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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.191 『計算する生命』森田 真生/新潮社

蔦屋書店・犬丸のオススメ『計算する生命』森田 真生/新潮社
 
 
いわば、「計算する」ことを営む人間の歴史書だ。
 
わたしたちは、意識的にまたは無意識的に、常に数を数え計算している。例えば時間、前からやってくる人、テーブルに置いてあるもの、目の前の扉、コイン、数を把握し必要ならば数え計算し、それに対応し身体を動かす。なぜなら現在のわたしたちは、すでにこの数の概念を理解していて、あまりにも自然に生活へ取り込み、もはや切り離すことなど考えられない。
 
では、いつから数を把握しようと試みたのか。そこからこの歴史書は始まっている。
それは文字が生まれるよりもはるかに前であるはずだが、明示的な記録はない。そのため著者の森田さんは、古代の遺跡から出土した小型の粘土片から考古学者デニス・シュマント=ベッセラ(一九三三~)が提唱した大胆な仮説を取り上げている。考古学者ベッセラは、これら二センチ程度の粘土片を「トークン(token)」と名づけた。最古のトークンは紀元前八〇〇〇年紀の南メソポタミアに登場したようだ。そのころ人類は新石器時代に突入し定住生活が始まる。トークンは農畜産物の数量を管理し、異なった形状でそれぞれ別種の物品の会計管理に割り当てられた。確かにページ内の画像のトークンには、大小と何種類かの形がある。丸、平べったい円柱形、円錐形、三角錐などの単純な形ながら、なにかを区別しようとした試みを感じる。このころのトークンは一対一対応で、数えたい対象と同じ数だけ粘土片を並べる必要があった。つまり「2」や「3」などの数を表すトークンはなく、常に個別の「これ(1)」と紐づいていた。原始的とはいえ、画期的な発明ではないだろうか。穀物の袋や家畜などの大きな現物を運ばなくてもこの小さな粘土片で、まとめたり分けたりの計算や交換などの会計管理が一気に容易くなる。
トークンとして現物と紐づき保存され持ち運ばれるようになった数。生まれたばかりの数の概念はもどかしくも愛おしく、お腹の底がモゾモゾするような感触がある。
そこから何千年もの間、トークンは人類のアイデアによって形を変えていき、紀元前三一〇〇年ごろ数は記号として粘土板に書き記されるようになる。例えば「5」という数は一対一対応の五本の線などで表すのではなく、一般化された「5」という記号を書き記すようになるのだ。
 
紹介した内容は、人類の何千年にもわたる歴史だが、本書のまだほんの十数ページの書き出し部分でしかない。だが、現物を粘土片などの物に置き換え把握し、そこからさらに意味のある記号である数字に変わっていく過程は、あくまで仮説である部分もあるとはいえ、生まれたばかりの数の成長を見守るような、なんともいえない高揚感がある。わかってないことがあるからこそ想像力を掻き立てられる。
歴史には時としてエポックメーキングな出来事が起こる。
だが、数字の歴史はエポックメーキングの連続のようにも思える。それほど、次々と有意義で画期的な出来事が起こり続け、読んでいて飽きない。洞窟の中を行く探検家のような気持ちで、ドキドキしながらページをめくっていく。
0を含む9までの計算用の数字の発明と、全世界への広がり。この便利な数字の表記法が、ヨーロッパでさえなかなか普及しなかったということも驚きだった。そして長い説明文から、記号化することによって短い式で表せるようになった代数学。アルファベットを用いた幾何学。便利な道具であった数が、頭の中で思考し未知なことも計算によって導ける数学へと進化を遂げていく。
 
この後の、人工知能までの道のりは、ぜひ本書を手に取ってもらいたい。
きっと最後まで熱くなりながら、読んでいただけると思う。
そして森田さんは、生命にとって大切なのは、世界に参加することなのだと言う。あらかじめ固定された問題を解決するだけでなく、環境に埋め込まれた身体を用いて、変動し続ける状況に対応しながら、柔軟に、しなやかに、予測不能な世界に在り続けること。それこそが、人間、そしてあらゆる生物にとって、もっとも切実な仕事だという洞察が芽生える、と。
 
森田さんの文章は、とても美しい。彼の文章を読むと、なぜだか頭の中でピアノの演奏が流れてくる。鍵盤の上を滑らかに行き来する細く長い指が生みだす心地よい旋律に身体が満たされるのだ。
そして読み終えた後には、自らもまた『計算する生命』なのだと愛おしむとともに、数学をもう一度学びたくなるのだ。

 
 
 
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