広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.47

【蔦屋書店・中渡瀬のオススメ 『Matt』岩城けい・集英社】

 

 

身の周りにいる人の中にも、ちょっと広げてスポーツ界や芸能界などにも・・・。魅力的な人っていますよね。小説の中にも、素敵な人がたくさんいるんです。その人の言動によって励まされたり、指針を示してもらったり、癒されたり。反省を促されたり、反面教師とする存在もあります。考えさせられる物事もたくさんあります。物語に入り込むことで、そこからもらう力はとっても大きい。だから本が好きで読み続けています。

「64」に出てくる松岡参事官。「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」のかのこちゃん。私の好きな登場人物たちです。『Matt』の主人公、安藤真人もまた大好きな1人です。

 

父親の海外赴任に伴い12歳でオーストラリアにやってきた安藤真人。日本に帰らずオーストラリアに残ることを決断しました。自分がどうありたいか真剣に考え、進む道を選択した真人が頼もしかった。『Matt』では、その後17歳になる真人に会えるのです。

 

オーストラリアに暮らして5年が経った真人はマットと呼ばれ、現地に馴染んだかに見えても、英語はまだネイティブの感覚をつかみきれない。でも、日本人的な考え方や振る舞いはもうできない。だから、オーストラリア人と日本人のどちらにもなりきれず、どちら側からも認めてもらえない。オーストラリアで生きていくと決めたのに、その地に属することができずに苦しんでいました。

さらに、日本人であるが故に先の戦争まで背負わされ、ジャップと罵られてしまうのです。ここにいたいと望む場所から拒まれるということが、どれほど辛いことか。

「好きで日本人をやってるんじゃない」「なんでもかんでも日本人で済ませたくない」―。「真人」であり「マット」であるこの青年は、血の涙も流せずにいるのです。親の思いや国籍の狭間で苦しみ自殺した友人の気持ちが痛いほど分かってしまう。アイデンティティが崩壊し、自分のパスポートを切り刻む場面では、胸が締め付けられました。

 

やり場のない怒りを自分に向け「I hate myself」と呪い、苦しみながらも自分と向き合い続ける。誰に対しても公平であろうとし、あきらめず希望を持ち続ける「人間らしさ」を言葉や行為で表したいと願うマット。その姿が健気で健気で…。読みながら何度も涙が滲んできます。自己を確立しようとするひたむきさに触れ、あぁだから私は安藤真人という青年が好きなんだなぁと改めて思いました。

「今まで、何度、だれかの言うことを聞いてみたいと思ったかわからない。自分で選らばなくても済む。自分で決めなくても済む。自分のせいにしなくても済む。でも、それじゃ、何も考えない、何も感じない、心臓動かして息してるだけになりそうだ。死んでるみたいに生きているなんて、やっぱ、ゾッとする・・・!」とマットが思い至れば、涙をこらえながらウンウンと頷いてしまっていました。

 

マットが抱く思いは、わざとらしくなく、独りよがりでもない。ただただ切なく響いてきて、読んでいる者の心を震わせます。作者である岩城さんは在豪25年。その経験から感じ得たであろう様々なことがリアリティにつながるのでしょうか。この作品は、異国で自己と向き合うマットに対する温かいまなざしで溢れています。大きな大きな優しさで包みこみながら、その中で、抱えきれない思いを吐き出させてあげているように感じます。だから、絶望の淵に立つマットを思うとき、ともに悲しみながらも、彼が感情を爆発できていることに安堵をもするのでした。

 

 他の誰よりも岩城さん自身が、彼の心の強さを信じているから、物語は必ず希望に辿り着く。色んな壁が待ち受けるだろうけれど、きっと大丈夫。これからもオーストラリアで生きていくマットを見守り続けたいと願うのです。さらなる続編を切望してやみません。

 

 

 

 

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