広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.29
戦争中のサラエボで幼少期を過ごした人々に対して「こどものあなたにとって戦争とは何でしたか」とう問いかけに対して、SNSなどを通じて集まった1000を超えるメッセージを編集したのが本書である。
1992年から95年まで行われたボスニア戦争。その中でもっとも多くの死者を出したサラエボ包囲戦。サラエボ市民は武装勢力に囲まれ逃げることができなかった。また、ボスニア政府にとっても街を守る人質として、住民たちの街の出入りを禁止した。4年の間にサラエボでは、11,000人以上が殺された。そのうちこどもは1,600人。
サラエボを囲む丘から武装勢力が銃や大砲をうちこむ。防空壕だけにいることはできない。水をくみに、配給物資を受け取りに、道路を渡らなければならない。こんな回想があった。
スナイパーがねらっている通りを、友達が走って渡ろうとしていたんだ。母親は髪を逆立てて見守っている。それをみてる2人の男が賭けをしていたんだ。
彼が生き残れるかどうか。
スナイパーが兄を殺した。
僕がこどもでいられる時間も。
戦争を知るということは、どういうことだろう。もちろん、概要や経緯を教科書的に知ることは必要だろう。本書の1000を越えるメッセージを読むことは、まるで友だちから話を聞くように、戦争の恐ろしい状況、極限の状況を感じることができる。そう、知るではなく、感じるのだ。
戦争が奪うものはいのちだけではない。子どもが子どもでいられる時間を奪ってしまう。
たとえば、こんな回想。
戦争中にこどもでいるっていうのは、つまり、学校に好きな子がいて、
その子が迫撃弾で殺されるってことだよ。
あまりにも速く、しかも無理やり、
ぼくらを取り巻く生活の、
さまざまな問題や危険を教え込まれ、
真剣に考える羽目になった。
戦争中であっても笑い、楽しみ、喜ぶこと。生活をすること。それが戦争を生き延びる手段であったことがわかる。たとえば、こんな回想。
ぼくたちは戦争でなく、生活を選んだ。
笑い、遊ぶことで、戦争中少しでもましな幼少期を送ろうとした。
カードのかわりに爆弾の破片を交換し、停戦のあいだはパルチザンとドイツ兵ごっこをした・・・・・・私たちみんな、平和を夢見てた。
戦争のあいだはどんなにもちいさなことにでもしあわせを見出した。
ランチパックのチーズほどしあわせを感じられるものって、今はもうないもの。
焼きたてパン、マヨネーズ、
それからコップ1杯のミルク。
この本の翻訳は小説家の角田光代さん。角田さんは訳者まえがきでこのようなことを書いている。
「食べものは生命を維持する。でも、「いのち」を維持するのは音楽だったり映画だったりスポーツだったり、会話だったり笑いだったり、目にはみえない希望だったりするのではないか」