広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.339『ぞうのババール』ジャン・ド・ブリュノフ 作、矢川澄子 訳/評論社
蔦屋書店・佐藤のオススメ『ぞうのババール』ジャン・ド・ブリュノフ 作、矢川澄子 訳/評論社
ところで、世界中で愛読されてきたババールの絵本は、一方でその初期の作品に対して、しばしば批判的な反応が示されることがあります。それは作品の内容を、当時の国家の政治体制や思想の傾向と結びつけ、ババールの絵本を、フランスの伝統を重んじた時代の植民地支配者的な考え方を反映したものとして位置付けるような見方です。
今年パリ五輪が開催されたフランスの代表的な名作絵本に、『ぞうのババール』のシリーズがあります。
ババールのシリーズは、1931年から1937年にかけてジャン・ド・ブリュノフによって生み出され、時を経て、ジャンの息子であるロラン・ド・ブリュノフが描き継いだ一連の作品から成るものです。父親の遺した物語を継承し、数多くのババールの絵本を世に送り出したロラン・ド・ブリュノフ氏は、今年の3月にアメリカで永眠しました。
ババールのシリーズは、1931年から1937年にかけてジャン・ド・ブリュノフによって生み出され、時を経て、ジャンの息子であるロラン・ド・ブリュノフが描き継いだ一連の作品から成るものです。父親の遺した物語を継承し、数多くのババールの絵本を世に送り出したロラン・ド・ブリュノフ氏は、今年の3月にアメリカで永眠しました。
ジャンの作による『おうさまババール』『ババールのしんこんりょこう』や、ロランの『ババールのはくらんかい』『ババールのひっこし』など、バラエティに富んだ内容のシリーズは、どれも、のびのびと朗らかなタッチから生み出される、ゆったりしたユーモアを湛えています。何をしてもどこかおっとりとした気品が漂う愛すべきババールのお話は、はじめに作られてから百年近く経つ現在でも、読む人をたちまち象の王国“セレストビレッジ”の世界に誘いこむ、色褪せぬ魅力をそなえていると思います。
ところで、世界中で愛読されてきたババールの絵本は、一方でその初期の作品に対して、しばしば批判的な反応が示されることがあります。それは作品の内容を、当時の国家の政治体制や思想の傾向と結びつけ、ババールの絵本を、フランスの伝統を重んじた時代の植民地支配者的な考え方を反映したものとして位置付けるような見方です。
具体的にどういった部分がそのような評価を受けているのかということについては、私が適切に説明できることでないと思いますが、私自身も以前お話の一部に、少し戸惑いを感じていたことがありました。
とくによく分からないと思ってしまったのは、はじめのところで、幼いババールと幸せに暮らしていた優しいお母さんが、人間に銃で撃たれて亡くなってしまうのですが、ババールにとって非常に重たいはずのその出来事に対して、ほとんど語られることのないまま、流れるように物語が進んでいってしまう、というところでした。
母の死に遭ったババールは、混乱しながら故郷のジャングルから逃走し、そのままたどり着いたパリの街で、親切で裕福な人間のおばあさんと出会います。彼女とともに都会で暮らすことによって、人間社会の文化的で素晴らしい生活を体験し幸せになったババールは、その体験をもとに、王さまとしてジャングルの他の皆から認められた存在として、象の国を治めることになるのです。
とくによく分からないと思ってしまったのは、はじめのところで、幼いババールと幸せに暮らしていた優しいお母さんが、人間に銃で撃たれて亡くなってしまうのですが、ババールにとって非常に重たいはずのその出来事に対して、ほとんど語られることのないまま、流れるように物語が進んでいってしまう、というところでした。
母の死に遭ったババールは、混乱しながら故郷のジャングルから逃走し、そのままたどり着いたパリの街で、親切で裕福な人間のおばあさんと出会います。彼女とともに都会で暮らすことによって、人間社会の文化的で素晴らしい生活を体験し幸せになったババールは、その体験をもとに、王さまとしてジャングルの他の皆から認められた存在として、象の国を治めることになるのです。
そうしたお話の展開の仕方に、少し違和感を感じながらも、そのままにしていた私の印象が変わったのは、数年前、『かいじゅうたちのいるところ』などの作品で知られる絵本作家モーリス・センダックの著作の中で、ババールの絵本をめぐるブリュノフ一家の話を読んでからでした。
センダックは、同業者であるロラン・ド・ブリュノフの親しい友人でもありました。以下『センダックの絵本論』(岩波書店)に収録された「ジャン・ド・ブリュノフ」の章の内容を一部ご紹介いたします。
センダックは、同業者であるロラン・ド・ブリュノフの親しい友人でもありました。以下『センダックの絵本論』(岩波書店)に収録された「ジャン・ド・ブリュノフ」の章の内容を一部ご紹介いたします。
まずこの作品が生まれた背景として、ババールのお話は、元々はロランたちブリュノフ家の子どもに向けて語った、妻セシルの思いつきから創り出されたものであったこと。そして当時まだ幼かったロランたちには全く知らされていなかったのだけれど、父親のジャンはその頃すでに結核を発症しており、彼が命の限られた中で描いたババールの7冊の絵本は、自分が遺していかなければならない子どもたちへの贈りものとして作られた作品であったと思われることが述べられています。
センダックは、ババール絵本の表現の下には、真剣で心を打つ、ジャンのひとつの願いがひそんでいると言います。
一見そうとは分かりませんが、愛する息子たちにジャンが遠回しに語りかけたこと、自分が遺していく彼らの人生が幸福であることを念じる父親が絵本に託した心遣いとは、「たしなみと思いやりとをそなえた人になりなさい、人生の避けがたい嵐をなんとか切り抜けていきなさい 」という、子どもたちへの忠告であったといいます。
一見そうとは分かりませんが、愛する息子たちにジャンが遠回しに語りかけたこと、自分が遺していく彼らの人生が幸福であることを念じる父親が絵本に託した心遣いとは、「たしなみと思いやりとをそなえた人になりなさい、人生の避けがたい嵐をなんとか切り抜けていきなさい 」という、子どもたちへの忠告であったといいます。
作中で何度か描かれる災難や、突然訪れる悪夢のような出来事に対しても、ババールは「穏やかな精神と分別のある振る舞い」で、自分を抑えて辛抱します。この絵本には、フランスの伝統的な男らしさや女らしさ、礼儀作法などについての古風と言っていいほどの考えが詰まっており、ババールの落ち着きのある自制的な態度は、見方によっては少し冷静すぎるような印象を与える場合もあるかもしれません。しかしそこでは常に、子どもの自由と個性とを自覚的な自己制御によって発展させることが強調されているとセンダックは指摘します。それは抑圧的な意味のものではなく、行動には自らの選択の余地があるという自覚、そして、ある選択は別の選択に優るという自覚です。
私がはじめに引っ掛かっていた、ババールの母の死に対する描かれ方も、そのことが決してないがしろにされているというわけではないのです。ある意味でそれは、死は当然起こることなのだと示すことに通じており、そこには父親ジャン自身の死も重なります。
ババールが母を忘れることは決してありません。しかしその喪失感が、ババールの自信を圧倒し、破壊するまでになることは許されません。死は確かに人生の切り離せない一部でありますが、ブリュノフの関心と喜びは、あくまでも生きることにあるのだとセンダックは読み解きます。
ババールが母を忘れることは決してありません。しかしその喪失感が、ババールの自信を圧倒し、破壊するまでになることは許されません。死は確かに人生の切り離せない一部でありますが、ブリュノフの関心と喜びは、あくまでも生きることにあるのだとセンダックは読み解きます。
それまで私が知らずにいた創作の背景や、ババールのおおらかな表現の内に隠された気高い精神の存在を教えられ、作品に対し目が拓かれるような思いでした。また、息子ロランがシリーズを引き継いだということの意味深さも、感じずにはいられませんでした。
そして、加えて思い起こされるのが、この作品が非常にたくさんの子どもたちによって支持され愛読されてきたということ。その事実にも改めて心を打たれます。
そして、加えて思い起こされるのが、この作品が非常にたくさんの子どもたちによって支持され愛読されてきたということ。その事実にも改めて心を打たれます。
子どもには、お話の表面に表れたところよりも、その作品の底に流れているものに反応する力があるのだということを、聞いたことがあります。
子どもの本の名作と呼ばれるものの多くが、作者が家族に語った話を元にしていると言われます。自分にとって大切な、目の前にいるその子を喜ばせるために考え出されたお話の秘める力。
世の中一般の子どもに向けて作られたものよりも、特定のある子どもに向けて作られたもののほうが、出来上がったものが、結果的に多くの人の心を捉えるものになっていくということは、とても興味深いことだと思うのです。
世の中一般の子どもに向けて作られたものよりも、特定のある子どもに向けて作られたもののほうが、出来上がったものが、結果的に多くの人の心を捉えるものになっていくということは、とても興味深いことだと思うのです。