったに違いないと思うようにもなりました。
 
作中の登場人物を、そこに生きて息をするひとりの人間のように描きながら物語を紡ぎ出していく、作者の方のまなざしの深さに、後々まで新たに何度も気付かされることがあるというのは、こうした素晴らしい小説がもつ特徴のひとつであるように思うのです。
 
 

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