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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.187

蔦屋書店・犬丸のオススメ 『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』斎藤 環  與那覇 潤/新潮社
 
 
もっと、やんわりとした本だと思った。
最近カバー装画で見かけることが多い、三好愛さん。ほんわりと優しくて読み終えた後に見返すと、とても的を射ているなあと、しみじみ思う。指先でさらりさらりと紙の感触を確かめながら撫でたくなるような絵だ。
なので、あまりなにも考えず手に取り買ってしまった。タイトルももちろん気になったが、三好さんの絵にひかれた全くのジャケ買いだった。
 
だが、これがとても熱かったのだ。
 
本書は、ひきこもりを専門とする精神科医の斎藤環さんと、双極性障害による重度のうつをくぐり抜けた歴史学者の與那覇潤さんによる対談本だ。生きづらいと感じている人に携わる医師とその当事者で患者ともいえる二人が、生きづらさについて対話を重ねている。医師と患者とはいえ、お互いの間には上下の関係などはない。本書を通して行われるのは、対等なそれぞれの立場で交わされる対話だ。
 
第一章の「友達っていないといけないの? ― ヤンキー論争その後」で、歴史学者の與那覇さんは、歴史感覚なんてなくていい、場合によっては積極的に歴史を「捨てて」いくのだ、と、言う。なぜなら、過去との比較(前はできていたのに、今はできない)が、苦しみとなる。過去から続く記憶(歴史)を生きていることが、その人を幸せにするのではなく追い詰めてしまうという体験を病気になって初めて知った。そして、斎藤さんの「日本のヤンキー性」、今この瞬間の価値を最優先し永遠の現在を生きている「ヤンキー」こそ、日本のマジョリティに潜む姿ではないかという議論に触れ、だがもしかしたら、この瞬間という姿勢で生きることこそが、なんとかうつに陥らず生き延びる予防線なのではないか、と、続ける。
歴史学者が歴史を捨てると言うのにも驚いたが、体験からのことばになるほどと思う。さらには日本のマジョリティが持つ「ヤンキー」的な思考批判への議論が、うつを予防する考え方にも使えるのではないか、と、展開させたのだ。
それを受けて、斎藤さんは、たしかにうつの時は過去を悔やみ未来に悲観し絶望のほうへ思考が進む。そこから抜け出すために、自分には現在しかないというメンタリティが有効なのかもしれない。それは、今―今―今―今…と、今だけが連なる時間感覚で、今現在ハッピーならば現状維持で良い。先行きの不安は消えず増えているが、今この瞬間の価値を追求することでむしろ幸福感は増すという現象が起こっている、と、話は膨らむ。そして、この現象は政治にもみられると、対話は進んでいく。
その後、精神医学での人間が持つ時間の意識の話となり、與那覇さんが入院していたとき世間からヤンキーと呼ばれる人たちによくしてもらった話となる。そしてさらに…と、続く。
思わぬ方向へ話が進みながら発展していくので、次はこう来るかとジャムセッションのようでもあり、読み手に適度な緊張感を与えながらも、対話の中に流れるテンポの良いリズムに乗り次々とページをめくってしまう。
 
独りで思考を重ねるとき、それは安全な家の中で大きな鍋の中のスープをひたすらかき回すことに似ている。ああでもないこうでもないと、脳内でぐるぐるとひたすら悩む。足らない情報や経験を具材やスパイスとして加え、知識という味の深みが思考というスープを変えていく。焦げ付かないようかき回しながら、さらに発展させていく。結果、なんとなくうまくまとまったスープができるのだが、自分だけが満足する味のようで、いつもわたしは物足りない。所詮は自分好みの具材だけを混ぜあわせた退屈な味のスープに思えてしまうのだ。だが、対話によって、わたしの中に今までにない思考が生まれる瞬間がある。相手と意見を交わし、時にうまくこちらの予期を裏切られることで、自分では選ばないようなスパイスや調理法を知る。こちらの意見をひっくり返されたりするうちに、それまで安全だと思って閉じこもっていた家の屋根や壁を打ち抜かれるような衝撃を与えられるときがある。その時、打ち抜かれた穴からごうごうと風が吹き、わたしを推し進めるのだ。その勢いのまま鍋をかき回しそれまで考えもつかなかった調理法で全く違うスープとなる。時には鍋さえ変わってしまう。なんてものが出来上がってしまったのかと、驚くとともに「これだ」と満ち足りた気分になる。
他者の思考とつながる対話でしか得られないことがあるのだ。そこには対等で上下の関係などないし、相手を論破してやろうなどの卑小なものもない。あるのは、自分の中から湧き出る疑問や違和感をことばにしながら続ける相互的なコミュニケーションだ。
 
本書では最初から最後まで対話が行われている。あとがきでもあるが、ここにある対話とは、合意や決定にはつながらない、自分と相手の違いをふまえて、さらに深堀するようなやりとりだ。対話の始まりは「わたしはこう考えているのだけど」という主観だ。相手は、自分とは違う考えを受け入れ、共感しつつも自らの考えを重ねていく。與那覇さんのことばでもある「同意なき共感」を繰り返しながら、他者とつながり自分の中だけにあった思考が整理され、さらに深くまたは全く新しく変化していくのだ。結論をだすことが大切なのではない、対話を通して他者とつながることこそが大切なのだ。
そんな対話こそ、うつ病社会への処方箋になるのだと二人は提案している。
 
そんな二人の対話にも、風を感じる。ごうごうと強く吹いている。いつの間にか、その風に煽られて心が軽くなったわたしは、誰かとぶつかってみたくなるのだ。
 
 
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