広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.32

 【蔦屋書店・丑番のオススメ 『ポロポロ』田中小実昌/河出書房新社】
 
 

映画『この世界の片隅で』はすばらしい作品だった。こうの史代先生の原作も。戦時下の暮らしが丁寧に描かれていて、当たり前のことだが、わたしたちのひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが体験した事実として、戦争があるということを改めて理解した。主人公のすずさんが自分の知り合いのように感じられた。

同時期にすずさんと同じ、呉に住んで、呉の坂を登っていた人の本を紹介する。田中小実昌さんだ。

 

ご存知でない人もいるかもしれないので、簡単に経歴を紹介したい。田中小実昌(たなか・こみまさ)。牧師の父のもと、東京で生まれる。各地を転々としたあと、4歳から呉に。呉で少年・青年期を過ごす。旧制福岡高校在学中の1944年に19歳で召集。中国戦線に。1946年復員。東京大学入学。中退。その後、テキ屋やストリップ劇場、米軍基地などさまざまな仕事を経て、ミステリの翻訳家に。その後作家活動に入り、1979年に直木賞受賞。今回紹介する『ポロポロ』で谷崎潤一郎賞を受賞。2000年没。愛称はコミさん。

 

『ポロポロ』はコミさんの戦争体験をもとにした7つの作品からなる短編集だ。表題作の『ポロポロ』のみ1941年の呉を舞台にしているが、それ以外はすべて中国戦線を描いている。描かれているのは行軍や野戦病棟での日々だ。コミさんの所属する中隊は終戦まで「誰かを撃って殺したというようなことはなかった」部隊だ。戦闘行為はいっさい描かれない。しかし、死はとなり合わせだ。敵に殺されるのではない。行軍中に脱落していくのだ。どれほど行軍がつらいのか。以下のように描写されている。

 

「行軍のときは、ほんとにもってるものは、なんでもすててしまいたい。袴下(フンドシ)ひとつもってるのが、生き死にに関係があるような気さえする。もってるものどころか、行軍のときは、それでいくらかでも身がかるくなるならば、自分のからだの皮でも剥いですてたい、と言われる」

 

行軍中に、または、マラリアやコレラ、赤痢などの伝染病で、死がとなり合わせの日々。しかし、どこかとぼけたユーモラスな味わいもある。コミさんの便からアメーバ赤痢菌が検出されたとはしゃぐ衛生曹長。それにつづくこんな描写。

 

「ぼくも、これで、アメーバ赤痢患者としてのタイトルをあたえられたみたいで、うれしかった。うれしかったなど、ふざけた言いかたにきこえるだろうが、事実、ぼくはうれしい気持ちだった。だいいち、ぼくがふざけた人間だからだろう。それにアメーバ赤痢の菌がでたのならば、当分は中隊にかえらずに、野戦病院の伝染病棟にいられる」

 

コミさんのひらがなの多い文体とあいまって、悲惨でありながらも水木しげるの戦争マンガのようなおかしみを感じさせる。

 

しかし、一方でこの小説はとても恐ろしい小説である。それは言葉というものについて、物語というものについて、書かれた小説でもあるからだ。言葉というものは、ありとあらゆるものを丸くしていく。物語というものはある定型的なパターンがあり、パターンから逃れることすら定型的なパターンがある。物語という定型的なパターンを使わずに、伝えることは可能なのか。コミさんはこのように書いている。

 

「物語は、なまやさしい相手ではない。何かをおもいかえし、記録しようとすると、もう物語が始まってしまう。」

 

物語というものにどう対峙し、戦争を語っているのか。ぜひ本書を読んで確かめてほしい。

 

 
 

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