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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.194 『クマのプーさん』 A.A.ミルン 石井 桃子 訳/岩波書店

蔦屋書店・佐藤のオススメ『クマのプーさん』 A.A.ミルン  石井 桃子 訳/岩波書店
 
 
プーさんのお話を読んでいると、プーさんがあんまりおバカさんなので、ちょっと心配になります。ハチミツのことに気を取られて、いつもなんでもかんでも忘れてしまう。
でも、プーさんは実は、大事なことをちゃんと分かっているクマです。人が生まれて人間になっていく途中の、より自然に近い存在である「子ども」の心の世界の住人であるプーさんは、めったに役に立つことはしないようですが、いえいえ、いるだけでみんなの役に立っている、そんな、かしこいクマなのです。
そんな「かしこい」プーさんが、ある時めざましい活躍をしてみんなを助けたとき、コブタもウサギもクリストファーロビンも、みんなビックリして喜んで、プーさん自身もビックリして嬉しくて、その様子に、私たちは胸がいっぱいになります。
 
訳者の石井桃子さんが、『クマのプーさん』の原作に出会ったのは、まだ学校を卒業して数年の若い頃でした。
イギリスのA.Aミルンという作家が、自身の小さな息子に語ることで生まれたこのお話を、石井さんはとても気に入って、翻訳することを心から楽しみました。
20代半ば頃、当時文藝春秋社に勤務していた石井さんは、同僚の小里文子という女性と親交を深めます。美人で奔放な性格の小里さんと、清楚で真面目な雰囲気の石井さんは、一見正反対のタイプのようにみえましたが、とても気が合い、やがて、お互いがなくてはならない存在になっていきます。
しかしそうしたなか、不運にも、小里さんは結核を患い、そして若くして亡くなります。
 
壮絶な闘病生活のあいだ、桃子さんは嵐のような日々の中で、プーさんのお話を少しずつ訳しては小里さんに送り続け、二人で、子どものようにそのお話を楽しみました。ベッドのうえでクスクス笑い転げながら「はやく続きのおはなしを」とせがむ小里さん。お二人の姿は、この、ささやかで愛らしいプーさんのお話が、いかに人の心をあたため、悲しみを優しく包み込む、特別な本であるかをあらわしている気がします。

『クマのプーさん』の続編である『プー横丁にたった家』の最後は、百町森の住人たちと、クリストファーロビンの別れの場面が描かれます。
 
小さな仲間たちが、お別れに戸惑い、どうしていいかよく分からないまま各々去っていったあと、気が付けばプーさんとクリストファーロビンだけがその場にのこり、そしてふたりは連れだって歩き始めます。
「子どもでいること」とはどういうことか、プーさんの物語の土台となる世界のありようを示唆する言葉が交わされ、お話は、これまでとは少し違った空気を帯びてきます。
 
ふたりは「ギャレオン凹地」と呼ばれる、魔法の結界のような場所にやってきます。「世界に何があろうとも、そこにいれば世界はふたりとともにある」というくぼ地は、ここでは二人の馴染みの場所のように描かれていますが、それまでのプーさんのお話には出てきたことがない場所です。
 
プーとの別れを選択するクリストファーロビンの、繊細な心の揺れが伝わる最後のやりとり。この場面をどう受けとめるのかは、読み手に大きく委ねられているように感じます。物語とは全てそうしたものですが、ここは特にその要素が強い気がします。読み終えたあとも、心のどこかに、それが何を意味するのかずっと引っ掛かっているような、余韻をのこす締めくくりです。

大人の価値観で成り立つ世界から隠れた、死角のような場所に、それに縛られない別の豊かな世界がある。プーさんの物語は、そうした世界の存在を示し続けます。私たちには、心の奥でそれに触れることを必要とするときがある。児童文学は、決して子どものためだけのものではない、と思います。
 
 
 
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