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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.334『アリになった数学者』森田真生 文、脇坂克二 画/福音館書店

蔦屋書店・佐藤のオススメ『アリになった数学者』森田真生 文、脇坂克二 画/福音館書店
 
 
以前からこの本の存在は知っていたのですが、理数全般が苦手な私は、絵本であってもこうしたテーマのものに手を伸ばすことは普段ほとんどありません。ですが先日作業中に、この絵本の中を確認するためページを開いて目に入った数行の文章が、あまりにきれいだったのでびっくりして、それでそのまま買って帰ってしまいました。
 
改めて家で、はじめからひと通り読みました。美しい文章に引き込まれるようでした。でもそれだけでなく、更にそのあと続けて二度、三度と繰り返して読んだのは、読むごとに、それまで見落としていた言葉の意味や繋がりのようなものが少しずつ見えてきて、ゆっくりと腑に落ちていく感覚があったからでした。
 
ただ、腑に落ちる感覚があったと申しましても、作者の方がこの絵本で表していることを私がちゃんと理解できたのかといえばそれは違います。この本が描くのは、おそらくとても深遠な世界です。『アリになった数学者』は、子どもも分かる言葉で書かれた作品ですが、そのお話を通して表現されているものは、数学という学問に真剣に打ち込む者が、学問の本質に向き合い見える世界のことであるようです。
 
冒頭、主人公である数学者は、自分の身体が一匹のアリの姿に変わっていることに気がつきます。
光を感じる程度の視覚、六本の足を使って走り回る感覚など、アリとして行動する様子が語られますが、しかし一方で彼は人であったときと同じように、数学のことを考え続けます。
 
ある日、広場に落ちている7つの実を、1つ目の実、2つ目の実…と数えることを仲間のアリに教えようと試みた主人公は、結果それが全く伝わらなかったことに深く落胆します。
しかし彼が伝えようとしたのはあくまで人間の目から見た数の一面にすぎないのかもしれないのです。本書は〈1とは何か〉ということを主題とする作品であるとのことですが、作者の森田真生さんは刊行時のインタビューで「〈1とは何か〉ということは、実は僕にも誰にも分からないことで、この絵本はそれを考えている現場を表現したものです」と話しておられます。
主人公はそのあと女王アリと出会い、ひとつぶの朝露をめぐって言葉を交わすうちに、自分の数に対する捉え方がいかに限られた世界のものであるかということを悟っていきます。
「しずく」や「雨」は、作品全体を通じてたびたび登場する重要なモチーフです。森田さんは先程と同じインタビューの中で、以前アリが水滴を抱えているかのようなきれいな写真画像を見つけたこと、水滴は人間が触れるとすぐ割れてしまうけど、アリが乗っても割れない、人間は一粒のしずくを持つことはできないけど、アリは全身で感じられるのだ、というお話もされていました。人とアリ、それぞれにとっての「1」が同じものとは言えないという、作品の主題に通じるエピソードであろうと思います。
 
そして、そのように本作品の中で〈1とは何か〉という主題を考えていくことと並行して、作者の方が私たちに伝えている、もうひとつの重要なテーマがあるように思います。それは、何かを本当に「分かる」こと「知る」こととは、一体どういうことなのかという、根本的なあり方についての思索です。
以下、その内容が端的に示される、主人公のモノローグの一部を引用致します。
 
 
…「松のことは松に習え」ということわざがある。
松のことをほんとうに知りたかったら、自分がすっかり松になるくらい、
全身で松のことを思いつづけないといけないのである。
 
あたまで「この人は悲しいんだな」と理解することが、
悲しみを知ることではない。
相手といっしょになって、自分まで悲しくなったとき、
はじめてその人の悲しみがわかる。
知るということ、わかるということは、
自分ではない相手の心と、深く響きあうことなのだ。
 
数学をわかることも、これに似ている。
ただうまく計算したり、知識をふやしたりするだけじゃない。
数や図形の声に耳をかたむけ、心かよわせあうこと。
それが、数学者のいちばん大切な仕事なのだ。…
 

さらに主人公は、次のようにも思いを巡らせます。
 
 
…雨の音に聴き入るうちに、自分がすっかり雨になる。
あるいは澄んだ月を見あげるうちに、自分までもが月になる。
最近、そういうことがふえていた。見えない、ふれられない数学の世界に、いつも集中してきたせいか、心がからだの外に、もれだしやすくなっていたのだ。
アリになったのもそのせいだ。…
 

第15回小林秀雄賞を史上最年少で受賞された、森田さんの初の著作である『数学する身体』(新潮社)を読むと、そのなかに、絵本『アリになった数学者』と共通する、ある一定の深い知見が示されていることが分かります。
その知見というのは主に、天才数学者岡潔(1901-1978)が、その生涯で達した境地の高みについて、森田さんが力を注ぎ伝えておられるところの内容です。岡潔は当時世界の数学者の誰もが手に負えなかった“多変数函数論の三つの大問題”を一人ですべて解決したことなどで知られる伝説的な人物です。 本当の意味での「分かる」「知る」ということを、対象と自分との境界がなくなるほど考え抜くことで得られる境地とし、それを体現した岡潔の数学者としてのあり方を伝えることが、これらの本の重要な動機のひとつであるのは間違いないように思われます。
 
『アリになった数学者』をはじめて読んだとき、ぼんやりとではありますが、読み返すごとに何かが腑に落ちる感じがしたのは、たぶんこの作品がお話のかたちをとりながら、このような、そのお話だけに留まらない、ひとつのとても大きなものを表現しているからではないかと思います。その大きなものの表出としての各々の言葉やエピソードが、繰り返し読むうちにどこかしら自分のなかで意味を成すように結び付き、正体はよく分からないながらも美しいその像が、少しずつ見えてきたような感覚だったのかもしれません。
 
理知的な存在である数学者が、詩的で美しい言葉とモチーフを用いながら、大人だけでなく子どもにも分かるお話としてその哲学を表現した絵本。他ではあまり共立することのないさまざまな要素が溶け合っているような、不思議な味わいを持つ作品だと思います。
 
絵を手掛けておられるのは、マリメッコ、SOU・SOUデザイナーの脇阪克二さん。数学とデザイン、それぞれの分野で活躍されるお二人のコラボレーションである本作品は、2017年秋に福音館書店の雑誌『月刊たくさんのふしぎ』で刊行。大きな反響を呼び、翌年異例の早さでハードカバーとして再版されました。
 
読めば、子どもは自由に楽しみ、大人は驚き考えさせられる。それぞれ抱いた感想を親子で話し合ってみるというのも、面白いかもしれません。幅広い世代の方に向けた読みごたえのある絵本として、末永く多くの方に手に取っていただきたいと思う作品です。

 
 

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