広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.176

蔦屋書店・丑番のオススメ 『一度きりの大泉の話』萩尾望都/河出書房新社
 
 
出るはずのなかった告白が世に出てしまった。
萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』。恐ろしい本である。失われた人間関係についての告白。淡々とした語り口が過去の傷の深さを感じさせる。それは決して、懐かしむことができないものだ。竹宮惠子先生との訣別の記録。
 
『一度きりの大泉の話』は、2016年に出版された竹宮惠子著『少年の名はジルベール』と同時期のことを描いている。70年代初頭に竹宮惠子先生と萩尾望都先生が東京都練馬区大泉の一軒家に同居していたいわゆる「大泉サロン」と呼ばれる時代の話。天才・竹宮惠子が天才・萩尾望都の才能に怯え、嫉妬し、それを乗り越え、代表作『風と木の詩』に結実させるまでを描いた自伝的エッセイ。ひとりのアーティストが自分の表現をみつけるまでの、普遍的な話としても読める。また、物語としての構築度・完成度が高く、読後、一本の映画を見終わったような充足を感じる。つまりは、傑作である。
 
 
多くの人がそのように感じたのだろう。大泉時代のことがもっと知りたいと、もう一方の当事者の萩尾望都先生にも、多くの取材依頼が殺到し、さらには、ドラマ化の企画までが持ち込まれたという。萩尾先生は思い出したくない過去として、そのひとつひとつを丁寧に断っていく。しかし、『少年の名はジルベール』が出版されて、数年たっても、断続的に取材や竹宮先生との対談の依頼が訪れるので、大泉時代のことについては、取材拒否という姿勢を本という形で表明しておこう、という意図で出版されたのが本作である。出版の経緯としては極めて異例で、本来は世に出るはずがなかった本だ。
 
なぜ、竹宮先生と萩尾先生が訣別することになってしまったのかは、本書を読んでいただきたい。竹宮先生の行ったある決定的な行為が描かれるが、どうして、そうなってしまったのかについても、考えてしまうのだ。
 
ひとつだけあげるとすれば、萩尾先生のきらめくような才能とそれに反比例するような自己評価の低さだ。萩尾先生がマンガ表現を拡張させたひとりであることに異論があるひとはいないだろう。マンガ史に残る傑作『ポーの一族』の連作を執筆していた当時、圧倒的な作品を描きながら、出版社から干されるかもしれないとおびえている。『少年の名はジルベール』の中で竹宮先生は、萩尾先生への感嘆と賞賛、そして恐れを率直に吐露している。それはおよそ40年という時間が経ったから書けることであって、当時は自分の才能と萩尾先生の才能を比較して、マンガ家としての存在理由について考えることもあっただろう。萩尾先生はあれほどの作品を描きながら、自分の作品は真面目には書いているけど下手で、竹宮先生のほうがずっと才能があると考えていたのだ。竹宮先生は恐ろしかったと思う。謙虚であらゆることをマンガに活かしていく天才に、すべてを奪われるのではないかと。そのあたりのことは、巻末に置かれた城章子さんのエッセイでも示唆されている。城さんはマンガ家で、現在は萩尾先生のマネージャーをされている。
 
また、『一度きりの大泉の話』は、物語化を拒否していることも特徴だ。それは、竹宮先生が自分の人生を物語として再構成した映画のような完成度の『少年の名はジルベール』とは対照的だ。物語化の拒絶の例としては、トキワ荘と並び称される、「大泉サロン」に対してもなされる。竹宮恵子と萩尾望都がともに暮らし、多くのマンガ家やマンガ志望者が集まり、切磋琢磨し、少女マンガの表現を高めていく「大泉サロン」。マンガ好きは、そんな物語があって、「大泉サロン」がドラマ化される世界のほうが美しいと思っている。しかし、萩尾先生は、そんなことはなかったんだと、つきつけてくる。そうしたいと思っている人たちが作り上げた虚構なんだと。決してトキワ荘と並び称されるものではないと。
 
極めて特殊な事情から出版された本であるが、少女マンガ好きは必読の一冊である。竹宮先生との訣別の箇所がとくに注目はされるが、さまざまなマンガ家との交友や『ポーの心臓』や『トーマの心臓』の執筆の経緯も記載されており、マンガ史の空白を埋める本だと思う。そして、『少年の名はジルベール』と併せて読むことをおすすめしたい。
 
 
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