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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.293『文にあたる』牟田都子/亜紀書房

蔦屋書店・犬丸のオススメ『文にあたる』牟田都子/亜紀書房
 
 
一冊の本が出来上がるまでには、著者を始めとして多くの人が関わる。
編集者、デザイナー、校正・校閲者、印刷会社。それぞれの職種で、それぞれに関わった人や会社を目にする。編集者は、あとがきに個人名でお礼を言われたりするし、デザイナーや印刷会社は、巻末に掲載されている。ただ、校正者は掲載されることがほぼなく、その仕事に関わる人を知る機会が少ないように思う。仕事についてもそうで、印象としては、誤字脱字や文法の間違いを訂正する、どちらかと言えば地味目のお仕事の人かな…くらいだった。
 
著者の牟田都子(むたさとこ)さんの職業は校正。その牟田さんが、校正のお仕事についてのエッセイを書いている。このエッセイから校正者の仕事はもちろん、校正者としてのふるまいや牟田さん自身の人柄が知れ、牟田さんの手がけた本をもっと読んでみたいと思える。校正者も巻末に掲載されたらいいのに…とも思う。
 
校正の仕事でまず驚くのが、想像していたよりはるかに校正には時間と根気が必要そうだということだ。
一通のゲラを牟田さんの場合、三度は読み返すという。一度目は文字や言葉の誤りを見る、二度目は固有名詞や数字、事実関係の確認をする。三度目は通し読み。それを何人かで交代で繰り返すこともあるようだ。事実関係の確認では、「猫の前足には肉球が五つある」と書いてあれば、それが本当なのか辞書や百科事典、図書館の資料などを使い調べていくのだそうだ。校正者はすべてに精通した「物知り」ではなく、その都度、ひたすらに調べていたのだ。一冊校正するのに、とんでもなく時間と労力がかかってしまうのではないかと思うし、すべて事実かどうか気になってしょうがなくなりそうだ。
 
しかも校正の仕事は、文字が存在するありとあらゆるところで必要とされる。本、雑誌、漫画、映画の字幕、ネットニュース、商品パッケージ、カタログ、チラシなどなど、それぞれの分野でそれぞれの専門家の校正者がいるそうだ。そのうえそれぞれの校正には違いがあるところがおもしろい。事実を伝えなければならない新聞、ノンフィクションなどでは正確性が求められる。特に商業分野では、金額の0が一つ違うだけで大変なことになってしまう。また、映画の雑誌など、公開前で情報がないものなどでは事実確認も難しい。逆にエッセイや小説など本の校正となると、正すことが良いこととは言えないところは、なるほどと唸る。本の校正者の仕事は、正すためというより、疑問を出すというようなやり方で指摘されている。それを著者と編集者はあえてその表現を残すことを選ぶこともあるようだ。確かに、文芸作品において、正しい文章が心に残る文章とは必ずしも言えない。文法的には少し違和感があるために何度も読み返したりするし、そこが返って印象深く記憶に残ることもある。句読点の位置で変わってしまうリズムや、ひらがな・カタカナ・漢字表記で変わる印象、時代で変化する言葉の意味、そのうえで作家の表現の意図を汲みつつ、修正してほしいところを指摘する校正者は、なんとも程よい塩梅を知るセンスも必要とされる。
他にも、漫画や有名な絵本の校正の裏話など、「へー、そんなことが!」とか「そんなところまで?」と話題は尽きず、校正者の仕事に興味が湧くし、牟田さんの人柄に惚れる。
 
だが、校正者の仕事は、出来上がった本を読んでも見つけることができない。ここを修正しましたという、目印など存在しないからだ。本を手に取って話題にするのは、作家の文章、デザイン、紙の肌触りなど目に見えるものがほとんどで、「今回の校正はいいね」とは口にすることは、まずない。しかし、この私たちから見えない校正を通すことで、個性的な表現が、誤りから「あえて」の表現となるともいう。いうなれば。文章の門の番人といったところだろうか。
 
本は、いつでもどこでも楽しむことができる。心を揺さぶられ、笑い、知らないことを知り、深く考えたりする。人生を伴走してくれ、時には背中を押してくれる。それは時空を超える。
私たちがこうしていつでも読書ができるのも、本に関わる人たちの努力と愛情があるからなのだ。
 

 

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