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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.279『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸 /左右社

蔦屋書店・犬丸のオススメ『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸 /左右社
 
 
「#千葉ルー」でSNSが賑わっていた。
興味しかない、このタイトル。『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』。千葉からほとんど出ず、小説家に?ルーマニア語で?なぜ?どうやって?
しかも、カバー表紙絵は、横山裕一さん(3月に『ネオ万葉』(パイ インターナショナル)が発売されたばかりで、こちらも熱い)が担当し、キラリとカッコいい。そのうえ、帯では、あの翻訳家・岸本佐知子さんが推薦している。こんなに謎だらけで、推しがてんこ盛りで、SNSでは「おもしろい!」と盛り上がる。これは、わたしも読むしかないではないか。
 
先に言ってしまうが、かなりおもしろいのだ。うまくいかなかった鬱期のことも書いているが、引きこもりのイメージを覆す行動力で、文体のリズムがよく笑える。読み手の背中までグイグイ押してくれる力がある。型破りだが、尊敬できるカッコいい生き方をしている。
 
著者の済東鉄腸さん。大学はなんとか卒業したが、鬱状態になり、その後、引きこもりになったそうだ。そのころは、まだ週一でバイトもできていて多少の収入はあった。だがコロナの蔓延でバイトがなくなり、さらには難病に罹ってしまい、遠出が身体的にもできなくなってしまう。
 
ここで、本書でも触れられている引きこもりの定義だが、厚生労働省のHPを検索すると出てくる。定義では、社会的参加を回避し、また6ヵ月以上概ね家庭にとどまり続けている状態。ただし、他者と交わらない形での外出をしていてもよいとあり、近所のコンビニや、趣味の用事で外出することは「広義のひきこもり群」として含まれる。
 
鬱状態で引きこもっている時は、小説も読めなかったそうだ。確かに読書は、体力がいる。はたから見れば、じっとしているので優雅な趣味と思う人もいるようだが、能動的に文字を追わなければいけないし、頭の中はあれこれ忙しい。本当に辛いときには1ページも読めなくなる。そこで、もともと好きだった映画をがむしゃらに観たそうだ。映画は再生されれば受動的に楽しむことができたので、自身の状態に合ったそうだ。そしてインターネットへ批評を書き込む。インターネット上には、誰に請われたわけでもないのに自分が書きたいからという理由だけで、批評を書きまくっている人達の存在があり、その人たちの批評が済東さんを魅了する。そこにいた人たちは、旧作・新作の区切りもなく、国の境もない。日本では未公開の映画についてもめちゃくちゃ書かれていた。映画好きが、ただ映画について書いている。そんな人たちのようになりたいと考えた済東さんは、「日本未公開映画」を片っ端から観てその批評を書くようになっていた。
そして、人生を変えるルーマニア映画に出合う。その時の衝撃を、「ルーマニア語辞書に脳髄をブン殴られるような経験をした」と書かれていたが、ここからルーマニア語に向かってエンジン全開で加速していく。
 
と、まだまだ序盤なのだが、あなたが本書を最後まで読んだとき、どう感じるだろうか。
この人は特別?わたしにはできない?
確かに、済東さんと同じようなことをしても、誰もが同じように生きることはできないだろう。だが、この「スゲエ!」と思えるものに出合った時、ガツンときた衝撃の熱量を持ったまま、もっと知りたいと突っ走れるエネルギーは誰でも持っているのではないだろうか。好きなものにがむしゃらな時は、自分をカッコいいと信じることができる。逆に、他者からはダサくてカッコ悪く見えるかもしれない。しかし、その時こそ、能動的に学ぼうとしているし、学ぶためのアンテナが何本も頭のテッペンから突き出て、型破りな手段まで取り入れ行動できる。がむしゃらさゆえに他者からのまなざしも気にならない。もしかしたら、引きこもりであったからこそ、「そんなことして何になるの?」なんて言ってくるおせっかいな人にも幸運なことに出合わず、突っ走れたのかもしれない。と、思えば、最悪な状況が最高の状況なんて、やはり人生において、本当に無駄な時間なんて存在しないのだ。今、「最悪」と思っている人も、どのタイミングで好きなものに出合ってガツンとくるかわからないし、好きなことに突っ走っていれば、きっと「無駄じゃなかった」と言える日は来る。
 
本書について、まだまだ語りたいことが山ほどあるが、あとひとつだけ。
改めて思うのは、何かと問題もあるかもしれないがインターネットはうまく使えば、強い味方になってくれるということだ。済東さんも引きこもりながらルーマニア語を習得するためにFacebookを活用した。驚くような出会いもそこにはあった。そしてまた人生が好転する。
引きこもるまではいかないとしても、自身が所属するコミュニティに問題を抱える人も多いことだろう。コミュニケーションの取り方がマナーという言葉とともに社会規範としてマニュアル化されると、それから外れないようにしなければならず、やりたいことにも躊躇してしまったりする。他者からのまなざしによって、行動が小さくなってしまうのだ。
だが、割と簡単に地域や国を超えてしまうインターネットの中では自由な部分も多い。探せばどこかには自分が生きるコミュニティが、きっと存在している。現に「#千葉ルー」も盛り上がった。
 
思い通りにいかないことは多いが、一度しかない人生だもの。折角なら、がむしゃらに自分の人生を生きたいものだ。そう思わせてくれた一冊に出合うきっかけも、またインターネットの中からだった。
 
 
 
 

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