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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.230『戒厳』四方田犬彦/講談社

蔦屋書店・丑番のオススメ『戒厳』四方田犬彦/講談社
 
 
本書は1979年に日本語教師としてソウルの大学に赴任した若干22歳の「わたし」の1年間の韓国での滞在経験を、現在から振り返るという視点で書かれた小説である。実際に著者の四方田犬彦(よもた・いぬひこ)は1979年にソウル建国大学校の日本語教師として赴任しており、その経験をもとに書かれている。
 
1979年の韓国とは、どんな国だったか。
 
それは、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領による軍事独裁の時代。
大統領の永久執権を認める憲法が宣布され、民主主義を求めるすべての政治活動は禁止され、政敵は投獄されていた。夜間通行禁止令が敷かれており、深夜0時から午前4時までは、いかなる理由があっても外出はできなかった。映画館の壁には「禁煙」の表示の下に必ず「反共」と書かれていた。共産主義に関する書物は持つことも禁じられており、言論の自由はなかった。南北朝鮮のほぼ全土を戦場とした朝鮮戦争の悲劇は、まだ生々しく記憶され、1975年に終戦したベトナム戦争には多くの韓国兵が出兵していた。
漢江の奇跡と呼ばれる経済発展を成し遂げるも、まだ交通インフラは整わず、バスがのろのろとソウル市内を走っていた。子どもの物売りや物乞いもまだ目についていた。日本の大衆文化は放送や出版は、禁止されているが、海賊版は受容され、植民地時代の皇民化教育の影響で、日本語で教育を受けた日本語話者がまだ多くいた。
 
そんな時代に、韓国の大学で日本語を教えるということは、否が応でも、国家とは何か、歴史とは何か、言語とは何か、戦争とは何か、という問いを突きつけられる。旧宗主国の人間が旧植民地の学生に日本語を教えること。「わたし」はその権力勾配に自覚的だ。なぜ学生たちは日本語を学ぶのだろう。日本語学科ではなく外国語学科という学科名を名付けられ、友人にも、ときには家族にまで日本語を勉強していることを隠している生徒が少なからずいる。日本語教師という就職のためという理由もあるが、個人がある言語を学ぼうとする場合は憧れがまず先にあるはずだ。しかしそれをおおっぴらに言うことはできない。ふたつの国家の間で切り裂かれる個人。「わたし」は以下のように述懐する。
 
「日本統治下の世代は日本語で勉強したのであり、解放後の今日の世代は日本語を勉強しているのである。韓国の現実に強い疑問を抱く若者が、よりよき社会のヴィジョンを求めて、あえて忌避されている日本語を選ぶ。そこには軽々しく踏み込むことのできない、何か真摯なものが感じられた」
 
本書はフィクションであるが、これまで著者が書いてきた韓国についての文章を読む限りでは、概ね事実に基づいて書かれた回想録であると言える。しかし、明らかな変更点がある。それは「わたし」の年齢のことだ。四方田犬彦が渡韓したのは、修士論文を提出し、博士課程への進学が決まっていた26歳のこと。それが本書では学部を卒業したばかりの22歳に変更されている。本書の冒頭、酒席の流れで韓国行きを決める「わたし」は年齢相応に幼い。まだまだ未熟な「わたし」が異なる文化と交わる中で、自分自身を、日本を見つめていく物語であると言える。
 
そして、もうひとつ著者本人とは異なることがある。それは、22歳の「わたし」はセリーヌを読んでいない、ということだ。本書の冒頭でセリーヌが好きだという女友だちに対して、何か甘いお菓子のことだと勘違いしている「わたし」。小さなことというかもしれないが、セリーヌの読書体験は、四方田犬彦に大きな影響を与えた。四方田犬彦の高校時代の回想録『ハイスクール1968』(新潮社・絶版)からセリーヌの代表作『夜の果てへの旅』を17歳の夏に初読したときの「人生を二分するほどの」という衝撃を、長くなるが引用したい。
 
「人生がかくも脆く、かくも怯懦と卑劣と憎悪に満ちているならば、いったいそこにどのような意味を見出してゆけばよいのか。ふとした軽い気持ちから志願兵になってしまった医学生が、戦場で地獄を見、暗黒大陸と呼ばれたアフリカで残虐の極みをまざまざと体験してしまう。パリに戻って貧民窟で町医者を始めるのだが、人間であることの悲惨はいやまし、親友が野良犬のように息を引き取るあたりで頂点に達する。『夜の果てへの旅』は、わたしがこれまで無邪気に信奉していた、人間の成熟と幸福をめぐる信頼をもののみごとに打ち砕き、姿勢を立て直そうとするわたしに、さらに手厳しく足払いを食わせて、泥だらけの地面へと叩き付けた。いくら立ち上がろうとしても、セリーヌはわたしの信じた足場を崩し続けた。人間をつまるところ、腐りかけの代物にすぎないという彼の教説は、ほとんどわたしを圧倒した。」
 
これほどの衝撃を受けたセリーヌを読んでいないという設定にしたのは、物語上の意味があるだろう。この『戒厳』という小説は、「人間の成熟と幸福をめぐる信頼」を持っていた「わたし」がそれを失う物語として、読むことができるだろう。
1979年の10月に朴正煕大統領が暗殺され、つかの間の「韓国の春」とでも呼ぶべき民主化の時代が到来した。しかし、それはすぐに全斗煥(チョン・ドゥファン)による民主化弾圧に変わっていった。そして、光州事件と呼ばれる、民主化抗争の中で民衆が軍によって虐殺された事件が起こる。その韓国の状況が「わたし」を絶望させたのではない。隣国の状況になんの関心も示さず、興味のない「わたし」の周りの日本人に絶望したのだ。そして、それは渡韓する前の自分自身とも重なるものだ。
 
四方田犬彦は2020年に出版された『夏の速度』(作品社)という同じく、1979年の日本語教師の経験をもとにした小説がある。帰国後すぐに滞在記のテイストで書かれたが、光州事件のあとでは、それは描けないと架空の人物を登場させた完全なフィクションに内容は変更された。陰鬱な青春小説である。出版社からはもう少し書き足してほしいと言われていたが、放置され、40年後にそのまま出版された。そちらも併せて読んでほしい。滞在記として描かれた『戒厳』と対になるような作品だ。
 
 
 
 
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