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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.248『地球にちりばめられて』多和田 葉子/講談社

蔦屋書店・犬丸のオススメ『地球にちりばめられて』多和田 葉子/講談社
 
 
もし、国などに縛られない言語が存在するなら、話者としてはとても自由なことなのかもしれない。
 
この小説をどう説明すればよいのか。少し悩む。
始まりはデンマークの首都コペンハーゲンにすむクヌートが、なんとなくつけていたテレビ番組だった。クヌートは大学院で言語学を学んでいる。その番組は自分の生まれ育った国がすでに存在しない人ばかりが数人、ゲストとして招かれ話を聞くという趣旨のものだった。その中の一人の女性が話す言語にクヌートはひきつけられる。その言語は聞いていて理解できるが、デンマーク語でもノルウェー語でもスウェーデン語でもない。
テレビの中の番組司会者も彼女に聞く。
「ところであなたが流暢にお話しになっているのは何語ですか」
彼女は答える。
「これは実は、手作り言語なんです。」
その言語は北欧スカンジナビアの人なら聞けば大体意味が理解できるという、何語でもない人工語。聞いたことが無い言語なのに、意味が解る人工語でしゃべる彼女は、とてもミステリアスだ。ここで疑問が湧く。なぜ彼女は手作りの言語を話しているのか。
 
彼女の生まれ育った国は、中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ島国だ。彼女は一年の予定でヨーロッパに留学し、あと二か月で帰国という時に、自分の国が消えてしまう。家に帰ることも家族や友人とも会えない。彼女の国は、戦争や政治のなかで歴史上消えたのではなく、地殻変動のようななにかで消えてしまったのだった。
その後、彼女は移民としてスカンジナビアの国を転々としたが、そのたびにその国の言語を短期間で習得する。しかしそれらの言語を混乱しないように使うのが大変なため、自分でつくったのだという。
「英語ではだめなんですか。」と聞く番組司会者に、英語ができる移民は強制的にアメリカに送られてしまうことがあり恐い。デンマークにとどまりたい、と、彼女は答える。
 
言語はどこの国の言葉でも使いこなせるほうが便利だし、使いこなせた方が自由に行動できると思っていた。そういう不自由さもあるのか。ある言語を使うことができるために自身の意思と関係なく行動を制限されてしまうようなことが。
 
クヌートはこの不思議な人工語を使う女性に興味をもち、会いに行く。
彼女の名前は、Hiruko。デンマーク語のクヌートからすると、母音が三つもある変わった音の組み合わせの名前。ここで日本語話者ならすぐに思う。そうだったのか、Hirukoは日本人なのかと。ミステリアスであった女性が急に近しく感じる。彼女がもう帰れない場所は日本なのか。ああ、そうか。この物語の中で日本は、そこに住んでいた人とともに無くなってしまった。その世界を想像すると急に寂しさが押し寄せる。日本以外でも日本語を使える人はいるだろうし、日本をルーツとする人もいる。だが母語とする場所が無くなればいずれ日本語は消滅してしまうだろう。
 
Hirukoは同じ母語を話す人を探しに行くという。「ウマミ」などの母語がルーツである言葉を追いながら。それにクヌートは付きそう。人工語を話すHirukoが母語を話すところが見たいのだという。
 
これはこの物語のほんの導入に過ぎない。まだ20ページあたり。
 
母語にこだわるHiruko。
母語を話すことは、ただ単にその言語を意味通り使う以上に、育ってきた環境のなかでの習慣や風習、文化を他者とお互いに共有したうえで成り立っている。それには表情、声のトーンなども含まれる。
言葉そのままの意味よりも、その言葉のやり取りに含まれる意図を汲み取る。
それは自己のアイデンティティを確認し、存在を肯定することにもつながるのだろう。
一方、人工語を使うHiruko。
自身の考えを伝える、説明的な言葉といった方が近いかもしれない。聞き手も聞いたことのない言葉なので意味の理解に集中しなければならなくなる。
人工語のような意味に重点を置いた言葉のほうが、もしかすると伝えたいことがシンプルに伝わるのかもしれない。共通の習慣などもなければ、前置きなどもなくいきなり本題を切り出しても失礼ではなくなり、誤解を受けることも減るのかも。
となると、言葉自体の自由度が増すのではないだろうか。いろいろなことに縛られてしゃべれないということもなくなるのなら嬉しい。
 
母語を話す人を探しに旅に出る二人にはさらに出会いがあり旅仲間も増えていくが、どの登場人物も多様性という言葉で括りたくない、それぞれの性格や事情が外見も含め、個人としての人間味となっている。
その中で人工語を使うHirukoは異質だ。そして、どこにも属さないという点でその言語のふるまいは自由だ。だが、これから先はどうなるのだろうか。仲間と過ごせば、彼らだけの言い回しや習慣なども生まれてくるだろう。それが人工語に文脈として含まれていくのではないか。彼らも異質と感じていた人工語に慣れてしまうと、Hirukoの表情やしぐさなどから別の意図を汲み取るようになるのかもしれない。その時も変わらずHirukoの言語は自由なのだろうか。
 
Hirukoに会って言葉を交わしてみたい。
 
 
 
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