広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.82
蔦屋書店・江藤オススメ『線は、僕を描く』砥上裕將 著/講談社
美しいものが生まれる、かけがえのない瞬間を目撃したことはありますか。
もしくは、かけがえのない美しいものを生みだしたことはありますか。
例えば、写真作品について考えてみましょう。
その写真が大変美しいものをとらえていたとする。
では、その作品が生まれたのはいつなのか。
美しい瞬間が起こったときなのか。
シャッターが切られた瞬間なのか。
現像したときなのか。
写真を引き延ばして額装したときなのか。
では、小説は?
『線は、僕を描く』では、水墨画を通して、1人の青年の再生が描かれます。
両親を亡くして、深い絶望の中で、心を閉ざしてしまった少年。閉ざされた感情の中で、彼は無感動にただ生きているだけの存在になってしまいます。
しかし、ある日。彼は水墨画に出合います。あまり積極的ではなかったものの、なりゆきから、日本を代表する水墨画家のもとで修行をする事になります。
そこで彼は、水墨画の奥深さと、水墨画に関わる人々の情熱、画家たちの一途さを知り。自らをその世界へと深く沈み込ませていきます。
そうして彼は、もともと持っていた物事を素直にとらえる目、美しいものを見る良い目を開花させます。やがて読者は、彼がある大変美しいものを生み出す瞬間を目撃する事になります。
しかし、彼に才能があったのか、美しいものを生み出すことができたかどうかなんて、じつはあまり重要ではないのです。
彼を救いたいという思いこそが、この作品のキモです。
とはいえ、あなたもこの本を読むことで美しいものが生まれる瞬間を目撃する事ができるのです。
ただ、これだけでは最初の問いに全て答えた事にはなりません。
この本の中では水墨画について、とても深く語られます。
水墨画とは、通常の絵画とは違い一度引いた線を書き直すことはできません。しかも、紙に吸い込まれる墨の濃度も、線を引くスピードも、全てがその瞬間に最適なものでなければなりません。
それはある種の身体表現を伴った芸術であると言えると思います。
であれば、できあがった水墨画を見ているだけでは、実はその表現の全てを体感していることにはならない。その描く姿を見るという、ある意味体験型の芸術作品だとも言えるのです。
さてここで、写真が作品として成立するのはいつかという問いに答えたいと思います。
それは、観客によって見られた瞬間ではないでしょうか。
その瞬間に作品は成立するのだと思います。
では、小説は?
本というのは、ただの紙の束です。その紙の束には文字が印刷されています。その文字を読むことができない人にとっては、どんなに素晴らしい文章で、素晴らしい物語が書かれていても、一切理解することはできないでしょう。内容がいかに素晴らしくても、読めない文字が書いてある紙の束を見て感動する人はいないでしょう。
では、その人はその紙の束に書いてある文字が読めるとしましょう。しかし、文字が読めるだけです。数字の羅列を読んでいるように、ただ文字を読んでいるだけではどうでしょうか。文字の並びに感動できるとは思えません。
では僕らはどうやって本に感動しているのでしょうか。
読者は、文字を読み、それを自らの頭の中で情景に変え、登場人物を頭に描き、彼らの言葉を、彼らの動きを、脳内で組み上げて、物語を自ら生み出しながら、その物語に感動するのでしょう。まさにそれは体験型であり、参加型の芸術です。
いってみれば、小説が作品として成立するためには、読者の存在が欠かせないのです。
読者はその小説が作品として成り立つための最後のワンピースなのです。
あなたは、この小説を読むことでかけがえのない美しいものを生みだしているのです。
こんな素晴らしいことが他にあるでしょうか。
僕はこのことに深く感動します。
たくさんの小説があなたに読まれるのを待っています。
あなたが読む事で
その小説は生まれるのです。
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