広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.31

【蔦屋書店・犬丸のオススメ 『赤ヘル 1975』重松清/講談社】
 
 

1975年春、原爆投下から30年目。中学1年生のマナブは広島に父親と二人でやってきた。マナブは、父親の仕事というか性格というのか、そのせいで、引っ越しを繰り返していた。広島もその中のひとつの土地だった。越してきたその日、二人の男子にジャイアンツの帽子をかぶっていることを注意される。そう、広島はとにかく熱いのだ、カープに。

 

カープ創立からの歴史は、戦後の復興と切り離して語ることはできない。1950年、戦後5年でプロ野球球団が広島で創立したのも驚きだが、カープはとにかく弱小で貧乏球団だった。市民がとにかく支えた。原爆ですべてをなくし、傷ついた土地に生まれた健全な娯楽だった。

マナブはカープに熱い広島の土地に住むことで、戦争や原爆投下のことが、うすぼんやりとした教科書の中の出来事ではなく、現実のものとして受け止め考え悩んだ。今まで住んだ土地より、戦争が過去の出来事でなく近く感じられた。クラスメイトそれぞれが、戦争体験のある大人に囲まれ、自らも傷つき戦争について考えている。

 

広島での出会いが、マナブを変えていく。近所の横山のおじいさんの首筋から肩、腕にかけて、原爆のケロイドを見たとき、全身がすくんでしまう。原爆が現実なのだと実感する。

原爆について知りたかったし、自分の思いも語りたかったが、「よそモン」の言葉になんともいえない疎外感を感じてしまう。それでも、なにかしたいと考える。

わたしも、マナブと同じ「よそモン」だ。「原爆手帳を持っている」の言葉にどきりとした。改めて広島に住んでいるのだと実感した。地元新聞につづられる被爆者の話。今年も8月6日が近い。その日は、独特の雰囲気に包まれる。日頃、陽気なこの土地に、1945年8月6日の光景が覆いかぶさる。皆がそれぞれに心に抱えている壺のふたを開け、呼吸さえせず、じっと覗き込んでいるかのような沈痛さがある。

しかし、わたしのなかで、もやもやとしたものが大きくなるのだ。その正体は、マナブが感じたものと同じ「疎外感」なのだ。「よそモン」だから、語ってはいけない触れてはいけないように感じていた。そう感じるのは、わたしが「よそモン」だからなのだと。

だが、それは正しい考えなのだろうか。「疎外感」という言葉に甘え、もっと深く知ろうとすることをどこかでやめてもいいと思ってはいなかっただろうか。

 

広島での「疎外感」の正体。わたしは、「持たない」者だ。被爆体験や体験した家族を「持たない」。「持つ」者との間にある、圧倒的な差だ。その差を少しでも埋めるために、知ることから始めるのだ。知り、自身で考え意見を持つのだ。だが、そこで「持たない」者は踏みとどまってしまう。「持つ」者へ語るのが恐ろしいのだ。わたしもそうだ。「持つ」者を傷つけることも恐ろしいし、反感を受けるのも恐ろしい。それが本当に深く知り考えた意見なのか。誰かから植え付けられた偏った見方しかしていないのではないか。自分自身すらも疑わしい。

 

それを抑え込むには、読むしかない。読んでも読んでも、その両者を隔てる線はなくなることはない。それでも、ひたすらに読むのだ。

 

全ての事において、知ることは最初の一歩だ。知らないで良いことなどない。一定の方向ばかりからではなく多角的に知り考えなければいけない。そこから生まれる自分の意見を持つことは重要だ。そしてその先にある、語ることを恐れてはいけない。隔たる線を自覚しながら両方の者が語り合う。それこそが、言葉が持つ本質なのだ。

 

1975年、カープは初優勝を果たす。初優勝のパレードに多くの市民が集まった。その中には亡くなった家族の遺影を掲げた人の姿も多かったという。優勝パレードで、選手に向けられたのは「ありがとう」という、感謝の言葉だった。

広島で過ごした数ヶ月はマナブを変えた。カープも結構好きになった。原爆、戦争について考えた。そんなマナブの目に、パレードはどのように見えたのだろう。

2016年、25年ぶりにカープは優勝した。

わたしは、どこかにマナブがいるような気がして、少し後ろからパレードに集まったファンをひとりひとり見ていた。

 

 

 
 

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