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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.349『人間失格』太宰 治/新潮文庫

蔦屋書店・神崎のオススメ『人間失格』太宰 治/新潮文庫
 
 
『人間失格』
なんて嫌なタイトルだろう。
仮に『人間不合格』なら「そうか、ここがダメだったのか。次は合格するぞ』と前を向くこともできる。だが『人間失格』なのだ。「お前には人間の資格がない。人間でいる権利がない」と規定されているのだ。
「なぜ失格なのか」「失格しない人間とは」
 
1948年に発表されたこの作品が今も多くの読者を獲得しているのは、皆、この答えを探しているからだろうか。
 
大庭葉蔵は東北地方のある富裕な旧家に生まれた。伝統と格式を重んじる家にあって、道化を演じることで家族に溶け込むことを知る。中学や高校でも「尊敬される。一目置かれる」ことを恐れ、他人に溶け込むため道化を演じる。道化は葉蔵の人間への必死のサービスであり、自身の弱さを隠す処世術だった。
だが東京。そこにいるのは狡猾で生活に貪欲な人間たちだ。葉蔵は堀木正雄という画学生と出会う。葉蔵の弱さと金に目をつけたこの男が、葉蔵の人生を翻弄していく。堀木は葉蔵に酒と女と左翼活動を吹き込む。葉蔵は堀木と行動を共にしながら、そのどれもに溺れていく。断らないこと、受け入れることが葉蔵の人間へのサービスであり、処世術だから。やがてクスリにも手を出し、葉蔵はおよそ生活力のない、生き抜く力も意志もない弱い人間として堕落し、崩壊していく。
 
葉蔵の弱さに共感できるか、できないかで、この作品の好き嫌いがはっきり分かれる。葉蔵のこの極端なほどの弱さの原因は何か。葉蔵は何におびえているのか。
 

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
 
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない、あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない、あなたにでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない、葬るのは、あなたでしょう?)
 
世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事ができるようになりました。
 

世間という得体の知れない黒く大きなもの、「強く、きびしく、こわいもの」を葉蔵は人間の背後に見ていた。その正体が一個人にすぎないと、もっと早く気づいていたら、葉蔵は、たぶん、人間でいられたのだろう。
 
作品の最後に葉蔵を知るバーのマダムが語っている。
「私の知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、…神様みたいないい子でした」
「神様みたいないい子でした」。この言葉が葉蔵が人間であったことの証しであり、『人間失格』というこの暗い作品を救っているように感じる。
 
 
 

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